2011年08月06日

おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは人間が離れた場所から目を向けるグラフィカルな視覚重視のものから、人が内部に参加する形でそれを体験する建築的なものへと移行する

最近、HTML5の影響やタッチデバイスのUXからの転移もあってか、これまでとは異なるデザインのWebサイトが増えてきているように感じます。

例えば、イギリスのデザイン・エージェンシー、TME Solutions

TME Solutions

このサイトの構造は従来のページ遷移型の構造をしていません。いちおページ単位で個別のヴィジュアルが展開されていますが、構造的には紙を折り畳んだパンフレットのように上から下まで連なった形をしています。
グローバルナビゲーションが後から追いかけてくるUXの是非はともかく、ページを遷移せずにみせる形式は一枚の紙の一覧性の良さと同様に、ユーザー自身が情報全体のなかでの自分が見ている現在位置を把握しやすいという利点があります。

類似の構造をもつのがReverse Büroです。

Reverse Büro

こちらは、TME Solutionsのように上下方向だけに情報をレイアウトするのではなく、右上にあるナビゲーション要素で示されているように、左右にも情報が配置されています。ただ、一枚の紙に情報を配置しているかのようなユーザー体験が得られる点では、同様の構造であると考えられます。

こうした例では、スマートフォンやタブレットなどのタッチデバイスでのページをめくるようなユーザー体験が、PCブラウザでのマウスを使った操作にも移植されているような流れを感じます。さらにHTML5で可能になった様々な表現がそうした流れを加速させています。もちろん、タッチデバイスでは直接画面に指で触れられるのでページをめくるような感覚を演出するのもそうむずかしくありませんが、マウス+ポインターという画面に対して非接触的なインターフェイスの場合、めくっている感覚そのものをUIを介したインタラクションのなかに埋め込む形でデザインする工夫が追加で必要になるはずです。

僕は、このUIのなかにユーザーの体験自体を先に擬似的に埋め込んでおくようなデザインが生じてきたところに、視覚重視のグラフィカルなデザインから、触覚−聴覚的な建築と類似するデザインへ、といった流れがあるのを感じます。そう。対象を離れた場所から客観的/傍観的に眺めるための視覚的デザインから、建築空間がそうであるようにその内部に参加して体験することではじめてその存在を感じられるような触覚−聴覚的なデザインへ、という流れです。

それは情報の発信者と受信者を隔てがちで情報の受け手を常に外側に想定しがちだったマスメディアの流れを引きずるコミュニケーションから、情報の発信者と受信者の境界がなくなり誰もが発信しつつ受信するソーシャルメディア的な参加型のコミュニケーション空間への移行とも重なりあって、今後もその流れを押し進めていくのではないかと思われます。何よりソーシャル化の傾向のひとつの特徴として、「おしゃべり化」を挙げている僕としては、触覚−聴覚的な方向へのデザインの傾向は理にかなっているように感じられるのです。

というわけで、今日は、この視覚重視デザインから触覚−聴覚重視のデザインへ、という話題で書いてみます。

建築という聴覚−触覚的メディアのなかで中世までの人びとは音を浴びせられていた

まず、最初は視覚文化と聴覚−触覚的な文化の違いを「光を当てる⇔光を浴びる」の違いとしてみていくことにします。

すでに「人間や社会にどんな知的ソフトウェアがインストールされているかを知り、それが変更されると何が変わるかを想像できるようにすることの必要性」でも書きましたが、ヨーロッパの古代から中世にかけては、建築は情報メディアそのものでした。ヴィクトル・ユゴーが作品『ノートルダム・ド・パリ』の登場人物である、ノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロに「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を」といわせているのは、まさに情報メディアとしての建築が新しい情報メディアとしての書物に取って代わられるときの訪れを感じてのことでした。

ただし、建築が情報メディアであるという場合、その情報は本などで扱われる文字としての情報ではありませんでした。
建築という情報メディアが載せた情報は、声としてのことばだったのです。

以前、「世界劇場/フランセス・A・イエイツ」という記事でも紹介しましたが、古代ローマの建築家であり、ヨーロッパにおける最初の建築理論書である『建築について』の著者として後世に伝わるマルクス・ウィトルウィウス・ポッリオは、建築設計の最重要な問題をその内部でどのように音声を扱うかということだと捉えていたのも、まさに建築こそが声の文化における情報メディアであったからです。

また、マーシャル・マクルーハンの『メディア論―人間の拡張の諸相』での「グーテンベルク以後、視覚があらたに強調されたために、すべてのもののうえに光を要求することとなった」という指摘を元に、それ以前の中世に生きた人びとは、「対象に光を当てて見る」現代の僕らと違って、「現実のほうがわれわれを透かし見て」おり、かつ「聖なる光を見るのではなく、それを浴びる」という感覚を持っていたことを紹介したのは「声だから空」でした。
その記事では「閉じられる目、閉じられない耳」という表現で、折口信夫さんらが指摘する日本の古代の「みこともち」なども参照しつつ、対象を離れた場所から光をあてて見る視覚中心の文化と、自分が求めるかどうかにかかわらず四六時中まわりのあらゆるものから音を浴びせられる可能性をもった聴覚中心の文化の違いを指摘しました。

これが光を当てる/音を浴びるです。そして、聴覚中心の文化においては、光もまた音と同じように対象に対して当てるものというより、自らが聖なる光を浴びるものと考えられていたのです。これに関しては、ステンドグラスが嵌め込まれ、自ら(聖なる)光を放つゴシック建築こそが、聖なる声と同様のパワーをもった情報メディアであったことを先の記事で紹介していますので、興味がある方は読んでみてください。

もちろん、人間をその内部に参加させることで、その存在を体感させる建築は聴覚的メディアであると同時に、彫刻などと同様に触覚的メディアにほかなりません。ル・コルビジュエが建築を理解するには昼間より夜がいいといったのは、それが視覚的存在である以上に聴覚−触覚的であるからだといえるでしょう。

声の文化においては人間は常に空間の中心に参加していた

次に「疎外⇔中心」という対立を見ます。

声の文化から、書き文字の文化さらには印刷文字の文化へと移行するなかで、人間の空間認識やそれに対する価値観そのものが変化したことをマクルーハンは指摘しています。
まず、建築ということでいうと、声の文化に生きる人びとは、丸い家屋に暮らしていた点にマクルーハンは着目しています。

人間は、定住して、仕事の組織が専門分化してくるまで、丸い家屋に住む。(略)テントあるいはウィグワムは閉じられた空間でも、視覚的空間でもない。同じことは、大地に掘られた洞窟や穴蔵についても言える。この種の空間−テント、ウィグワム、イグルー、洞窟など−が見たところ「閉じられた」感じがしないのは、それが三角形のようにダイナミックな力線に従っているからである。囲いこまれ、視覚空間に移し変えられると、建造物はその触覚的な運動迫力を失う傾向にある。
マーシャル・マクルーハン『メディア論―人間の拡張の諸相』

なぜ、声の文化に生きる人びとが丸い家屋に住んだのか? これは声−音というものの性質を考えてみると理由がわかります。

ウォルター・J・オングが次のように言っているのを参照しましょう。

メルロ=ポンティが述べたように、視覚は切り離す。視覚は、一どきに一方向からしか人間にやって来ない。つまり、部屋を見たり風景を見たりするためには、目をあちこちに動かさなければならない。ところが聞くときには、同時にそして瞬時に、あらゆる方向から音が集まってくる。つまり、わたしは、自分の聴覚の世界の中心にいる。その世界はわたしを取りかこみ、わたしは、感覚と存在の一種の核の位置にいる。
ウォルター・J・オング 『声の文化と文字の文化』

すでに書いたとおり、視覚は対象にスポットライト的な焦点をもった光をあてることで、その対象を見えるようにします。つまり、見るという行為は対象を図として判断するために、まわりの地の部分を見えなくします。
一方で、耳で聞く声−音は、聞く人が好むか好まないかにかかわらず、あらゆる方向から浴びせられます。「閉じられる目」に対する「閉じられない耳」です。人は常に自分の聴覚世界の真ん中にいて、あらゆるところから見られているのです。この音世界における中心性が声の文化の人びとの居住空間を丸くするのでしょう。


書かれた言葉は均質で連続的な人工空間の上で人間を孤立させる

同じような意味で声を聞く人は、自分自身を世界や状況から切り離すことができません。声の文化に生きる人の思考は、きわめて状況依存的でハイコンテキストであるとオングは指摘しています。抽象的な話題は彼らを引きつけることなく、生活に密着した思考で世界をとらえるのだと言います。彼らは常に世界と一体化しており、自分自身だけでなく、世界のあらゆる存在を客観視することができません。声−音からは逃れることができないからです。
声−音は常に自分の意志とは無関係にやってきて、自分に何らかの影響を与えるようなパワーを発揮します。声の現れた瞬間には消える性質は、まさに折口信夫さんのいうマレビトであり、神そのものです。それは視覚中心文化の人が好むような形で定義することはできないし、論理的に証明することもできない存在ですが、あきらかに存在するものに影響を与えるパワーを持ちます。人はそうした神としての声と一体となった世界で生きていたのです。

そんな人間を、文字として書かれたテクストは世界から孤立させました。
何かひとつの対象に焦点を当てるということは、前提として見る者をその対象から切り離すからです。人は客観的に世界を眺めるために、世界から切り離されたのです。視覚重視の意識が生まれたとき、人は自らが知ろうとする対象と知る自分自身のあいだに亀裂を生み、それによって世界から永遠に疎外されたのです。

テクストを作成する作業をする人間は孤立していますし、テクストを読む人間も孤立します。読書は基本的にひとりでないとできません。セミナーの場でも演劇などの空間でも誰かが話す声を聞くことはみんなでいっしょにできますが、読書をみんなで行なうというのはたとえ場の共有はできたとしても厳密には不可能です。聴衆という言葉は集団を示して一種の連帯感を感じさせますが、読者という言葉はたとえそれが集団を指す場合でもそれぞれの読者はひとりきりで本を読んでいます。
誰かといっしょに読む際には声をともないます。母親が小さな子どもに絵本を読んで聞かせるときのように。しかし、視覚中心の文化に移行した人間は、声を出して読むことをやめたのです。

視覚空間は人間が作った人工物であるが、聴覚空間は自然の環境形態である。視覚空間は眼が他の感覚から抽象され引き離されたときに、眼によって創造され知覚された空間である。その特質に関して言えば、この視覚空間は連続的、均質的(画一的)そして静的な容れ物である。そして他の諸感覚やその独特の様態との相互作用から抽象されてあるという基本的な意味において、視覚空間は人工物である。
マーシャル・マクルーハン、エリック・マクルーハン『メディアの法則』

そうして人はかつて自分が参加していた世界から自らを切り離し、別の視覚的世界を作ったのです。

印刷技術が物理的に同じものを反復生産してみせたあとはじめて、正確な観察の結果を正確に記述・表示する方法を必要とする近代科学が可能になた

先ほど、声の文化の人びとにとって丸い家屋が自然であったことを紹介しましたが、一方で、文字の文化、視覚中心の文化の人びとにとっては、丸い空間は不便です。それは境目がなく焦点が結びにくい空間だからです。焦点が定まらず力点が移動してしまう丸い壁では、一点に焦点を当てる「見る」という行為がままなりません。

あらゆるものが空間のなかであいまいなまま蠢いているような場を視覚中心の文化に生きる人は好みません。彼らが好むのは、さまざまなものの位置が定義され、価値が定価として定められてあるような場です。あるいは、そのような決まったグラフィカルな配置を可能にする、連続して均質な目盛りが刻まれているような時空間でした。

いずこであれ、西欧的環境のなかにいる子供は、均質な時間、均質で連続する空間という抽象的な時間空間、すなわち対象をはっきり限定し、視覚化して提出する技術が作り出したものによって取り囲まれている。そしてこのような均質な時間空間のなかでは「原因」はすぐ「結果」を生み出し、それがまたすぐ原因になるという連鎖性をもつために、事象は同一平面のうえでつぎつぎと連続的に発生してゆく。

正確な観察は古代からあったのだとオングはいい、つまり、それが近代科学を生んだわ​けではないのだと指摘しています。
むしろ、近代科学が生まれたのは、正確な観察の結果を正確に記述・表示する方法が印刷によって確立されたからだとオングはいっています。

声の文化はもちろん書き文字文化も同じものを正確に反復する術をもたず、誰も正確に表現されたモノを知りませんでした。いや、正確に表現するということ自体、不可能だったからこ​そ、誰もそれに価値を感じることはなかったのです。それに価値が感じら​れるようになったのは、あくまで印刷技術が物理的に同じものを反復生産してみせたあとのことでした。そこで人ははじめて正確な観察の結果を、正確に繰り返して表現できるようになり、近代的な実験科学の前提条件が整ったのです。

それには印刷された本のページが作り出すような人工的で均一なグリッドレイアウト空間が必要でした。そのときから人はグリッドレイアウト空間のグラフィカルな人工空間のうえで目玉を中心に生きる世界から疎外された存在となったのです。

かつて言葉は記号ではなく、それゆえモノにタイトルとしての言葉がつけられることはなかった

さて、記号 sign という語の元になったラテン語の signum という語は、もともとローマ軍の部隊がそれぞれの隊を見分けるために高く掲げられた軍旗をさす語であったといいます。語源的には「ひとがそれにつき従うもの」を意味しました。
アルファベットを知ったローマ人にとって記号は文字で綴られた語ではなく、図像の描かれた旗だったのです。そして、それは意味を表すものというより、自らが従うものを識別するために使われていたのです。

書かれた言葉としての文字がすでに使われていたローマの時代においても、いまだ人は完全には文字をモノとして認識することはなく、あくまで声の代替物として書かれた言葉もそれを読む際には必ず声を出して読んでいました。それは印刷技術が生まれるルネサンス以前の中世を通じても変わりませんでした。
書かれた言葉は当初、記号の役割を果たしませんでした。文字で書かれた言葉がレッテルやラベルとして、モノを指し示す記号として使われることはなく、先のローマの旗のように、むしろエンブレムのような図像が印刷技術初期まで記号の役割を果たし続けていました。

僕らがモノと言葉を直接結びつけるような形で、言葉に記号的な意味をもたせることは声の文化のみならず、その後の手書き文字の文化の時代でさえ、人びとの意識にはありませんでした。言葉が何か抽象的な事柄を記号として代表することはなく、言葉がラベルとしての機能をもつことはなかったのです。

印刷技術が生まれ、印刷された本が出版されるようになったルネッサンス期以降もしばらくは、書物や絵画などに作品タイトルがない(もちろん後に付けられたタイトルはある)のは、そのためです。以前「美術カタログ論 記録・記憶・言説/島本浣」という記事でも書いていますが、17世紀、18世紀の美術カタログにさえ、いまのような作品の図版は掲載されていなかったし、作品には今のような「タイトル」はつけられていなかったといいます。それが変化して作品にタイトルがつけられ、同時にカタログに図版が掲載されるようになったのは、18世紀に美術市場が本格的に確立され、商品としての美術作品が成立したときです。つまり、美術作品や本が商品=モノとして市場で扱われるのが当たり前になったことと、印刷された文字をモノ=商品として認識できるようになったのは同時的な変化だったのです。

印刷物がもたらす視覚偏重によって世界から疎外された人間はふたたび新しいUXをもたらすUIによって世界に参加できるようになるのか?

それゆえ、商品が市場にあふれかえるのと、市場が商品名を記したグラフィカルな印刷物で埋め尽くされるのは、まさに同時的な出来事だったのです。そのとき、かつては声のメディアであった建築物も、文字が印刷された本同様に、さまざまな看板やネオンをまとった別のメディアに変わりました。
そして、これまでの情報のデザインというのは基本的に、印刷された本を皮切りにモノが商品になったと同時に、言葉がモノを指し示す記号としてグラフィカルにグリッドレイアウト空間を埋め尽くす視覚偏重のものになっていったのだといえます。

ただし、先にも述べたように、文字として書かれた言葉は、人を内向的にします。誰かといっしょにひとつの声を聞くことはできても、誰かといっしょに文字を読むことはできません。本だろうと新聞だろうとWebページだろうと、書かれた文字を読むとき、人はひとり部屋にとじこもってそれを読みました。

ところが、その書かれた文字が声のように儚く流れ去るものに変わり始めるという逆転が起こり始めたのが、イマココです。
TwitterのTL上、Facebookのウォール上を、文字はつぎつぎと現れては消えていきます。
もともと声としてのことばは人を外交的にします。話をするのも話を聞くにも相手が必要だからです。まさにソーシャルメディアはその意味で人びとをかつての声の文化に生きた人びととおなじように会話する人に変えつつあります。

そうした状況に冒頭指摘したような人の体験そのものを画面の内側に取り込んだようなユーザー体験をもったUIデザインが生まれてきて、人はまさに擬似的にその内部に参加・体験できるような可能性が生まれてきているといったらどうでしょう?
僕はこの新しいユーザー体験をもたらすUIデザインとソーシャル化する情報コミュニケーション社会がうまくリンクすることで、世界から疎外された状態でモノに対して客観的すぎる(つまり傍観者的)見方をする傾向にあった人びとの意識が変わってくるのではないかと感じています。

いや、その変化はすでに起こっているのでしょう。
だからこそ、そうした新しい人びとの意識や認知の傾向にあったUIデザインが求められています。
これからはその方面を積極的に研究していこうと思っています。

  

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posted by HIROKI tanahashi at 19:37| デザイン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする