優れた基本設計だけが上位層の無理な設計変更も可能にする

「情報格差」をキーワードとして、Web2.0的な情報の共有と現在の病院間の診療データの共有に関して取り上げた「離島への旅から学ぶ情報格差の現状」のエントリーに、takahanomoriさんから「それどころではない」最前線病院の現場について、非常にごもっともだと感じられるコメントをいただきました。
私も、病院だろうが、学校だろうが、企業だろうが、おそらく地方の小規模な組織は、世間がどれほどWeb2.0だのIT化が急務だのと騒いでも「それどころではない」事情が多々あるだろうと思います。
それこそが格差であり、より私の伝えたい面を明確にするなら「格」ではなく「」そのものだと思います。

Web2.0と既存ビジネス、あるいは多様性とばらつき」でも取り上げたとおり、Web2.0的であることとそうでないことの間には差がありますが、それはどちらが上でどちらが下かという話ではないと思います。
各組織が生存し続けるために、自身のおかれた周りの環境がWeb2.0的なのか、それとも、そうでないかによって、環境適応による生存を図る上で、Web2.0的であるべきかそうでないかの判断は変わってくるものだと思います。

ということもあり、実はtakahanomoriさんのコメントの中の以下の一文には「必ずしもそれで解決するとは限りませんよ」と感じたりします。

お上からも、市民からも攻撃され|身動きがとれなくなっている医療現場に|いま一番必要なのは、|「情報」の意味を知っているgeekのような|気がします。
それだけでは解決にならないと感じるのは、geekが知っている(と仮定される)のは「情報」の意味だけで、その組織を支えるシステムも、そのシステムが稼動する環境についても、geekは知っているとは限らないからです。
わかりやすい例で言うと、どんなに最先端のITに詳しいコンサルタントだろうが、コンサルティングを行う対象となる組織のビジネスやビジネスが成り立っている市場環境についての理解がなければまともなコンサルティングなどできないのと同じことです。

上位層のシステムであるITシステムを改善したところで、より下層で基盤として働くビジネスのシステムそのものがグラついていたら、どんな仕組みをもってこようと問題は解決しないでしょうし、多くの場合、どんなシステムもグラグラの基盤の上には乗っからないでしょう。

私は、進化論的生物学には、デザイン/設計を考える上で非常に学ぶことが多いと思っています。
例えば、以下のような文章に。

驚くべきことは、大幅な設計変更を介してまで、新たな機能を獲得していくことができるほど応用力に富んだ、もともとの脊椎動物の原設計の存在だ。(中略)基本設計が格段に優れているからこそ、個別の、たとえば呼吸装置の一部を顎に作り変えるような、部分部分の設計変更が、可能となってくるのだ。
遠藤秀紀 『人体 失敗の進化史』
上の引用は、ナメクジウオのような口腔はもつが、顎や歯はもたない脊椎動物から、顎をもつ生物に進化する過程で、白紙の状態から顎を設計するのではなく、たまたま口腔の近くにあったエラを設計変更して顎らしきものをつくりだしたことの驚きを表現したものです。
この本では他にも、耳の中で音の振動を倍増する器官である耳小骨が顎の骨から生まれたり、魚の浮き袋を利用して肺ができたりといった、生物の進化上に実際に起きた行き当たりばったりの設計変更による生体デザインの成功を紹介してくれています。

ここで私が感心するのは上記の引用中の「基本設計が格段に優れているから~部分部分の設計変更が、可能となってくる」というくだりです。
おそらく、あらゆるデザインを考える上で考慮すべきはこうした点なんじゃないだろうかと思います。
つまり、スクラップ&ビルドでいちいち新しいデザインを考えるやり方よりも、確かな基盤の上で継続的改善を行っていくアプローチのほうが、はるかに成功する可能性が高いデザインの手法なのではないかと思うのです。

もちろん、継続的改善の対象になるのは、上位層だけでなく、基盤となる下位層もです。
というより、基盤となる下位層にどれだけ継続的改善によるデザインのブラッシュアップに意味のある時間を費やせたかが、後に上位層で多様な設計変更を試すことが可能な基盤をつくれるかということにつながってきます。

そして、生物の進化がまさにそうであるように、デザインの良し悪しは生命組織の内部で決まる以上に、外的環境に大きく影響を受けます。
つまり、環境適応できるかということで、これははじめの話につながるのではないでしょうか?

takahanomoriさんのコメントにある「お上からも、市民からも攻撃され|身動きがとれなくなっている医療現場に|いま一番必要なのは、|「情報」の意味を知っているgeek」であるのは、おそらく正しいのだと思いますが、やはり、geekが有効なデザイン変更を行うことを許す、ある程度は優れた基本設計がないと、geekの投入も時間の無駄に終わってしまうのではないかと、経験上、強く感じます。

やはり、自分(たち)の置かれた状況を変えようと思えば、周囲の人にたよる前に、まずは自分(たち)自身を変えるしかないなというのは、普段、仕事をしていてつくづく感じるところです。

上位層の設計変更は外部で手助けできても、基盤となる基本設計だけは自分たち自身の手でデザインしていくしかないのではないでしょうか?

ほんとうに、ほんとうに、そう思います。

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この記事へのコメント

  • takahanomori

    言及ありがとうございます。

    >自分(たち)の置かれた状況を変えようと思えば、周囲の人にたよる前に、まずは自分(たち)自身を変えるしかない

    >上位層の設計変更は外部で手助けできても、基盤となる基本設計だけは自分たち自身の手でデザインしていくしかないのではないでしょうか?

    全くその通りだと思います。
    理念のない技術は、現場で使えるモノにはなりえないでしょう。

    たぶん現場には、
    自分たちが扱う情報の意味、それらがつながってできた網が生み出す知恵の価値を
    知っている人はたくさんいるのだと思います。
    ではなぜ彼らは動かないのか?


    情報の意味と価値を知っている現場末端の人達は忙しすぎて身動きがとれず、
    現場で働く人たちが日曜大工で必死につくった電子カルテは理念を形にできていないことが多く、
    大学や官庁・大病院が開発した電子カルテは理念だけが先行しすぎていて、
    企業製の多くの製品は理念を欠いている。
    この悲しいまでの断絶を解決するには
    現場を知る人間(つまり、使う人)自身が、
    現場を抜け出して、
    現場ではないところにいるgeekと協業しなければならない。
    末端の医療現場にはgeekという異業種従事者を迎え入れる余裕などないから。
    そしてその行為は多くの場合、彼らが「食っていく」ことを困難にする、
    あるいは現場を離れることを恐怖させる、
    あるいはプライドが邪魔をして実行できない


    …などと言っているからいけないのですね。
    文句を言うだけで、誰も実践してこなかった結果が現状。
    言っているひまがあったら、やれ。
    医師・医療従事者は、良くも悪くも「現場にこだわりすぎ」ているのかもしれません。
    ある意味、終身雇用と会社への忠誠にこだわりすぎて「仕事の意味」を
    見失ってしまった人達と同じなのでしょう。
    種として生き残るためにも、医療従事者はもっと柔軟になってもいいはずです。
    geekの群れに突っ込んでいく医者がいてもいい、現場から脱出して自らgeek化する医者がいてもいい。
    医療業界も安泰ではない今日だからこそ。
    2006年07月13日 22:42
  • gitanez

    takahanomoriさん、丁寧なコメント、恐縮いたします。
    それとともに、こうしたコメントをいただけるのは、とても嬉しいです。

    >この悲しいまでの断絶を解決するには
    >現場を知る人間(つまり、使う人)自身が、
    >現場を抜け出して、
    >現場ではないところにいるgeekと協業しなければならない。

    私もそのとおりだと思います。
    そして、それは小さな活動としてはじまるのではないかと思います。
    一度にすべてを目指そうとするのではなく、誰かがどこかではじめ、それを成功させることで拡がっていくのではないでしょうか?

    おそらく、現場のことでせいいっぱいな病院ではじめるより、現場はうまくまわせている病院がもう一歩先に進むために、上記のような試みをできればよいのでしょう。
    それはあまり大きく権威のある病院よりも、中程度の活気のある病院ではじめられるとよいのではないかと、素人ながら思いました。
    2006年07月13日 23:20

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