還元主義の罠

「分ける」ことは「分かる」ことだと思います。それがすべてではありませんが。

(前略)基本法則とそこから派生する法則とを区別する基準には根拠がなく、数学のみで宇宙を理解できるという考え方も、戯言でしかないということだ。一般的に物理法則は、純粋な思考から得ることはできず、実験的に発見しなければならない。というのも、自然をコントロールできるのは、組織化の原理を通じて自然がそれを許してくれた場合だけだからだ。この主張を還元主義(物事はより小さな部分へと分割することで明確になるという信念)の終焉と見なす人もいるかもしれないが、それは完全には正しくない。私も含めあらゆる物理学者は、心の底では還元主義者である。
ロバート・B・ラフリン『物理学の未来』

要素と全体

小さな要素に分割することで物事が明確になると考える場合、要素の背後には暗黙のうちに全体が前提とされていると思います。かつてギリシャの哲学者が世界の最小単位として考えていたATOM(いまの原子とは異なる元素としての原子)。そして、超ひも理論におけるひも。それらの要素が用いられるのは、全体である宇宙を形作る最小の要素を理解することで、全体を理解しよう(統一理論)という方向性をもっています。

しかし、要素の理解は必ずしも全体の理解にはつながらない。
それは複雑系の科学の研究者たちがさまざまな形で示してくれているとおりです。そして、何よりも要素の理解が全体の理解につがらないだけでなく、まず全体というものが実は想定できないことを複雑系の科学は示してくれているのだと思います。
複雑-系と称されるとおり、それは全体ではなく、ある系についての観察です。自己組織化という言葉も「組織」を対象にしている限りにおいて、しょせん、一部の組織を対象にしています。企業などの組織の中にいると、組織の内部だけが全体のように感じられてしまうことがありますが、組織は単にもっと広い何かの一部でしかないのは外に出てみればすぐに気づきます。

還元主義の罠

「分ける」ことは「分かる」ことだと思います。物理学者だけでなく、たいていの人(何かを分かろうと考える人)は、心の底では還元主義者だと思います。
有益なものと無益なもの、科学的なものと文学的なもの、終焉と未来、Web1.0とWeb2.0、あなたと私。セグメンテーションとターゲティングの手法は何もマーケティングに固有の理解の仕方ではないでしょう。目の前の現実を理解しようとする際、「分ける」ことで対象を理解しようというのはごく自然で有益なことだと思います。

しかし、そこには還元主義の罠がある。要素に分割することで何か自分が全体を捉えているかのように感じてしまう罠が。そして、自分が要素として絞り込んだものから大量にこぼれおちるものがあることに気づかなくなるという罠が。
しかし、要素への還元による理解で、ワイルドな自然(それは人間の暮らす社会、市場も含めて)をコントロールできると考えるのはあまりに考えがあますぎるのでしょう。「自然をコントロールできるのは、組織化の原理を通じて自然がそれを許してくれた場合だけ」なのでしょうから。そして、組織化の原理を人間はほとんどまだ理解していないのですから。

Webにリンクが存在することの重要性をもっと見直すべきなのかもしれません。
境界によって区切られたまやかしのアイデンティティをもったWebサイトの外に出て。

この記事へのコメント

  • 俊(とし)

    いつも興味深く読ませていただいています.

    還元主義に似た概念に分類学があります.分類することで判ったような気になることと言い換えても良いでしょう.クラスタリング,カテゴリー形成など,互いに良く似たもの同士を集めて分類することで全体を部分空間に分け,そうすることで全体や部分を理解しやすくする活動のことです.物質の分類,生物種の分類,自然現象の分類,概念の分類などなど,われわれの思考活動のかなりの部分は分類に費やされています.

    ところがこれに「醜いアヒルの子の定理」で警鐘を鳴らしたのはパターン認識の巨人,渡辺慧先生です.加算個の述語の組み合わせで形式的に分類を行おうと思っても,どの要素も同じ程度に似ているという結果しか得られず分類は不可能ということが証明できます.詳しくは古い岩波文庫「パタン認識」でどうぞ.

    しかし,これはわれわれの直感とはどうしても合わない,じゃあ一体分類による理解とは何だろう?ということから議論が深まります.ギリシア哲学以来の「唯名論」と「唯物論」にも関係が深く,また認識するとは何か,cognition と recognition の違い,などにも議論が発展します.
    2006年09月10日 09:55
  • tanahashi

    俊さん、コメントありがとうございます。
    確かに、分類学は還元主義と深く関係するものでしょうね。
    数学的にも、無限、集合論などを経て、不完全定理などにもつながるでしょうね。
    2006年09月10日 17:47
  • ちさ

    こんにちは。

    「分ける」ことには様々なリスクも伴います。境界線を作るので形式化される際に抜け落ちることもあります。また原理主義にも陥りやすいです。その意味でモービルは「バウンダリースナイパー」の大切さを訴えたとも思っています。

    また、「分かる」ことは言葉が生まれることでもあると脳科学の世界では言われています。無意識を意識させるのです。その瞬間何かが切り取られ情報・データとして止まるのです。

    こういうブログ好きです。
    どんどんエントリしてくださいね。楽しみにしています。
    2006年09月10日 21:28
  • tanahashi

    ちささん、はじめまして。
    ありがとうござます。
    これからも楽しんでいただけるような
    エントリーをアップできるようがんばります。
    また遊びに来てください。
    2006年09月10日 23:35
  • ina

    初めまして。
    いつも読ませていただいています。
    最近ブログを書き始めて、
    この記事にトラックバックさせていただきました。
    これからも興味深い記事を楽しみにしています。
    2006年09月11日 00:46
  • 俊(とし)

    コメントに反応していただき,ありがとうございます.ちょっとだけ補足しておきます.

    いろいろな要素を与えられたときに分類してクラスタリングすることが cognition です.次に,ある要素を与えられたときに,既存のクラスターのどれに当てはめるのかを決めることが recognition です.

    多数の猫と犬を同時に見せられて,そこから二つの種を帰納的に定義するのが cognition であり,その後ある一匹の猫または犬を見せられたときに,それが猫や犬であるとわかることが recognition です.英語だと不思議とちゃんと re が付いているところがミソですね.

    渡辺慧先生の「醜いアヒルの子の定理」とは,どの猫も犬も互いに同程度に似ているので,cognition も recognition も出来ないではないか!と言っているのです.
    2006年09月11日 22:11
  • tanahashi

    うまくイメージできないので、渡辺慧先生の「醜いアヒルの子の定理」読んでみます。
    2006年09月11日 22:25

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