あるいは、マーケティングという言葉の意味が理解できていないのが理由かもしれませんが、「ソーシャルメディア」という言葉の意味するものと「マーケティング」という言葉の意味するものとの齟齬にそれほど鈍感でいられるのは何でだろう?と感じます。
そもそも、どうして個人的に「買ってもらう」「所有してもらう」という旧来的なマスマーケティングの方向性と、ソーシャル的な共有・共感・信頼性のような方向性とのギャップをもっと指摘し、そのギャップを企業がこれからどう捉え直して、自身の活動を再定義し直すかという作業こそが、今後ますます顕在化してくるであろうソーシャル的な社会では急務であることを述べないのでしょうと思うんですね。もちろん、うまくやればソーシャルメディアを旧来的なマーケティングに用いることはぜんぜん可能ですが、ただ、そういう古いマーケティング的な視点からだけで、ソーシャル的なパラダイムの変化を捉えてしまっては見落とすものがあまりに多すぎて、企業のこれからを考える上では危険すぎるでしょうというのが今日のエントリーの主旨です。
そういう指摘をすっ飛ばして、ソーシャルメディアをマーケティングに活用しましょう的な話で済ませようというのは、ちょっとどうかな?と思ってしまいますし、やっぱりそういう意味では、本当の意味でソーシャル的なパラダイムシフトが捉えることができないまま、いま起こっている事象だけでソーシャルを語ってしまっているのかな?と思うのです。
でも、マクルーハンも指摘するとおり、新しいメディアの内容は古いメディアであり、新しいメディアの真のメッセージはその内容にはないわけです。
いまソーシャル的なものとして起こっている事象=内容だけでソーシャルを語るのは、まさにソーシャルのもつ真のメッセージを見ずに、古いものの見方(例えばマーケティング)でソーシャルを捉えようとしてしまっているのだろうと感じます。それではもったいないですし、大事な点を見逃してしまいますよね。