可能性のデザインあるいはデザインの可能性

ここで予告しているとおり、あとで可能性について書こうと思っていますが、とりあえず今日のところはメモで。

可能性について考えているのは、デザインを行っていく段階での選択肢の数について考えているからです。

最初の段階で、A,B,Cの3つの案があったとします。
そこから、例えば、Aに対してはすこしブラッシュアップを行った3つの子デザイン、B,Cに対してもそれぞれブラッシュアップを行った2つの子デザインをつくったとします。
この時点で、最初の3つの親デザイン、その後の計7つの子デザインを加えて、10のデザインができあがります。

その後、子デザインがそれぞれ2つの孫デザインを産んだとしましょう。
そうすると、これまでの合計デザイン数は 24。
さらに、孫が2つの子を産めば、この4世代で合計は 52。
そのまた、ひ孫が2つの子で、5世代目で合計は 108。

このペースが20世代目まで下ると、合計のデザイン数は 2,752,512 になります。

さらに10世代重ねて、30世代目なら、その数は、3,758,096,384 まで拡がります。

すこしずつのデザイン変更を重ねても、そこから生み出されるデザインの可能性は、それだけ膨大な数に上るのです。
もちろん、その中にはボツとなるデザインもたくさんあるでしょう。
良いと思われるデザインのほうが稀なのかもしれません。
生き残れるデザインは自然と決まってくる。
それを自然淘汰と呼んだりします。

死んでいたり生きていなかったりすることには、生きていることよりずっと多くの流儀が存在するのだとドーキンスが語るとき、彼はもちろんそのことを言っているのである。
ダニエル・C. デネット『ダーウィンの危険な思想―生命の意味と進化』

組み合わせる要素の数が増える場合にもデザインの可能性は大きく拡がります。
しかし、その可能性の中には「死んでいたり生きていなかったりする」デザインのほうが、結果、「生きている」デザインのほうが圧倒的に多くなるのでしょう。

いま、Ajaxを使った地図による検索アプリケーションの企画をやりながら、そんなことを考えています。
そんな膨大な可能性をもつデザイン作業において、手戻りは最悪な事態を招くことは、先の数字を考えればわかるのではないでしょうか?



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