2006年09月01日

歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化/スティーヴン・ミズン


本タイトル: 歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化

コメント:
ヒトはもしかするとヒトになる以前からマーケティングをしていたのかもしれない。
認知考古学の第一人者で、ヒトの心の進化を追究しつづけるスティーヴン・ミズンが言葉と音楽の起源について探求した『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』は、そんな感想をもった1冊でした。

Hmmmmm:言葉と音楽の起源

これまでヒトの進化の歴史のなかで言葉の誕生の影に隠れて、脚光をあびることの少なかった音楽。これまでの音楽の誕生に対する主要な見解は、進化の過程で言葉の副産物として誕生したというものだったといいます。それに対して、ミズンは初期人類がむしろ音楽様の会話をしていたはずだという論を、現代の脳障害による失語症、失音症や乳幼児への話しかけ、言語学習や絶対音感などの考察と、原生するアフリカ類人猿と人類の祖先の身体や脳の進化と暮らし(狩猟、性生活、育児、社会生活)の考察を元に、音楽と言葉の起源の独自のストーリーを展開します。
Hmmmmmと名づけられた前言語的、前音楽的な人類の祖先のコミュニケーションは、Holistic=全体的で、multi-modal=多様式的で、manipulative=操作的で、musical=音楽的で、mimestic=ミメシス的だったとミズンは考察します。

インフラ、アーキ、アプリの設計、実装

脳の損傷による失語症や失音症のさまざまなケースの考察から、言語理解、音楽理解のための機能が細分化された脳のモジュールからなること、そのモジュールには言語、音楽で共通で使われるものとどちらか一方のみに使われるものがありそうだという推察を披露したり、乳幼児への語りかけに用いる言葉に音楽的要素が多分に含まれることから音楽と言語が初期段階では明確な区分がないことを示したりする第1章は現在のヒトの設計を知る上で示唆に富んでいます。
しかし、僕が興味を強くもったのは、そうした設計が行われ、かつそれが実装される過程としてのヒトの進化の歴史を探った第2章でした。

このデザイン変更の過程はまず二足歩行というインフラの変更からはじまり、脳のメモリー強化へとつながります。そうしたインフラ、アーキテクチャの変更が行われても、すぐに言語と音楽という現在のヒトにとってのキラーアプリがすぐにインストールされたわけではないのは、先にみたとおりです。言語と音楽というアプリの前には、現代の視点からではα版のアプリとでも言えそうなHmmmmmが先にインストールされたというわけです。

マーケティングの起源?

さて、では僕がなぜこの本を読んで、「ヒトはもしかするとヒトになる以前からマーケティングをしていたのかもしれない」などという感想をもったのか?
まずは以下の引用を読んでください。

二足歩行は、これまでより高度な感覚運動制御をおこなうというだけで、より大きな脳と複雑な神経システムを必要とする。こうした理由で進化した大きな脳が、こんどは別の目的にも使われるようになった可能性がある。たとえば、食物探しの企画や社会的相互作用、そして、ゆくゆくは言語にも。ひょっとすると知性は、二本足での歩行の副産物にすぎなかったのかもしれない。
スティーブン・ミズン『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』

食物探しの企画社会的相互作用言語知性、それが二足歩行にはじまる脳の大容量化の副産物であれば、これこそマーケティングの起源のように僕には感じられます。逆に言えば、食物探しの企画、社会的相互作用、コミュニケーション以外にマーケティングに何が必要でしょうか?なんてことさえ感じます。

二足歩行をはじめたヒトは、自然界の環境に関するコミュニケーションのため(まさに食物探しの企画のためだ!)にHmmmmmを発展させ、セックスのためにさらにHmmmmmを発展させ、さらに子を育てるためにさらにHmmmmmを発展させ、さらにさらには異なるアイデンティティと感情をもった者どうしの集団生活のためにさらにさらにHmmmmmを発展させていったことを、ミズンのストーリーは語っています。

不信感の解消

そして、共同生活にはとうぜん問題が生じます。
囚人のジレンマモデルが面白いのは、実生活の状況の本質をとらえているところだ。今後けっして会わないだろう見知らぬ他人を助けるかどうか決断しなければならないこともある。だが、もっと多く遭遇するのは、今後もきっと会うだろう相手−家族や友人や同僚−を助けるかどうかの決断を迫られる場面だ。私たちは、それぞれの相手について、信頼性、誠実さ、協力の姿勢を考慮するだろう。つまり、私たちは相手が自分(や、ほかのだれか)を過去にどう扱ったかに基づいて決断をする。
スティーブン・ミズン『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』

大規模な狩りをするため、危険な敵から身を守るため、猿の時代よりはるかに大変になった出産に望むため、成長まで時間を要する子育てに専念できるようにするため、ヒトは集団で暮らすようになったが、「私たちの祖先が直面し、現代の私たちも直面しているジレンマは、裏切りの蔓延は全員の損失になること、それよりは協力が全員の相互利益になることをいかに保証するかだ」という課題がすぐに浮かび上がってきます。まさにこれは「企業への信頼、企業で働く人への信頼」で書いた信頼の問題です。そして、逆に言えばこうしたコミュニケーションの問題こそ、マーケティングの問題でもあるでしょう。

共同で音楽を作る人たちは自分たちの心と体を共通の感情に成形し、そうすることで自己同一性が消えると同時に他者と協力する能力が増す。いや、「協力」は正しくない。同一性がまじり合って協力すべき「他者」は存在しなくなり、どう行動するかを決定するひとつの集団と化すからだ。
スティーブン・ミズン『歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化』

音楽と言語が分かれる前、Hmmmmmには集団に暮らす個体を集団に変え、裏切りや不信感から守ってくれる機能があっただろうとミズンは記しています。
企業への不信感、同僚への不信感、ブロガー同士の争い、決して理解しあえない場面に遭遇した際、言葉はあまりに無力だと思います。いまやマーケティング環境はそんな不信感や争いで満ち溢れています。そして、それはこの本を読むかぎり、いまも昔もあったものだと感じます。ただ、1つ違うのは、かつては音楽と言語は一体だったということなのかもしれません。

さて、信じる力をいかにすればヒトはふたたび取り戻すことができるのでしょうか?

評価: stars

評価者: gitanez

評価日付: 2006-08-29

画像(URL):

著者: スティーヴン ミズン

出版年月日: 2006-06

出版社: 早川書房

ASIN: 4152087390

posted by HIROKI tanahashi at 01:17| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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