今日も食べられずに済みますように。

原因:ライオンが近くにいる
結果:食べられる

もし、人間にシミュレーションする能力が備わっていなかったら、確かに結果は「食べられる」しかないのかもしれません。

私が専門としている理論物理学は、物事の究極の原因に関する科学の一分野だ。もちろん、究極の原因は物理学者の専売特許ではなく、誰でもある程度はそうしたものを気に掛けている。私が思うにこれは、はるか昔に人類がアフリカで身につけ、実際に原因(ライオンが近くにいる)と結果(食べられる)が存在する物理的世界で生き抜くために役立てた形質を、隔世遺伝によって受け継いだものなのだろう。我々は生まれつき、物事の間に因果関係を探そうとするものであり、連鎖的な結果をもたらす法則を発見すると、深く安堵するようにできている。
ロバート・B・ラフリン『物理学の未来』

自然のモニタリングから原因と結果の因果関係を類推し、仮説の構築と度重なる実験によってヒトは、生き抜くためのシミュレーション能力を手にいれたということでしょうか。

今日も食べられずに済みますように。

それは自然の法則性に物理宇宙の原因と結果の因果関係をみる物理学者だけでなく、さまざまな分野の研究者たちによって、よりその予測能力を研かれ、種としてのヒトのサバイバル能力を向上させたのでしょう。
そして、「連鎖的な結果をもたらす法則を発見」して、「深く安堵する」のは、「今日も食べられずに済みますように」という願いがまったくの神頼みから、自らの力である程度コントロール可能になることによる安堵なのかもしれません。

(前略)その中にはどちらの領域でも通用する害の回避についての基本原則も含まれている。その原則とは、自分の運命がどうなるかについて何の情報も持っていなければ、自由選択を利用することもできないということだ。
ダニエル・C・デネット『自由は進化する』

当然、自分にふりかかるリスクを知らなければ、たとえ、その害を回避する知識やスキルをもっていたとしても意味がありません。その意味では結果を排除するには、原因を排除するか、原因と結果の因果を一時的にも断ち切れるよう、原因についてよく知る必要があるのでしょう。

そして、食べられちゃわないよう、僕らの祖先は自然の法則を学んだ!

私たちの遠い祖先の自然界では、この世で左右対称を示すものと言えばほぼ自分以外の動物しかなく、しかもそれが自分に面と向かっているときと決まっていたからではないか。
ダニエル・C・デネット『解明される意識』

私たちは左右対称をしめすものに特別な感受性をもっているらしい。それもやっぱり祖先の「今日も食べられずに済みますように」という切実な願いから得られた重要な発見の痕跡だったのかもしれません。

より多く食べられますように。

しかし、多くのリスクから自由になってなお、ヒトは予測能力の向上に努力することをやめようとはしていません。もはや、ライオンに食べられることをおそれる必要はあまりありません。どうすれば食べられずに済むかの知識が大量に蓄積されているからです(もちろん、どんな場合でもその知識が役立つとは限りませんが)。

ヒトが予測の能力を高める努力をやめようとしないのは、次々にあらわれる新たなリスクに対応するにはどうすればよいかという課題がまだヒトには大量に残されているからという理由もあるでしょう。昔はなかったリスクが現在のヒトが暮らすサバンナには存在します。
金融リスク、新種のウイルスによるリスク、事業リスク、交通事故などのリスク、財の盗難のリスク、恋愛のリスク、などなど。
その意味ではヒトはまだまったくといっていいほど、多くのリスクに晒されたままで、リスクから自由になったわけではないでしょう。

しかし、ヒトが予測の能力を磨き続けるのは、単にリスクを削減するためだけでなく、プラスの面でも自由度を高めようとしているからなのでしょう。予測の能力を高めることにより未来にあらわれるであろう機会を先んじて享受するにはどうすればよいかとヒトは頭を悩ませています。

アクセスログ解析。データマイニング。SWOT分析。ランチェスターの法則。AIDMAの法則。などなど。

でも、やっぱり食べられませんように。

原因と結果の因果関係の蓄積は、ヒトにリスク回避能力を与えると同時に、富の効率的な蓄積の方法に関する知識も与えてくれます。そして、ヒトのもつコミュニケーションがそれらの蓄積された知識の交換や分配を可能にしています。

人は次に何をするか決める鳥の(そしてサルやイルカの)能力の上にもう1つ層を追加した。それは脳の解剖学的な層ではなく機能的な層で、脳の解剖学的構造の細かい細部によって、何らかの形で構成された仮想の層だ。人はお互いに何かしてくれと頼めるし、自分自身に何かしてくれと頼める。そして少なくとも時々は、そうした要求に素直に応じる。(中略)人は頼まれて何かができるだけじゃない。何をしているのか、なぜしているのかという問い合わせにも答えられる。理由を尋ね、答えるという行為に従事できるのだ。
ダニエル・C・デネット『自由は進化する』

ヒトは他人とのコミュニケーションの中でも予測の能力を用いるようになりました。わざわざ観察によって法則性を導かなくても、「何をしているのか、なぜしているのかという問い合わせ」を行うこともできるし、それに答えることもできます。しかし、そうしたコミュニケーションの中に新たなリスクが生まれているのも事実でしょう。

別に、相手に悪気がある場合ばかりがリスクではありません。相手に悪気がなくても、そして、相手がコンピュータなどの機械であっても、そこには常にコミュニケーションのリスクがつきまといます。

誤解。誤読。データの消滅。ネットワークエラー。ファインダビリティやアクセシビリティの欠如。

害の回避についての基本原則はいまも変わりません。
「自分の運命がどうなるかについて何の情報も持っていなければ、自由選択を利用することもできない」。

今日も食べられずに済みますように」。
その願いは相転移して、いままでとは異なる様相を見せているのかもしれません。

僕らはもっと自然の法則性について学ばなくてはならないのでしょうね。

  


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