2011年04月09日

キュレーションが必要になる環境の条件は?

最近、Etsyというサイトのサービスのかたちに興味をもっています。

Etsyは、職人や作家によるハンドメイドの品を買ったり売ったりのオンライン通販を、購入者と直接コミュニケーションしたりしながらできたりするサイトです。
しかも、ただ単純にオンラインのなかだけで完結しているわけではなくて、Communityでは、Etsyに作品を出品する職人や作家が講師となってワークショップを開いたりして、作品を買ったお客さんや興味をいだいてくれている人と交流もはかる場も設けたりもしています。

キュレーションの時代と言ったりしますが、このEtsyにも日々大量にアップされる商品のなかからユーザーが自分のお気に入りのものを探せるようにするためのキュレーションの機能が提供されています。
Treasuryというコーナーがそう。

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キュレータ役のユーザーがそれぞれのテーマ・視点で選んだ10数個の商品をまとめて紹介してくれています。

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きっとお気に入りのキュレーターを見つければ、自分好みの商品をより見つけやすくなるのだと思います。1点1点ものが違うハンドメイド品だからこそ、余計に役立つ機能ではないかと感じています。

キュレータとしての平賀源内

さて、時代は遡って江戸時代。1762年、平賀源内は第五回東都薬品会という名の本草学の物産会を主催しました。

本草学というのは、中国で発達した医薬に関する学問で、日本には奈良時代伝わっていて、1607年の『本草綱目』の輸入をきっかけに本格的な本草学研究が興っています。
もとは医薬に関する学問ではありましたが、魚介類・鳥類・植物などを図鑑としてまとめる作業となり、ようするに博物学の一種といってよいでしょう。

ただし、日本における本草学というのは、中国の文献に記載された物の日本での同定、つまりは分類上の所属を決める作業であり、それは実際の動植物で行われることもありましたごが、多くの場合は文章に記載された名称同士の適合作業でした。

ただ、そうした書物を相手にした机上の科学であった本草学も近世になって変わってきたと江戸学者の田中優子さんは言っています。

近世とは…、平賀源内が日本中から動植物を集めて『物類品隲』を編纂したことからもわかるように、実際に自分の足で歩き、あるいは事実を集め、あるいは実物を手にとって、同定したり、リストに付け加えたり、新しい利用法を考えたりする時代だったのである。それまでのように書物から書物へ情報が伝えられるだけでなく、実在の動植物を手にとって自分の目で確かめ、分類し、その形態を図譜に写す。現実に対するこのような態度が、すでにはじまっていたのである。

平賀源内という人は、この実在の動植物を相手にするという態度をさらに一歩進めて、単に自分が歩き回って、実在の物に触れるのではなく、先の第五回東都薬品会のような物産展を開いて、各地から様々な物を持ち寄って集まってもらうことで、より効率的にリアルな本草学を形にしたのです。

僕はこのあたりの平賀源内のアプローチに、現代のソーシャル時代におけるキュレーションに通じるところを感じるのです。
江戸期の本草学において平賀源内が果たした役割というのは、まさにキュレーターだったと思うのです。

キュレーションの基盤としての連歌のネットワーク

田中優子さんは「『物類品隲』とそのベースの薬品会はこのように、観念を超えてしまう、事実の洪水に眼を開かされる時代に、成立したのであった」と書いています。
ただし、事実という情報がただ洪水のように膨大な量、押し寄せてくるだけでは、平賀源内のような文書の世界を超えたリアルな本草学=キュレーションというのは成立し得ないだろうと僕は考えています。

田中優子さんが書いているように、平賀源内が各地から様々な物を持ち寄って集まってもらう物産展を開けたのは、それが可能になるベースとして全国各地とつながった俳諧連歌のネットワークが存在していたからです。

連歌は上の句と下の句を交互に別々の人が詠むことを繰り返し長い連歌を完成させていく遊びですが、もともとは一同会して行なうことが当然であった連歌会もそれが普及するにつれて、よりヴァーチュアルな形式に移行していきます。
出題された七七の下の句に、いろんな参加者が自由に五七五の上の句をつける公募形式のゲームが生まれ、それを取り仕切る興行元と取次のネットワークが全国各地に張り巡らされたのです。

平賀源内が全国各地の珍しい動植物を集める本草学の物産展を開催できたのも、こうしたネットワークがすでに存在していたからにほかなりません。
こうした俳諧連歌のネットワークがすでに存在し、さらにその上で捌ききれない膨大な量の情報が日々押し寄せ、さらにはそうした情報にお墨付きを与える機能が書籍だけではまかなえなくなったり、書籍よりもさらにリアルな物そのものへのアクセスも可能になるという条件が揃ったとき、はじめて平賀源内のようなキュレーターが活躍できるのだと思います。

キュレーションがもてはやされる時代の条件

平賀源内が生きた江戸中期というのは、まさにいまの状況と同じで、単に膨大な情報が溢れたネットワークがあるだけでは、それほどキュレーターがもてはやされることはなかったと思います。キュレーションがもてはやされるようになったのは、情報が単なる文字情報を超えてリアルなモノへのアクセスが可能、つまりリアルな場で実際の生活に役立つよう直結する環境が整ったからでしょう。

その意味でいまのソーシャルネットワーキングの活性化を単なる情報共有やコミュニケーションのネットワークとだけ捉えていては現実に起こっていることを見間違えることになります。
それは単なる情報のシェア、コミュニケーションのネットワークではなく、さらにそれを超えたリアルな場や物へとアクセスを可能にするつながりであること(そう、まさに冒頭に紹介したEtsyのように)、それゆえに既存のビジネスモデルや観念に大きな影響力を及ぼしうるものだと捉えることが大事ではないかと。

そんなことを希代のキュレーター、平賀源内のことを思い出しながら考えたのでした。

 

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posted by HIROKI tanahashi at 00:36| 情報社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする