知はいかにして「再発明」されたか/イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン

知を保存・蓄積し、他者や別の世代に伝えたり、あるいは知識を利用可能にすることで社会に働きかけることを可能にする「知の装置」。西洋の歴史においては、その知の装置が何度か刷新され、その度ごとに知識の価値に変化か起きているといいます。



今回紹介するイアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートンによる『知はいかにして「再発明」されたか』は、そんな西洋における知の保存や伝達、可用性を可能にするための装置の変遷とそれによる知の再発見の歴史を紐解いた一冊です。

知の生産や保存や伝達が、経済や文化や技術の広範な変化を受けて、根本から問い直されるのははじめてではない。わたしたちは今、どうすれば文化の再生産を確かなものにできるのだろう。
(中略)
知の総体を組織化して伝達するには、どのような制度を作らなくてはならないのか。
イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン『知はいかにして「再発明」されたか』

この一冊で著者らは、西洋の歴史に登場した6つの知の装置=制度の変遷に目を向けることで、「どうすれば文化の再生産を確かなものにできる」のかという問いに応えうる新たな「知の装置=制度」の可能性を考察するためのヒントを与えてくれています。

西洋の歴史において、知が6度にわたって根本から再発明されてきた

著者らが、西洋の歴史上、登場した「知の装置=制度」として見ているのは、以下の6つです。
また、6つの装置=制度はそれぞれおおよそ次のような年代に隆盛をみた制度であるとして、著者らはその変遷を紹介しています。

  1. 図書館 紀元前3世紀 - 西暦5世紀
  2. 修道院 100 - 1100年
  3. 大学 1100 - 1500年
  4. 文字の共和国 1500 - 1800年
  5. 専門分野 1700 - 1900年
  6. 実験室 1770 - 1970年

「西洋の歴史において、知が6度にわたって根本から再発明されてきたというのが、この本の主張である」と著者らはいいます。

この6つの区分は、そのまま、本書の6つの章立てにもなっていて、著者らは時間を過去から現在へと下る形で、西洋の歴史にあらわれた6つの知の組織化の装置の変遷を追っていきます。マクルーハンのメディア論的な見方で、各時代の知識の「内容」ではなく、それを支える装置=制度としての知のメディアの変遷に焦点を当てることで、社会における知の利用、保存、伝達の仕方がどう変化し、それが社会そのものにどのような影響を与えたかを明らかにしているのです。

そして、著者らは、その変遷のなかで、新しい装置の登場が前の装置の存在価値を大きく変化させる様を描いています。

実際、新たな制度はその都度、かつてない知の探求のための理論的根拠や実践を作り出し、前の制度に取って代わってきた。とはいえ、これらの制度が、どれも機能しなくなり、実験室だけが残っているわけではない。
(中略)
新たな知の制度が大きな力を得るようになると、古い制度は新たな目標を与えられて新たな制度に飲み込まれるか、まったく異なる使命を担わされて置き去りにされるかのいずれかである。
イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン『知はいかにして「再発明」されたか』

先にあげた6つの装置=制度の中には、僕らにも馴染みがある「図書館」や「大学」なども登場しています。
しかし、この本を読む限り、それら自体が新しい知の制度として登場し、前の制度に取って代わった際の姿は、僕らが知っている図書館や大学ではありません。それは現在支配的な知の制度である「実験室」が「新たな目標を与えられて新たな制度に飲み込」んだか、「まったく異なる使命を担わされて置き去りに」したせいで、当時の形の目標や形をとどめていないからです。
つまり、いまの僕らが知っている「図書館」や「大学」として、当時のそれらをイメージしてしまっては、人類の歴史において知識の利用や保存、伝達の方法がどう変化し、それが社会にどんな影響を与えたかということを正しく見ることができないのです。

元来大学にはキャンパスも建物もなかった

例えば、ウニベルシタス(universitas)は大学をあらわすラテン語ですが、それは元々は「組合」という意味をもっていました。

それはローマ帝国の崩壊やゲルマン人の移動などにより不安定な状態にあった西欧で、知を保存し伝達する制度としての「修道院」が砂漠の宗教であるキリスト教らしく田舎・僻地に好んで置かれた時代に変わって、社会も安定し都市が発達するようになった時代において新たに登場してきた議論によって知の保存・伝達を行なう教師と学生らの「組合」を指していたのであって、いまのように建物やそれがある敷地などの総体を指していたのではなかったのです。

元来大学にはキャンパスも建物もなかった。レンガやモルタルで作った建物は存在せず、ウニベルシタスという言葉そのものも、物理的な場所ではなく一群の人々を指す言葉だったのである。しかも、全方位的な知識としての普遍性、すなわちユニバーサリティーを表すわけでもなく、実はこの言葉は、宣誓した個人からなる団体を古代ローマ法の概念だった。
イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン『知はいかにして「再発明」されたか』

つまり、それは12世紀以降、都市化する中世社会において、商人ギルドや手工業ギルド(同職ギルド)といった職業別の組合が結成され、商品の品質や価格の統制、維持や、営業権や徒弟制度による教育の独占的な権利を有したのと同じ意味合いをもっていたのです。自由七課を中心とした人文科学のほか、神学、法学、医学に関する知を保存し伝達する制度を担う役職者としての職業組合的な意味合いこそが、ウニベルシタス(組合)としての大学でした。
こうしたギルドやウニベルシタスのような団体が社会に登場したからこそ、この時代に団体を法の下に架空の人と見做す「法人」という概念が生まれたりもしたのでした。

照合し、翻訳し、組み立てるというのが、アレクサンドリアで最初に確立された学問の形だった

同じように、図書館もまた僕らが知るそれとは違った意味合いをもつものでした。

「字を書くという行為は、手作業のなかでももっとも低く見られ、学のある男たちの軽蔑の対象であっ」た時代、弁舌がすべての中心であった時代において、アレクサンドリアに最初にできた図書館は、「学者たちの楽園ともいうべき美の女神ミューズのための贅沢な神殿、ミュージアム」を餌に、ギリシア世界の至る場所から有能な人々を集めるための戦術の一環として作られたのでした。

ただし、そうした経緯で作られた図書館も、次第に新しい学問の形を生み出すことになります。

照合し、翻訳し、組み立てるというのが、アレクサンドリアで最初に確立された学問の形だった。図書館では、文書を集めるだけでなく、集めたものを照合し、編集して、稿本を写し、内容を組み立て直し、注釈をつけて分析する作業が行われた。
イアン・F・マクニーリー&ライザ・ウルヴァートン『知はいかにして「再発明」されたか』

当然ながら、こうした作業は話し言葉による弁舌だけでは可能にはなりません。こうした注釈や用語解説や索引をつけるといった図書館的な学問の形態は、ギリシアの哲学者たちの姿勢からは遠く、まさに地理的にも時代的にもギリシアから離れたアレクサンドリアの図書館でこそ、生まれた形でした。

話し言葉的なものと書き言葉的なものの間で

それは話し言葉の文化であったギリシア社会を書き言葉の文化に引き寄せるものでした。
そして、この本で紹介される6つの知の装置の変遷は、まさに、この話し言葉的なものと書き言葉的なものの間を振り子のように揺れ動く形で推移していきます。大学や専門分野が議論を重視した話し言葉的なものであるのに対して、修道院、文字の共和国、そして、現在へと通じる実験室というのは、書き言葉=文字的なものの性格を強くします。

ただ、この本を読んで感じるのは、そうした話し言葉的なものと書き言葉的な変化もの間で大きな変遷を経ながらも、現代に至るまで知の再発明を繰り返してきた、西洋の知に対する貪欲さでした。知ろうとする強い意思、自分たちの先達が勝ち得た知識を保存し活用しようとする強い思いを、この知の制度の変遷の原動力として感じました。

と同時に、そうした知への強い思い自体が、自分たち人類の知の変遷の長い歴史を研究し本にまとめようとする著者らの視点と活動からも感じます。そして、まさにこうした長い歴史を、きちんとその間の相転移的な変化も含めて、論じられるようになったのも、本書の「終わり」にで話題にあがる現在のインターネット時代の知の形なのでしょう。

それが実験室に取って変わる新しい知の制度にまで発展するかは、これからの変化をまだ見守る必要がありそうです。



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