「データというメスでネット企業を『解剖』する」ということ

最近、磯崎さんの「グーグルは「広告業」ではない」という記事に関する反応をいろんなブログで目にしたりします。
この記事、元はといえば、磯崎さんのブログ isologue のこのエントリー「グーグルは「すごい」のか「すごくない」のか(財務的に見たGoogle)」から派生しているものだと思います。

磯崎さんの記事も、それについての反応もそれぞれ興味深いんですが、ここではそれらに書かれた個々の内容については一切触れません。
ここで触れるのは、そうした反応をみて感じた「あれ?」っていう部分、磯崎さんの記事の前提となっている、これ↓が意外と外部からの反応の際には抜け落ちちゃってるんじゃないの?ってことについて触れてみようと思うんです。

前回の「プロローグ」で、本シリーズでは、単に定性的にWeb2.0企業を語るのではなく、「データというメスでネット企業を『解剖』する」として、財務データや統計などを用いてネット企業の実像を明らかにしていきたいと述べた。

磯崎さんがわざわざ「定性的に語るのでは」ない方向を示してくれたのに、なぜか「定性的に語る」方向に戻っちゃってるなって感じるものが多いのは、大いに気になるところです。
もちろん、定性的に語ることがまったくナシっていうことじゃないと思うんですが、それだけだとやっぱり表面化している部分に隠された背後のアルゴリズムが見えてこないってことはあると思うんですよね。
で、そのあたりを「メスで解剖」しようっていうのが、磯崎さんの試みのはずなんですが、その主旨がどっかに消えてしまっちゃうのはいかがなものかとも思うんです。Google自体がそういう背後に隠れたアルゴリズムをうまく活用することで、成功している会社だけに、分析する側にもそうした視点がないと、これまでと通りの企業分析に終始してしまうんじゃないかなと懸念を抱いたりもしたわけです。

収斂現象に惑わされない

進化生物学者を惑わす収斂現象というものがあります。
イカの眼とヒトの眼は、とてもよく似ている。これは、進化生物学者を惑わす「収斂現象」の好例である。収斂現象とは、異なる動物門のあいだで、対応する器官がよく似た基本構造から独立して進化し、同じ機能をもつようになる現象をいう。しかし、すでに述べたように、ある動物がどの動物門に分類されるかは、外部形態ではなく体内の体制で決まる。
アンドリュー・パーカー『眼の誕生―カンブリア紀大進化の謎を解く』

企業分析を行う場合でも外部の形態(定性情報)からのみ分析してしまうと、収斂現象に惑わされることもあるのではないかと思うわけです。
磯崎さんが定量的な手法でGoogleと電通を比較するのは、外部形態の分析だけでは惑わされがちな収斂現象というワナを避けるためだと考えます。

対象はまったく違いますが、「ベキ分布を示すWebの法則性」で僕が試みてるのも、普通のアクセスログ解析ツールで描かれる線形的グラフだと、高く鎌首をあげたヘッドの部分とそこから長く連なるテールの部分として同じように描かれる「検索キーワード」と「ページ単位のページビュー」が、両対数グラフをとって分析してみると実はテールの長さに大きな違いが見られるという発見が、定性的分析(視覚をはじめとする感覚による外部形態の分析)ではみえなくても、定量的分析(数値データの数学的、統計学的ツールを用いた分析)ではみえてくるということだったりします。
人が直感的に理解するものって、結構、外部形態の分析に最適化されている分、意外と背後にあるアルゴリズムを見落としがちで、それで間違った答えにたどり着いてしまう場合もあると思うんです。

定量分析もおもしろいですよってこと

繰り返しますが、僕は定性的分析が意味がないといってるわけではありません。ただ、定量的分析の試みが新しく行われているところに、定性的分析による意見をいってもちょっと噛み合わないところがあるなと感じたという点を指摘したかったわけです。ようは両方、バランスよく試みたほうがいいと思うわけです。

それともう1つ。
たまには定量的分析もやってみると、普段目に入らないものが見えてきておもしろいですよっていうことでしょうか?

 

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