やさしさに包まれたなら

最近、伊勢神宮熱田神宮に行ったり、西垣通氏の『情報学的転回―IT社会のゆくえ』を読んで、ユダヤ=キリスト教的な情報の捉え方とインド古典哲学・ヴェーダーンタ哲学を起点とする東洋思想における情報の捉え方に興味を持ち、鎌田東二氏の『神道とは何か―自然の霊性を感じて生きる』を読み始めたりと、何かと「神様」憑いてる僕ですが、でも、やっぱり神様といえばこれですね。

小さい頃は 神様がいて
不思議に夢を かなえてくれた
やさしい気持ちで 目覚めた朝は
大人になっても 奇蹟は起こるよ
荒井由実『やさしさに包まれたなら』
この曲、同じくユーミンの「ルージュの伝言」といっしょに、ジブリの映画『魔女の宅急便』にも使われてましたね。



でも、「小さい頃に神様がいて」というフレーズだけなら、『魔女の宅急便』というより、メイと大きな楠の木に住むトトロの物語のほうが合ってますね。

さて、なんで突然、この曲を取り上げたかというと、この曲、実は西垣通氏よりもずっと早く神・宗教的なものと情報学の関係を取り上げていたものだと気がついたからです。

さっきの歌詞の続き。ほら!
カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目に写る全てのことは メッセージ
荒井由実『やさしさに包まれたなら』
すごいS/N比だ!
ノイズなしにすべてメッセージとして伝わるなんて!

ソーシャルブックマークやRSSリーダーなんかを使って情報収集するより、
カーテンを開いて、静かな木漏れ陽のやさしさに包まれ」たほうがよっぽど情報収集の効率はよさそうですね。

  

この記事へのコメント

  • Longtail

    神社づいていらっしゃるようですが、川勝平太氏も鎮守の森の価値と重要性について言及されていましたね。

    >>目に写る全てのことは メッセージ
    メッセージを受け取る以前に、「やさしさ」への感度が低下してきているように感じる今日この頃です。
    2006年06月21日 13:12
  • gitanez

    Longtailさん、コメントありがとうございます。

    「やさしさ」への感度が低下は、感度そのものを起動させるインフラの弱体化が原因ではないでしょうか?
    僕にはそれはいまにいたるまでの歴史認識の不足によるものじゃないかと思っています。
    つまり勉強も足りないし、教育も足りていない。
    2006年06月21日 21:53

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