悲観的な言い訳で自分をやさしく包んでいるくらいなら前を向け

なんとなく昔付き合っていた彼女に言われたことを最近よく思い出します。

僕は昔から「文章を書く人」でしたが、20代の頃、付き合っていた彼女に僕の書く文章は「おもしろいけど、言い訳っぽく感じるときがある」と言われたんです。

その頃の僕にはそれがどの部分を指して言っているのか、ピンときませんでした。当然、付き合っていた彼女に言われたのですから、すごく気になったのですが、彼女も明確にどの部分かを言い当てることはできませんでしたし、僕自身、いくら考えてもどういう点について言われているのかがわかりませんでした。

言い訳=無責任に批判すること

でも、今ならそれがよくわかります。
つまり、それは周囲や社会などへの不満を他人ごとのように批判する点が、彼女にそう思わせたのでしょう。

このブログで再三、責任には自分にあり、まわりに責任はないと書いているのは、まさに他者に責任を預けて不満を述べた途端、自分の文章や行動が「言い訳っぽい」感じで見られることが今ではかなりわかってきたからです。
Web2.0でもなんでもいいんですが、新しいものが登場してきた場合、それを使い物にならないと批判することは簡単です。でも、それは僕には、それを「使い物にならない」と称した人の「言い訳」のようにしか聞こえません。かつて僕の文章を読んだ彼女が「言い訳っぽく感じる」のとおそらく同じ意味でそう感じます。
そう感じてしまうので「言い訳するヒマがあれば、問題を改善する努力をしようよ」って思います。批判するだけでは、改善する努力を他人の責務と勝手に決め込んで、自分は無関係だと勘違いしてふんぞりかえっているように思えます。そんな後ろ向きな態度はあんまり感心しません。

また、単純にゴールはどこなの?とも思います。
相手を批判することがゴールなの? それとも、批判によってもっといい状況を生み出すことがゴールなの? って。

もちろん、仕事の現場では契約的な責任を守るために明確に「言い訳」を行うことが必要な場合があり、言い訳のすべてが悪いわけではありません。あと日常生活で愚痴を口にすることだって、何かに不満をもらすことは僕だって、当然あります。

しかし、こうしてブログを書く場合、契約的に明確な責任の線引きがなされているわけでもありませんので、基本的には書く以上、それで何か他人を不快にするようなことがあった場合、それが誤解にもとづくものだと感じても、それは自分が誤解を招くような書き方をしたせいであると思うようにしています。

何よりブログは不特定の人に対して公開されており、日常生活のように文脈を共有した上で言葉が受け取られるわけではありませんので、愚痴や不満はそれを超えた批判と受け取られても仕方ない状況です。
そして、何よりそれは「言い訳っぽく」後ろ向きに見えてしまうことでしょう。

前向きな批評:ドゥルーズの戦略に倣う

もちろん、前向きな批評というのも当然あります。
哲学などは(そのすべてがそうではありませんが)基本的に前向きな批評です。批評することで問題を前に進めるようというのが哲学の基本姿勢だと思っています。

昔、仕事の場で自分がよく口にしていたことを今さらながら思い出したりもします。
「問題を指摘するなら必ず改善案の2つ3つは同時にもってこい」と。

ただ、改善案が単なる批判の対象の裏返しでは仕方ありません。それはおそらく両者のあいだに反発を生じさせるだけで、根本的な改善にはつながらないことが多いからです。
哲学者のジル・ドゥルーズが批評を行う際に採用した戦略、批評の対象となるものの作法に従うことで批評対象の内部崩壊を起こさせた(裂け目を明らかにした)のと似た、相手をやさしく包み込んだ上で、相手の側から間違いや問題点を認識、浮かび上がらせるといった作業を、どんなに面倒でも相手といっしょに行っていくような形の批判~改善でないとなかなかうまくいかないのではないかと思います。

それは企業のような組織の現場でも同じでしょう。
単に一方的な命令として何かを改善しろと命じたり、自分と違う部門の問題点を他人事のように指摘するだけでは何も変わらないというのがほとんどでしょう。
そうではなく、改善のためには自分が直接関係なくても改善のサポートをいっしょに行うのが、本当に前向きな改善だと思います。そして、それこそが「言い訳」がましくない本当の批判なんじゃないかと思ったりします。

本当に改善しようと思うなら、それは口でグダグタいうような簡単なことではなく、それなりに労力も必要な泥臭く、時間もかかる他者との協力が欠かせないんだと思います。
そう。それは悲観的な生半可な気持ちでできるものではありません。楽観的な気持ちを維持できる強い意思とある程度の心の余裕みたいなものがないと改善にはつながらないでしょう。そして、それはどんな分野でもおなじなのではないでしょうか? ポジティブな気持ちと心の余裕をもつには、それこそ他人の批判をしているヒマがあったら、自分を強くたくましくするため、いろんな勉強、経験をするため、思いつくあらゆる努力をしてみたほうが健全だし、有益だと思うのです。

 


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