ところがこの「私にしかできない仕事」という希望は結構曲者である。実のところ企業や組織というものは「誰がやっても仕事の結果や内容が同じ品質になる」ということを目標の一つにしているものだ。考えてみれば当たり前で、ある人が辞めたから注文を受け付けられないとか、ある人が風邪で休暇を取ったからといって製品の品質が落ちたなんてことがあっては困るのである。
顧客の要求に応じたサービス提供を考える際に、アウトプット要求とサービス要求を区別して考えることがあります。
- アウトプット要求:顧客視点で最終製品あるいはサービスとして受け取るものそのもの
- サービス要求:顧客視点で最終製品あるいはサービスを受け取るまでの間に、どのような扱いを受け、どのように対応されたかというサービスのプロセスに関わるもの
例えば、東京からシアトル経由でニューヨークに飛行機で出国したと仮定すると、顧客のアウトプット要求は、ニューヨークに無事に到着することになります。その際、出国手続きで1時間も待たされたり、乗り継ぎ便が大幅に遅れてシアトルで何時間も待たされたりすれば、アウトプット要求は満たされていてもサービス要求は満たされていないということになります。
「誰がやっても仕事の結果や内容が同じ品質になる」必要があるのは、アウトプット要求とせいぜいサービス要求でも万人が必要とする、あるいは、あっても困らない共通部分であって、経験価値の時代だとか、これだけパーソナライズがもてはやされる時代においては、むしろ、それより上の層では同じ品質であることなど、顧客は望んでいなくて、自分に合ったものを望んでいるといえるのではないでしょうか?
つまり、それは必要条件であって、十分条件ではまったくない。
そうなると「誰がやっても仕事の結果や内容が同じ品質になる」なんてことを目標にしているのは、単に企業のマーケティング的怠慢であって、それは「誰がやっても」同じだけ品質が悪いことを目標にしているのと変わらないのではないかと思います。
共通のプロダクトの層の上に、カスタマイズ可能なモジュール層をおき、さらに人間的な顧客接点においては、個が生きるサービスの層を置いた形の価値提供プロセスを設計してもおかしくはないでしょう。
私は所詮Web屋で、Web上でのマーケティングといった範囲でしか、自信をもった価値提供はできませんので、せめて企業のWebサイトをEmployee Generated Mediaとして個が生きるものにしましょうというくらいしかいえませんが、結局はその他のサービス提供においても、「私にしかできない仕事」をいかに可能にするかがこれからの企業の課題になってくるのではないかと思っています。もちろん、評価制度などの人事制度の再構築も含めて。
そうじゃないんでしょうかね?
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この記事へのコメント
hige
tanahashi
でも、ほとんどタイトルどおりで、「私にしかできない仕事」は組織に求めてもダメでしょうみたいな考えが幻想だという主旨です。
つまり、進んだ組織なら、むしろ、「私にしかできない仕事」を従業員に積極的に行わせることでそれをコンピタンスにしているであろう、と。
kondo
ような気がしたんですがそれはそれでいいのかな。。
tanahashi
それは大丈夫じゃないでしょうか。
僕が「私にしかできない仕事」と思っているのは、本当に個人の性格だとかといった部分に依存する仕事なので、ある程度、組織としてサービスレベルをあげるために吸収できたとしても完全には取り込むことができなものだからです。
営業とかやってた人なら感覚的にわかると思いますが「会社から買ったんじゃないよ、○○さんから買ったんだよ」と言われる場合のようなイメージですね。
なので、この話は組織としての管理とは別の話で、管理は管理でベースの部分を標準化することで達成し、あとはその標準化された部分さえ遵守していれば、自由にやっていいよというシステムをいかに作り出せるかって話かなと思っています。
はてブのコメントに「属人的な部分を減らすこととその話は残念ながら矛盾しない」と書いている人がいましたが、まさにそのとおりなのです。
Yoshikawa
「誰がやっても同じにする」というのは組織で業務を遂行するときの目標の一つに過ぎないと思います。当然逆に、競合他社に対して差別化するための「うちにしかできない」という目標(戦略)も別にあって、前者が守りであれば後者は攻めに当たると思います。
でも、一般に組織の中では守りのほうに従事する人のほうが攻めのほうよりも多数派ではないかと。マーケティングを始めとする企画系の業務はアイデアを出して差別化する業務だと思いますが全社員数から考えると少数だと思います。またマーケティング担当者全員がこういう仕事をやっているわけでもなく、セミナーの受付作業や出版物の校正作業など(失礼な言い方ですが)「マックのバイト」的なベースとなる仕事も相当量あった上で企画系の仕事をやっていると思います。
さらに後者のユニークな差別化のアイデアは通常、特定個人によって発案され試行され実施されていくのだと思うのですが、軌道に乗るまではともかく成功したところからは、発案者である特定個人以外でも出来る様にすることが組織に求められはずです。企業としてのコアコンピタンスが個人に依属しているのを放置することは経営者としては失格でしょうから。
差別化のための「うちにしかできない」戦略を否定する気はまったくありません。ただ世の中そんな仕事だけやっている会社(人)は少ないし、そういう人もいつもそればっかりやっているわけではないです、と伝えたかったのですが、タイトルの「幻想」という言葉はちょっと刺激的過ぎましたね。
とここまで書いてエントリーを書くときに上手く言葉が紡ぎ出せないで諦めた結論的な部分をやっと思いつきました。やはり議論というか意見のキャッチボールは重要ですね。以下それです。
「私にしかできない仕事」はなくても「私にできる工夫」とか「私がやると他の人より上手く(早く)できる部分」というのはあるはずなので、そういうのを見つけるようによく考えて欲しい。
#経験上「私にしかできない仕事」をやりたいというような人は「ビックになりたい」と同じレベルでモノを言っていることも多いもので・・・
tanahashi
「私にできる工夫」とか「私がやると他の人より上手く(早く)できる部分」とかいいですね。
そういったちょっとした違いが本当の意味で「私にしかできない」につながるのかなと私も思います。
それ以上を望むなら起業したほうがいいですね、きっと。