「原因→結果」から「関係性→変化」へ

最近、デザインをめぐる価値観にシフトが起こっているという印象を持っています。

これまでのようにモノのかたちや機能を設計したり、ユーザーの利便性や経験価値の向上を直接デザイン活動の目的にするのではなく、そこからつながりが生まれ、そのつながりを何らかの変化が生れ出るようなベースとしてのシステムをデザインの対象にするトレンドが生まれてきているように感じるのです。

例えば、iPhone/iPadのDockやiTunes Storeを軸としたエコシステム、FacebookのFacebook Connectによる他サービスとのゆるやかな連携などがその例です。
いずれも人、データ、プロダクトの振る舞いといったものとの関係性を定める各種のモジュールを提供するだけで、それを使ってどのような変化を起こすかはサードパーティーやユーザー自身の行動に委ねるモデルといえます。

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(via. Marketing2.0

先日、「セミナー「ソーシャルメディア時代の企業Web戦略」の資料を公開」で公開したP72-73で「ソーシャル時代の変化を読み解くキーワード」として「Mechanic:原因〜結果」から「Organic:関係〜変化」として提示しているのは、まさにこのトレンドです。

これまでなら機械論的な発想で、ある問題の解決のために、問題の原因に何かしらの作用を及ぼすことで問題解決という結果を生じさせることを目的としていたデザインの発想が、生物における遺伝子のように変化/成長を促す部品やしくみは提供しつつもその結果生じる変化は利用者によって千差万別であるような有機的なしくみそのものをデザインし提供する方向性が見受けられるようになってきています。

今日はそのことについて、少し書いてみたいと思います。

「原因→結果」から「関係性の定義→変化のしくみの提示」へ

繰り返しになりますが、これまでのデザインというのは、ある問題の解決のために、その問題の原因を取り除くか軽減するか、あるいは問題そのものが無効になるようにそもそものタスクをユーザーが行わずに済むようにするなどの方向で、問題解決という結果を生み出すためにはどうあるべきかを考え、実現してきました。
それは製品のデザインでも、サービスのデザインでも、はたまた組織のデザインでも同様で、その根幹にあるのは原因→結果へと線形的に連なる発想だったように思います。
たとえ、それが僕が専門とする人間中心デザインで、ユーザー体験の向上を目指すものであっても同様で、シナリオ法などはある種、その機械的機構をユーザーやその他登場する製品やそれ以外の道具を全体的な機械システムの部品に見立てて、機械の作動する様を描き出すものだと言えるでしょう。もちろん、人が絡んでくるのは純粋に機械のように動くことはありませんが、心理学的な傾向などを用いて、こういうシーンでは人はこう動く確率が高いと考えることで、人を含めたシステム全体を機械的に捉えて、それが最終的なゴールに辿り着くよう全体を設計していたと考えるのはあながち間違ってはいないでしょう。

ところが、いまのiPhone/iPad的なもの、Facebook的なもののデザインはそもそもひとつの結果を生み出すことをデザインの目的には置いていないように思います。同時にそれは個としてのユーザーを中心に置くのではなく、ソーシャル的つながりをもった「みんな」を対象にデザインが考えられています。「みんな」を対象とするといっても、それはマス的な捉え方ではありません。むしろ、マス的な発想は個の集まりとしての群衆を想定する限りであくまで個を対象にしています。そうではなく新しいデザインのトレンドは個という点ではなく、「みんな」を生じさせるつながり=線を重視しているのです。
それゆえ、個が求める結果を提示することに主眼を置くのではなく、個と個のつながりの間で何かが起こるよう関係性の定義の仕方を提供し、さらにそのたくさんの個のつながりのなかから変化が生じてくる環境をしくみとして提供することを重視しています。
それは何かひとつの求められる結果を生み出す機械的しくみではなく、何かはあらかじめ決まっていないが何か大きな変化につながる組織的な動きが生じるためのネットワークされた環境とそのネットワーク上を流れる情報の種類を定義しているのです。

起こり得るかたちと動きの空間を定義する

ようするに新しいデザインのトレンドは、これまでのように原因と結果の関係が静的に定まったかたちを目指すのではなく、よりダイナミックに原因と結果の関係が生成されるような動的なしくみのデザインを目指しているのです。それは線形的な関数で表されるものではなく、いくつかの関数が条件によって組み合わせを変えたり、関数そのものが新たに生成されるような複雑で非線形的なことがらを組織化している試みだともいえます。

このトレンドは、より狭義のデザインも無縁ではないようです。
例えば、昨日たまたま書店で見つけて購入した『FORM+CODE -デザイン/アート/建築における、かたちとコード』という本の次のような記述も、この新しいトレンドを理解するには有効です。

手続きのリテラシーのなかには「プログラミングは、決して技術的な作業ではなく、コミュニケーションの行為であり、世界を表す象徴的な方法である」という考え方が含まれている。手続き型の表現は静的ではなく、起こり得るかたちと動きの空間を定義する「規則のシステム」である。

手続き的な規則のみをシステム化=組織化することで、新しい視覚的表現、触覚的表現を生み出すデザインやアートの例がこの本では紹介されています。

ここで重要なのは、デザインにおいて一部をアルゴリズム化して手続き化するということでしょう。その手続きのアルゴリズム化により、人が思考するなかでは起こり得ないような反復を行うこと。ソーシャル的なつながりや、素材の成形の過程でアルゴリズム的な反復が、複雑系の科学に見られるような偶発性や相転移などを含みながら、人間の想像を超えた変化を生成する。そんなある意味、有機的なプロセスそのものをデザインする方向性が新たなトレンドであるように思います。

新しいデザインのスキルとしてのプログラミング

このトレンドはデザイナーの思考の方法そのものに変化を強要します。従来のようにデザインを問題解決の手法と捉え、自身の頭の中だけで原因から結果への流れとそれに必要なものを想像するだけでは、この新しいトレンドに立ち向かうことはできません。
いま、このトレンドのなかで求められるのは、アルゴリズム化されたモジュール群の組み合わせによって変化を起こすにはどんなモジュールとモジュール間の組み合わせを用意する必要があるかを見極めるためのプログラミングとそれを使ったシミュレーションのスキルでしょう。
つまりは手続きの設計力とその設計の仮説検証のためのシミュレーションを可能にする力です。もちろん、具体的なプログラミングは分業できる可能性があるのでデザイナー自身が必ずしもそれができる必要はないと思いますが、手続きをアルゴリズム化して、それらをモジュールに切り分ける設計力は不可欠になるのではないかと思います。
また、それ以前に、こうした新しいデザインの根本にあるグラフ理論やネットワーク理論の基礎知識や、そもそもComputingとは何かを考える数学的な感性も必要になるでしょう。
そして、何より、この新しいデザインが近代的なヒューマニズム・個人主義を超えた、より中世以前の社会的・部族的な人間観に近いものをもつことなども理解する必要があるかもしれません。

このトレンドはまだまだ芽生えはじめたばかりということができると思いますが、それは現在のソーシャルネットワーキング的なものや、シェアやメッシュのビジネスモデルの根幹にあるものだと捉えれば、そう遠い未来の空想でないことはわかるでしょう。

現在の大きなうねりは、長く続いた近代的なデザイン思考にさえ変化を促しているようです。

この続きはまた別の機会に。



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