アートフル・サイエンス―啓蒙時代の娯楽と凋落する視覚教育/バーバラ・M・スタフォード

分けることが分かることだとすれば、印刷文字以降の人びとの思考スタイルほど、紙の上でさまざまな物事を分けて配置し、その位置を定めることで物事を定義することに傾いた時代はない。
ある言葉は辞書に記された定義のように現実の世界を正確に映しているとでもいうように、人びとは実世界から切り離された涼しい会議室のなかで、あーでもないこーでもないと議論をし、定価で買える間違いも不良もないブランド品を求め、いつでも同じクオリティの品をいつでも同じ価格で購入できるようなモノ—記号の結びつきを疑わなかった。高いモノはいいモノで、価格はその品の価値を反映しているし、言葉はそれが指し示す対象をいつでもぶれることなく指し示しているかのように信じていた。

ところが、どうだろう? このあらゆるテクストが超高速でソーシャルメディアのTLやウォールの上を流れては消えるおしゃべり化する社会で、何かこれは確かなものだといえる。定義や定価があるだろうか? ある言葉はいつでもおなじことを指し示し、誰に話しても同じように理解されるような確かさをいまだに持ち続けているだろうか?
そんな先行きが不透明であやふやになりつつある世の中で、インフォグラフィックスやプレゼンテーションスキルやユニバーサルデザインのような「わかりやすさ」のための手業を人びとが求めるのは、まさにそうした確かさの時代の終わりにさしかかった過渡期の世界の象徴的な反応ではなかろうか?



言葉のアクロバティックな応酬は見事な芸術と機械仕掛けの「いかさま芸」の間をあざとく揺れる。自らの画技をこれ見よがしに見せつける絵の画像と同じように目くるめくような能弁に酔う曲芸じみたお喋りは悪趣味とされた。

まさにユーザーフレンドリーなUIや、聴衆を魅了してやまないプレゼンテーションなどが目指すところは、この機械仕掛けの「いかさま芸」と変わらない。ただ、その「目くるめくような能弁に酔う曲芸じみたお喋り」がここでスタフォード女史がいうような18世紀当時とは違って「悪趣味」とされないのは、まさに時代の矛先が正反対を向いているからではないかと思う。

既にして17世紀の宗教闘争の中で、北方プロテスタントたちが抽象的な読み書きを目指したのは、人をあざむく語、人を惑わせる聖像に拠る「ローマ的伝統」を打破しようとしてのことだった。

17世紀の北方プロテスタントたちが抽象的な読み書きを目指したのに対して、僕らの時代はその抽象的な読み書きの終わりに向かおうとしている。その先にあるのは、人をあざむくおしゃべりや人を惑わせるイメージの多様で豊穣な世界だと思われる。
「幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、また、包括的な記述や、ことばによる自己分析」。こうしたものがテクストによって形づくられた思考スタイルと断じたのは、先日紹介したウォルター・J・オングである。そうしたテキスト偏重の思考スタイルが18世紀の末に葬った非テクスト的表現としての視聴覚的イメージがもっていた猥雑な力に光をあてるのが本書の著者バーバラ・M・スタフォード女史である。
テクストの力が衰え、世界を知る術を見失って人びとがうろたえ、困惑しつつあるいま、スタフォード女史が光をあてる視聴覚的イメージを最大限に活かしたエンターテイメントな視覚教育の力を見直すことも必要であるだろう。

17世紀のデカルト的な懐疑の知をひきずりつつ、その世紀後半にはどうしようもなくはっきりする深い専門家的観察と上っつらの讃嘆の区別が浮き彫りになるの18世紀という大いなる過渡期

世界が大きく変わるうねりのなかの過渡期といえば、この本でスタフォードが焦点をあてる18世紀ほど、そうした時代はないのではないかと思う。

神のつくられた完璧なる世界を信じ、それを模倣する方法がすなおに信じられていた中世までの写本の時代から、グーテンベルクの印刷革命を経て、デカルトの『方法序説』に代表されるような懐疑を根本におく「新しい哲学」が芽生えてきた17世紀初頭に詩人のジョン・ダンが「新しい哲学はすべてを疑わせる」と歌ったことを教えてくれたのは、『円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」』を書いたM.H. ニコルソン女史だけれど、そんなデカルト主義あるいはベーコン主義的な懐疑によって世界のメカニズムを読み解こうとする人間の試みが、実際すぐに実を結んだかといえばそんなはずはない。
オングマクルーハンが指摘した印刷技術による思考スタイルの大きな転換は、自分たちがそれまで慣れ親しんできた古い時代の思考のしかたを時代遅れにする方向には迅速に働いたのだけれど、それに取って代わる新しい思考の基盤を人びとが用意する方向では、むしろ、遅々とした歩みを人間に強いたのだと思う。

とはいえ、新しい思考のスタイルに必要とされる方向性だけは決まっていた。

反イリュージョニズムの立場は17世紀末フランス懐疑派の自由主義の伝統に根を持っていた。フォントネルのデカルト的な懐疑の知が働いて、やがて18世紀後半にはどうしようもなくはっきりするはずのある重要な区別が浮き彫りになる。彼は深い専門家的観察と上っつらの讃嘆というものを区別した。いかにも魅惑的という現象に目を止めるぐらいのことなら、舞台の上の驚異や奇跡を眺めるのと同じく、「一種の魔術」なのであって、深い理解など何も必要ない、と。

そう。それは紙に印刷された活字のように地味だがブレない表現と、豊穣な多様性はもち魅力的ではあるが、なんともあやふやで幻惑的な演劇的な表現とを区別することであった。このあたりは、3年前にも「近代文化史入門 超英文学講義/高山宏」で指摘していることなので、詳しくは述べない。

そして、この区別をつけるのに、17世紀後半から1世紀以上の時を費やしたのだが、その結果が僕らの時代のいまのいままで効果をもっていた。そう。その効果があやしくなってきているのだから、一度、それが生まれた原点に立ち戻ってみるのがかしこいのではないかと考える。自分たちの足場があやしくなっているのだから、その足場がどんな風にできたかを確かめておくことが、この危機的状況から抜け出す早道だと感じるのだ。

面白く、より優しい視聴覚的エンターテイメント教育こそが役に立つ

そんな風に、あやしげな視聴覚的スペクタクルから、より厳密に定義された機械的世界への道を歩もうとする一方で、18世紀というのはなんとも面白い時代で、その自らが排除しようとする視聴覚的表現の豊かさ、おもしろさを、いっぺんに余剰なときをもちはじめた一般市民の余暇のレクリーションかつ子供たちの教育にも役立てようなどというなんとも過渡期的な矛盾した様相をみせるのだ。

1760年代に追放されるまでフランスに広く力を揮ったイエズス会のシステムが、子供の生理を美学化したものに立脚していたことを思いだしてみよう。アベ・ラ・プルーシュがその画期書、『自然のスペクトル』(1732-1750)で言っているように面白く、そしてより優しい学び方こそ役に立ったのだ。本当にいたいけな子供ですら、「[自然の]外部をのみ、五感を打つもののみを」見るように言われた。

印刷以前で聖書など私有できるものではなく、それゆえに人びとが一同に集い、神の声を教会で聞くことが信仰活動そのものであり、かつ学問的にも大学での議論というリアルタイムイベントによる体験的学習スタイルをとったスコラ学派が主流であったのだから、もともと視聴覚的で演劇的なスタイルには慣れている。
そこに新たに当時としては目新しい様々な影絵投影機のような光学イリュージョン、機械式からくりが「わかりやすく」かつ「新たな学」を感じさせるコンテンツを大量に提供したのだから、これは古いシステムに振りかける、まやかしの「新鮮味」としてはこの上なく効果を発揮した。まさに混沌として猥雑なバロックである。

こうし街中での喧騒は、様々な視聴覚的表現のイリュージョンを生む偶像やら聖歌やらミサやらを追いやり、各国語に翻訳され出版された聖書というテクストを個室で静かに黙読することを奨励するプロテスタント的な思考スタイルが受け入れられるまで完全にはなくなることなく、むしろ、うまくあやふやなところにオブラートをかぶせて毒気を消しながら、台頭してきた新しい市民層のためのエンターテイメント的教育方法として用いられる。いまで言えば、一時期、DSが学習ソフトでユーザーを増やしたようなものである。教育の名が付けば、多少の悪臭も気になくなるのは、印刷技術的思考の初期から続く傾向なのだろう。

迷誤をうむ危険な源であるから、教会の指導なく読むことまかりならぬとするカトリックの書物観を嘲るかのように、ルター派もカルヴァン派も個人的読書の習慣を奨励した。

その一方、街の喧騒をよそ目に、教育のない人びとは、街中で繰り広げられる手品師や詐欺師やインチキ医者や公開実験家やらのなんとも魅力あふれる手業に魅了され、欺かれたのだというのが、テクスト偏重に人びとを導いた啓蒙思想家たちの言い分であった。

合理的リクレーションは幻想的な、あるいは「非」合理なリクレーションに対峙する計算ずくの対蹠者という存在でもあった

そうして一方では視聴覚的表現を大いに駆使して楽しみながら学べ、ついでにヒマもつぶせる合理的リクレーションがもてはやされた。

合理的リクレーションは即ち視覚を介する教育であった。啓蒙の娯楽は目が、欺きのないパターン、精神を形成してくれる形態に適当に淫することを許した。国境を越えてアピールするこの大衆教化の形式はあたらしい感覚テクノロジーの助けを借りる。

ところがもう片方では、同じ視聴覚的表現のわかりやすさと魅力をもって、人びとを欺かんとした輩が跋扈したのが18世紀である。むろん、清濁混沌したその様相もまさにいまこの時代と瓜二つだ。

そしてまさにここに問題が生じたのだ。光学的にやりとりされる情報というものは、手品師、おもわく師、策士、にせ医者、興行師、器具制作者といった、要するに怪しげな眷族が次々繰りだす十八番でもあったのだ。こうして合理的リクレーションは幻想的な、あるいは「非」合理なリクレーションに対峙する計算ずくの対蹠者という存在でもあった。

そう指摘しつつ、ジャン=バティスト・グルーズの描くバラの花を鼻先に近づけるポーズをとる少女の絵とジョセフ・ライト・オブ・ダービーの見物の人びとが集う公開科学実験の様子を描いた絵を併置してみせ、するのがスタフォード女史のすごさだと書いておこう。
グルーズの描く少女の手つきが手品師的であるとすれば、ライト・オブ・ダービーの描く人びとの凍りつくような身振りは、欺くことのない真実を明るみに出さんとするかのように静止するのだ。この手品師のなめられかな手つきとは正反対の、計算づくの振り付けによるぎこちない演技はまさに、その後の科学的パフォーマンスを先取りしている。



本書には、こうした18世紀の目だま人間たちが目にした光景をシミュレーションしてくれるような図版が大量に引用されている。まさにテキストのみならず視聴覚的表現の可能性をもう一度引き出さんとする著者ならではだといえる。

18世紀の啓蒙時代の誠実さ狂いは、19世紀のロマン主義の本物狂いへとつながっていく

かくして、18世紀も末に向かうにつれ、街の手品師や詐欺師たちの生み出すイリュージョンと、科学的パフォーマンスの区別は明らかになりつつあった。
この流れをみるのには、「エキシビショニズム」と名付けられた第4章がなんとも素晴らしいのだが、ここではそれを紹介する余裕はない。けれど、一言だけ書いておくなら、その自然のスペクタクルから、それを美術館の回廊にまさに活字を並べるかのようにレイアウトしていく置換え技術の登場がなければ、現在僕らがディスプレイごしのヴァーチュアルな映像に世界を感じることなどできなかっただろうということか。

さて、そんな別のまやかし=ヴァーチュアルなリアリティを生みつつ、18世紀は印刷技術がもたらした懐疑する世界にも依って立つ足場をもたらしたといえよう。その足元を照らし出す思考スタイルの模索が啓蒙思想だったのだろう。

知的ならざるがらくたを小器用にでっちあげる小手先の技術屋は新哲学者たちの詐欺指弾の恰好の標的となった。要するに、「蒙きを啓く」とは、あらゆる種類の詐欺から、その仮面を、そのだましの戦略を大衆に教えることによって剥ぐことの謂に他ならなかったのだ。

そして、この啓蒙時代の誠実さ狂いは、18世紀後半から19世紀前半のロマン派の本物狂いにつながっていくのだという。

ロマン派が啓蒙時代の哲学から相続したこのプラトニックな現実観は、ある二項対立を基礎にできていた。「オリジナル」というか大元のモデルが「リアル」もしくは「正しい」とするなら、後に続くコピーは必ずアンリアルであったり、偽りのものであったりするはずである。こうした二元論的な美的意味合いを分析しようとすれば写しの問題を見るにしくはない。複製されたイメージを含め物質的な品々はー文字通りにも存在論的にもー本物でないとする批判にさらされた。

この本物と偽物の区別などはまさにいま僕らが失い/疑いつつあるものそのものだろう。
そして、それはテクスト偏重の思想の終焉だともいえる。

だが、それを真に終わりにしたいのであれば、僕らはきっと18世紀の啓蒙思想に生きた人びとの道のりを逆にたどり、豊穣な視聴覚的エンターテイメント表現を再び手に入れなくてはならないのだ。

 

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