通常、それはその仕組みを箱の外側から見ているわけだけど、じゃあ、逆に箱の内側から見てみたらどうなんでしょう?
箱の中にいれば仕組みはわかるんじゃないの?って思う方もいるかもしれません。
でも、箱の中にいても案外、その箱がどうやって動いているのかは見えなかったりします。
会社とかの業務の仕組みを思い起こしてみるといいでしょう。
うまくいってる場合でも、うまくいかない場合でも、意外となぜそういう事態になっているのか、どういう仕組みで現実に起きていることが生み出されているのか、わからなかったりすることは多いのではないでしょうか?
特にうまくいかない場合のほとんどが「うまくいかなさ」を生み出す仕組みがブラックボックスであることが多いのではないでしょうか?
箱の中の仕組みは、外側からだけでなく、内側にいても理解できないことがある。これをブラックボックスと呼べばいいのでしょうか?
磯部洋さんの『強者のしくみ 論理的思考と全体最適を徹底する会社』は、セブンイレブン、しまむらという2つの会社を考察することで、両者とも、勝つための経営の「しくみ」が徹底的に論理的であることを示した本です。この本で、磯部さんは強者には「しくみ」があるが、弱者には「しくみ」がないとしています。「しくみ」が悪いのではなく、「しくみ」がないということです。
うまくいく仕組みがブラックボックスなのはいいでしょう。
しかし、うまくいかない仕組みがブラックボックスだとしたら、そこにはうまくいかない仕組みがあるのと同時に、うまくいくしくみがないと考えるべきなのでしょう。
この記事へのコメント
春風
が、「しくみ」の有無は「捉える視点」の有無ではないか?と感じました。
それで最後のところが
「うまくいく仕組みがない」ではなく「うまくいく仕組みではない」であって
修正すれば「うまくいく仕組みになった」になることもあると
全体最適とあったのに表現が部分最適というかバイナリ思考だったの突っ込んでみました
gitanez
私が読んだ印象では、著者はうまくいくものだけを「しくみ」と呼んでいるのだと思います。
そして、おそらく、うまくいくということに部分最適はないのでしょう。
ただし、それは一度に全体を直さないといけないという話ではないのだと思います。
どこか部分を直して、それが全体の改善にも影響を及ぼすことができるなら、それは全体最適への道ということになります。
著者は、このあたり出来上がった全体最適だけを描いているので、いま書いたような「継続的改善による全体最適」への道については論じていません。
一方、僕のいう「うまくいかない仕組み(書き分けるためのあえて漢字表記です)」は、うまくいかないことを生み出すのにうまくいっている(負の全体最適化)を行う仕組みをイメージしています。
当然、これを改善したところで、うまくいくしくみは生み出せないわけです。
春風
「仕組み」=本来の意味
で使い分けられていたのですね。
気づきませんでした。
あと粒度が違うってことですね。
もっとトータルのことかと思っていました。
「全体最適への道」が「しくみ」だと考えているのですが
世間的に全体を瞬間的にとらえて肯定・否定されている
ように最近感じているのでアンテナにひかかりました。
考えが今の段階でこれ以上まとめられませんが
いろいろ考えるきっかけの場となりました。
ありがとうございます。