僕たちがおこなうクリエイティブな行為は、基本的に素材ありきの料理人の仕事と類似のものだと考えています。もちろん、その場合の素材は食材そのものであると同時に、既存のレシピや先人の知恵みたいなものも含めて。
ある意味、Web2.0的なマッシュアップと同様かなと思います。
もちろん、おなじマッシュアップでも個々にクリエイティブの度合いは異なりますし、それは料理人の仕事でも、ほかのクリエイターの仕事でも同様ですが、いずれにしてもオリジナリティがあるかどうかは、実は元となる素材の有無とは関係ないのかなというのが、僕の「無から有は生まれない」という考えの基本的なところといえます。
生命は生命から生じる
19世紀フランスの生化学者、細菌学者であるルイ・パスツールは、無菌状態にあるとされる溶液から細菌の集団が繁殖してくると考えられていた当時の自然発生説に対して、細菌の生じた原因は空気それ自身にあると推測していました。パスツールは、外界からの影響をほとんどない状態にできるスワンネック型ののフラスコを使い、無菌状態のスープには細菌が発生しないことを証明し、1861年、著作『自然発生説の検討』でそのことを著しました。パストゥールは、無菌状態のスープには細菌が繁殖しないことを見出した。そして、生命は生命から生じると結論したのである。スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』
ルイ・パスツール - Wikipedia
「生命は生命から生じる」。今なら誰もが当たり前に理解していることです。
しかし、ここで1つの疑問がとうぜん生まれるでしょう。
じゃあ、最初の生命はどうやって生まれたの? って。
最初の生命
1953年、シカゴ大学ハロルド・ユーリーの研究室にいた大学院生スタンリー・ミラーは、『ユーリー - ミラーの実験』として知られる、生物学史に残る最初の『生命の起源』に関する実験的証明を行いました。ミラーが行ったのは、メタンや二酸化炭素など、原子の地球の大気に含まれていたと一般的に考えられていた気体をフラスコに満たし、その中で火花を散らせるというものでした。何日かの実験ののち、フラスコの壁に茶色のねばねばしたものが付着していることを発見しました。
分析してみると、このタール状の物質は豊富なアミノ酸を含んでいることが明らかになった。ミラーは生物の出現前の科学についての実験を、世界ではじめて行ったことになる。原始地球において、タンパク質の構成要素が形成されるための、もっともらしい方法を発見したのである。スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』
このような実験をはじめとして、生命が最初、無機物から生まれたことは科学の分野でもほぼ合意が得られようとしているようですが、生命誕生の仕組みなどに関してはまだまだ議論がなされていて、唯一の回答は得られていないというのが現状のようです。
生命の起源 - Wikipedia
複雑で全体的で創発的である生命
スチュアート・カウフマンらが主張するような、複雑な系はもともと自己組織化、自己触媒作用をする性質をもっているといった考え方は、「最初の生命」の謎をさぐる試みの1つだといえます。化学スープの中で分子の種類の数がある閾値を超えると、自己を維持する反応のネットワーク-自己触媒的な物質代謝-が、突然生ずるであろうことを、ぜひとも納得してほしいのである。私は主張する。生命は単純な形ではなく、複雑で全体的な形をもって現れた。そしてそれ以来、複雑で全体的なものであるのだ、と。この生命の出現は、不可思議な「生命衝動」によるものではない。生気のない分子から組織への、単純で深遠な変換によるものである。(中略)複雑で全体的な生命。創発的である生命は、別の意味で結局単純であり、われわれが住む世界から生じた自然な結果だということになる。スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』
こうした記述は、プレイヤーの種類の数が増え始めたインターネットあるいはブログスフィアの現状と重ね合わせると、私をワクワクさせます。生命が生じるなんてことはいわないまでも、現在のネット上では自己組織化とみえるようなクラスターの形成がみられるようになってきているように感じられるからです。
「無から有は生まれない」。だとしても、カオスの中の無制御状態から有が生まれる仕組みはどういうものなのか?という問いは、超宇宙論な膨大な可能性をもつ複雑な可能世界において、私たち自身が自由を獲得するために必要な将来のシミュレーションを行えるかどうかという点で、とても有益な問いであるように感じています。
異なる分野間のマッシュアップ時には相互に敬意が必要
とはいえ、これが本当に同じ法則に従うものか、あるいは、単なる類似(収斂現象)なのかは、きちんと数学的な考察を行ったうえで慎重に判断すべきことでしょう。そうした信頼性のあるデータに基づく数学的な検証という姿勢が、今までのマーケティングに欠けていたものだと、高安秀樹さんの『経済物理学の発見』を読んだ直後くらいからものすごく感じています。
また、そんなことを感じるのにはもう1つ理由があって、異なる分野間でのマッシュアップによって新たなものを生み出そうとする際には、ちょっとした諍いがおこるのは避けられないと思うからです。
例として取り上げるのは申し訳ない気もするのですが、個々の発言はそれぞれ正しいと私は感じますので、あえて悪徳商法?マニアックス ココログ支店さんの「ロングテールは、何が「ロング」だったのか?」を取り上げさせていただきます。
気になったのは、記事内容そのものではなく、記事についたコメントのやりとりです。先にも書いたように、せっかくそれぞれは意味のある発言をしているのに、異なる分野(簡単にわけると「数学/科学寄り」と「マーケティング/ビジネス」寄り)の事情の違いをお互いにあまり配慮せず、またすこし敬意が欠けた形で、やりとりを行ってしまっているという印象をもちました。もうすこし互いに相手の事情なども想像し、敬意をもって話をすれば、なにかおもしろいものが生まれそうな感じがしただけに残念な気持ちになります。
それこそ、お互いの話が噛み合わないので、適切なリンクも生まれず、カオスが閾値を超えて相転移することもなくカオス状態のままになってしまったのは、個々の発言それぞれはいいなと思ったので、もったいない気がしたのです。おそらく相手に対する敬意は自分のアイデンティティへの確信とも関係があると思いますので、自分の所在を明かさずにやりとりをしてしまうのも、せっかくの場をもったいないものにしてしまうんだろうなと感じました。
と、そんなことも感じているので、昨日の「信頼の条件の1つだと考えられるもの」といったようなエントリーも書いているんですが、本当に新しいものを生み出していくというのはあらためて大変だなと思います。
無から有は生まれないので、他者への敬意、素材への感謝、先人への尊敬は忘れちゃいけないな、と。自戒の最中です。
別の意味で、ただのWebマーケティング屋さんがこつこつひとりで、現代科学の分野の先端にあるものを独学していて、それが何かにつながるのか?という疑問がありますが、それこそ書き続けていれば、どこからか協力者があらわれてくれるのを信じて、まずは自分の側の知識を磨いておこうと思っている次第です。
この記事へのコメント
ぬぼ
私自身はWeb世界というのは、存在しうるアナザーワールドなのではないかと思っています。
たとえて言うなら、人間尺度で通常の世界と、ナノテク、あるいは原子分子の世界の違いのような。
同じ物理法則が働いているはずなのに、挙動は大きく違って見えてしまう。逆に全然違うように見えても、実は同じ法則の下で動いている。というような感じです。
たとえがたとえになっていないようで、申し訳ないのですが。
tanahashi
生物の定義の仕方によると思うのですが、今西氏の「無生物的生命」は、このエントリーで取り上げた「無機物から生物が」という話とはちょっと違う話だと思います。
このあたりはきちんとスコープを分けて話したほうがいいだろうなと思います。
それこそ、こうしたことをきちんと研究されている人たちに敬意をはらう意味で。
僕も素人で勉強中ですので、きちんと回答できずにすみません。
Webの世界に関しては、詳しい返信をmixiのコミュのほうにしました。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=10021779&comment_count=3&comm_id=1113443
マニ。あ
真空状態では、素粒子という小さな×2粒子が生まれることが判明してます
tanahashi
そうなんですか。
このあと読んだ本に真空がそもそも無ではないと書かれていたので、そういうこともあるんでしょうね。
参考になります。