人体 失敗の進化史/遠藤秀紀

マーケティングと、『アンビエント・ファインダビリティ』で扱われていたHCI(Human Computer Interaction、人間とコンピュータ間の相互作用)、HII(Human Information Interaction、人間と情報の相互作用)には共通点があると思っています。
それは、双方とも対象の設計(商品、マーケティング・コミュニケーション、コンピュータ、情報の設計)を行う際に、もう一方の側の人間の設計を考慮しなくてはならないという点です。

人間の設計を考える手段としては、ジェフ・ホーキンスの『考える脳、考えるコンピュータ』茂木健一郎氏のような脳科学の側からのアプローチや、行動経済学や認知科学・認知心理学的なアプローチ、そして、進化論的にみた人体の設計を考えるアプローチなどがあると思っています。

遠藤秀紀さんの『人体 失敗の進化史』
は、3番目のアプローチである進化論から見た人体の設計を考える上で非常に参考になる本です。
獣医学博士で獣医師である遠藤さんは、解剖による動物のデザインの分析から生物進化を考えている方です。
他にも数多くの著書があり、そこでは人間以外の動物の進化について考察していますが、本書では主に人間の進化におけるデザイン変更を考察しています。

二足歩行する生物のデザイン

ヒトの進化においてもっとも大きな特徴は、哺乳類でははじめて二足歩行を行うようになったという点です(ペンギンをはじめ鳥類は別の意味で二足歩行です)。

ヒトは二足歩行可能な形に進化することで、重力に対し垂直に身体を立ち上げ、二本の足で身体を支え、歩くことのできる能力を手に入れ、歩行に必要なくなった前肢を器用な手に設計変更することで道具を扱えるようになり、巨大な脳を手に入れ、数少ない優秀な子孫を大事に育てるという生殖戦略を手にしました。

その一方で、重力に対し垂直に身体を立てるという無理な設計変更は、貧血、冷え性、椎間板ヘルニア、脱腸など、ヒト科固有の問題も生じさせたようです。

そのヒト科固有の問題の1つに、私もよく悩まされる肩こりもあります。

さて、そのさっぱり要因の分からない肩こりだが、やはり、二足歩行向けヒトの設計変更の負の産物としてとらえることが可能だ。もちろん四足の動物に肩こりの症状があるかは、実際には分からない。だが、ヒト科の設計変更に数多見られる、身体のパーツの無理な運用に、方という領域は見事に当てはまっている。
遠藤秀紀『人体 失敗の進化史』

さらに私たち現代の日本人の生活は「コンピュータの画面を見る、キーボードを叩く、書類を凝視する、細かい作業に神経を集中する」といったことを四六時中「椅子に座ったまま全身はあまり動かさずに」行うことを強いられています。
これは肩こりという問題をもった人間とコンピュータのインターフェースを考えるHCIでは、本来、肩こりがしやすい人間を肩がこりにくい形で、モニターを見たり、入力インターフェイスを扱えるようにするという形で、コンピュータの側の設計変更にも及んでもいい問題です。
しかし、残念ながら、これまでのHCIのアプローチは、認知科学的なヒトの設計は重視しても、進化する生物の一種としての人体という面からは、あまりヒトの身体の設計を考慮してこなかったんではないかと思います。

なぜ月経があるのか

私がこの本を読んで、人間って全然ヒトのことをわかってないなと感じたのは、「なぜ月経があるのか?」という疑問に対して著者が考察を行っているところです。

動物学者にとって、月経はあまりにも奇妙な現象だ。なぜならば、月経そのものが、女性にとって何ら生存に有利には働かないと確信できるからだ。月に一度、確実に身体をトータルに消耗する。栄養生理学的に見て何らのメリットもない。(中略)普通ここまで普遍的に個体にとって不利だとするならば、自然淘汰の結果、そういう現象はなくなっていると考えるほうが妥当なのだ。
同書

例えば、他の動物はどうかといえば、ラットは4日に1度の排卵周期をもつそうです。とはいえ、もともとがせいぜい2年程度の寿命しかもたず、かつ妊娠期間は21日、生まれた子が離乳するまでに要する期間は3週間、そして、その子も7週目には次の交尾が可能となる、ラットの生殖戦略のスピード重視は、ヒトのそれとはそもそも生殖戦略が異なります。
数多く子を産み、かつその子供たちが短期間でまた生殖可能になることで、種としての存続を行おうとするラットの生殖戦略と異なり、ヒトの生殖戦略はもっと時間をかけて大事に数少ない子を育てる戦略をとっています。

ヒトの場合、妊娠期間はざっと280日、生まれてくる子供はほとんどの場合は1度に1人、さらに離乳には2年から3年を要し、その間、母親は排卵や月経が起こりにくくなります。子供が次の生殖が可能になるのは、7週間などというラットの比ではありません。

オリジナルなヒトは、栄養に満たされたいまの女の子よりいくぶん性成熟が遅いだろうから、ざっと17、8年として、その後3年に1度、子を産み続けたとすれば、どうなるだろう。32、3歳までに5人くらいを離乳させるのが、動物としてのヒトの設計上、ほぼ最大限の子沢山ということになる。
アフリカの最貧国では、ヒトの平均的な寿命はいまでも40歳より短いことがある。もちろん、新生児がたくさん死んでいるうだろうし、数字を動かすファクターは複雑だが、非常に大雑把にいえば、17歳で初潮を迎え、以後絶え間なく妊娠と泌乳を繰り返して、30代で死ぬ。というのが、ホモ・サピエンスの初期の設計図ではなかろうか。
同書

30代で死ぬというのは、いまの日本の高齢化社会を考えると、私たちには現実的なイメージを欠いているが、それでも、アフリカの最貧国ではそれが現実だとすると、私たちの生活が当初、設計された人体とまったく合っていないことをあらためて想像させます。
晩婚化の進んでいる現代においては、本来なら死ぬはずの30代ではじめて子供をもうける女性の方もいらっしゃるでしょう。
ホモ・サピエンスの女性たるもの、大人になったが最後、死ぬまでのほとんどの時間を、子供の妊娠と授乳に費やしていた可能性が高い。1回あたりに時間のかかる妊娠と泌乳を、数回だが、確実に成し遂げる。それが動物としてのヒトの女性の、典型的生涯だったのである。
同書

それゆえ、本来のヒトの女性の典型的な生涯においては、月経は生涯にわたって頻繁に起きていたものだったのではなかったようなのです。妊娠と授乳に生涯の多くを費やされている場合、月経は起こらないのですから。
月経が真に月経化したのは、極端に生涯における妊娠と授乳の期間を減らした近現代の生活が確立してからだといえるのでしょう。

ヒトの設計を知ること

この月経の例のように、私たち人間は自分たちが意識している以上に、ヒトの身体の設計を理解しておらず、その身体のデザインにとっては時には問題を生じるような形で設計されたモノやライフスタイルで、ヒトの生きる環境を変化させてしまっているようです。

ヒトがアフリカに誕生してから500万年だといいます。
生命誕生の約5億年の歴史に比べればほんのわずかな歴史しかもたない種ですが、それでも、1万年にも満たない有史の時代から考えると、膨大な時間がヒトという種を作り上げるデザイン変更に割かれています。
その人体デザインの設計変更に必要な時間のスケールと、外部環境のデザイン変更の時間スケールはあまりに大きく違っています。
であれば、本来、変更の少ない人体のデザインにあわせて、外部デザインの設計を考えるのが本来的だったのでしょう。

エコノミー症候群やオフィスでの冷え性にならないよう、常に重力に抗わなくてはいけない心臓や血管などの循環器系の負担をすこしでも減らせるよう、機内やオフィスを畳敷きにしてもよかったはずです。
ヒトの巨大な脳のもつ高い順応性が、それ以外の身体の器官に無理をさせてしまったのかもしれません。
今後、マーケティング、HCI、HIIでデザインを考える際にも、こうしたヒトの身体のデザインを考慮することは非常に重要なことなのかもしれないなと思いました。


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この記事へのコメント

  • 志村建世

    「人体 失敗の進化史」は、とびきり面白い本でした。私のブログ7月31日に書かせていただきました。TBがうまく入らないので、コメントにしました。最近の学術合理化に対する著者の危機意識も、よくわかります。すべては政治にかかわってくることを痛感します。
    2006年07月31日 17:57
  • gitanez

    志村様、

    コメントありがとうございます。
    当ブログへのトラックバックは、当ブログへのリンクがないと受け付けない設定にしておりますので、その点は申し訳ありませんが、ご了承いただければと思います。

    さて、志村様のブログ記事、読ませていただきました。
    女性の月経のところに興味をもったのは私も同じでした。

    そのあと読んだジャレド・ダイアモンド『セックスはなぜ楽しいか』では、同じような視点で閉経について書かれていて、こちらも興味深かったので、興味があればぜひに。
    http://gitanez.seesaa.net/article/21068553.html
    2006年08月01日 01:38

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