科学のみならず人生全般にも当てはまる教訓

最近、Webサイトのアクセスログ解析からベキ分布の傾向を探ったり東証1部上場企業のWebサイトを200社あまり調査したりしてみて、あらためて感じるのは、普段、僕らがいかに勝手な思い込みだったり、目に見える範囲の印象だけで物事を判断してしまっているかということです。

科学のみならず人生全般にも当てはまる教訓がふたつある。第一に、よほど注意を払わないかぎり、なじみ深い巨視的な現象から未知の微視的な現象を正しく推し量ることはできない。現実を一皮めくれば、混沌が渦巻いているのである。第二に、数量が一致しても、特殊な条件下では真理の審判の目を曇らせることがある。
ピータ・アトキンス『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』

これは、科学のみならず、そして人生全般のみならず、マーケティングにも当てはまる教訓ではないでしょうか? まさに「現実を一皮めくれば、混沌が渦巻いて」いて、その混沌(カオス)の中では、バタフライ効果よろしく、ごく小さな違いが大きな変化に発展することもあります。

感覚的すぎる思考

昨日も書きましたが、Web2.0どころか、Webマーケティングでさえも、これだけ話題としては拡がっていても、実際にそれを実行できているのは、200社のうち、ほんの2割程度であったり、ロングテールだとはいっても結局それは昔からあるパレートの法則と同様に、高いヘッドがなくては話にならないし、かつその高いヘッドはある程度長い尻尾を切り捨てずに育てること-例えば、Webサイトで検索エンジン経由で下層のページに入ってくるからこそ、トップページ他のアクセス数の多いページがさらに伸びたり、個人のブログでもこまめに1つ1つのエントリーを丁寧に書き続け、それなりの評価(ブックマーク)を得ていれば、たまにあるエントリーが突如、人気エントリーになり、それをきっかけにアクセス数がスパイラルアップ的に向上していくこと-が不可欠だったりということは、ある程度きちんと定量的な調査をやってみてはじめて事実として捉えることができたりします。

古代ギリシャ人が科学者としておおかた失格だったのは、実験をおこなわなかったからだ。理論を考えるだけで、あまねく共有できるようにコントロールされた経験にもとづいてはいなかったのである。
ピータ・アトキンス『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』

実際、マーケティングにおいても、理論と実行の溝は深い。そして、なにより理論と実行の間を埋める実験と測定が抜け落ちています。
効果測定だ、ROIだというものの、そう口にした瞬間、理論も実行もどこかにいってしまって、たんに予算と効果を金額的に推し量るだけのものに落ちぶれてしまうことが多々あります。コントロールすべきはたんに予算のみではなく、共有できる経験だというのに。

定量的すぎる印象

「数量が一致しても、特殊な条件下では真理の審判の目を曇らせることがある」。マーケティングにおいて「特殊な条件下」ではない環境など存在するのでしょうか? すくなくとも十年前の条件は現在の条件と比べれば特殊です。それよりはるか昔につくられた理論だったり、方法論だったりが、いまの市場ではたして通用するのでしょうか?
そう。小さな違いがカオスが渦巻く現実の市場では、大きな変化となり、たんに数字の一致を見ていただけではかつての成功を再び同じ方法で再現することなどできないでしょう

数字だけを判断を下しても、感覚だけを頼りにした印象でものごとを進めても、いずれも成功には結びつかないでしょう。
ようはバランスといえば、あまりに単純化しすぎですが、数字からは目に見えないパターンを読み取り、それを豊かな感覚で肉付けして身体的に理解すること。そういうマーケティング・マネジメントがいま必要とされているんだろうなと感じます。
イメージとしては、人の血が通った人の心がわかる科学者としてのマーケター。数学を理解し、同時に、感情を理解する。そんなことが必要で、どちらか一方でやろうとしてもきっとうまくいかないんじゃないでしょうか?

このように維持された非平衡の構造の例のなかで、最も驚くべきものが木星の大赤斑である。大赤斑は、あの巨大な惑星の大気の上層部にできた渦巻きであることがわかっている。つまり、本質的には暴風のシステムであるが、少なくとも何世紀にわたって存在してきた。(中略)これは物質とエネルギーの安定な組織であり、物質もエネルギーもその中を流れていく。興味深いことに、構成要素である分子が、一生のうちで何度も交換される人間の組織は、これと類似の性質をもつとみなすことができる。
スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』

僕たちは感覚的に、どうしても変化の少ない安定した平衡構造を想定してしまいがちです。しかし、実際の現実はそんな僕らの印象の皮を一枚はがせば、暴風の吹き荒れる非平衡の構造をもったカオスなんでしょう。しかし、そんな現実に目をむけず、安定した状態を想定して、何らかの計画を立てても期待した結果がでることはよっぽど運が向かないかぎりありえないのではないでしょうか?

ほとんどの細胞にとって、平衡状態は死を意味するのである。
スチュアート・カウフマン『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法測』

僕たちが相手にしているのはすくなくとも死んだ細胞の集まりではないでしょう。それなのに、なぜ平衡状態や正規分布の平均や標準偏差を期待してしまうのでしょうか? とにかく、マスマーケティングの発想をいったん脇において、一度、カオスの世界に目をむけ、そこからベキ分布の裾野が広がる自己組織化される様を、自分の目で、そして、自分の経験としてとらえてみてはどうでしょうか?

マーケティングの未来はきっと数学的思考とクリエイティブな感覚の融合による地道な努力の果てに拓けてくるのではないかと思っています。そして、それは組織に芽生えるというよりも、個々人に芽生えるという意味できっと組織におけるマーケティングはいまとは大きく異なる様相を呈するのでしょう。

 

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