
→ 仮り住まいの輪
「仮り住まいの輪」は、全国で400万戸を超える民間の賃貸住宅の空いている部屋を不足している被災者用住宅として利用するため、大阪でリノベーションを手がけるアートアンドクラフトの中谷ノボルさんの『阪神大震災復興支援の経験と反省を活かし、不動産・建設業界人である私たちが今、専門家としてできることに力をあわせて取り組もう!』という呼びかけに賛同し集まった有志の方々による「仮り住まいの輪 実行委員会」によって立ち上げられたといいます。
「仮り住まいの輪」とは、震災を乗り越え次の一歩を踏み出したいと願う方と、それを支援したいと思う方の思いの輪がつながる、住まい探し/住まい提供のプラットフォームです。
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また「仮り住まいの輪」では、住宅以外の各種支援体制との連携を進めることで、物理的な空間の提供だけでなく、『人』と『人』をつなぐ、気持ちの輪をつなぐ、被災者と支援者のコミュニティとなることを目指しています。
住まいを探している人と使っていない住まいを提供してもいいという人をつなぐモデルは、まさに最近、僕が興味をもって調べているシェアのモデルであり、震災者支援という目的をもった「仮り住まいの輪」とはまったく条件は異なりますが、旅行者と空いている部屋を貸し出したい人をマッチングさせるエアビーアンドビードットコムと、余剰な資産である部屋をそれを必要とする人に使ってもらおうという根本となる考えは同じです。
そして、そのマッチングがインターネットというネットワークにより実現可能になっているということも両方の空き部屋貸出サービスは同じですし、その他あらゆるコラボ消費のサービスとも類似する点です。
今回はそのあたりをすこし考えてみたいと思っています。
かつてあったご近所での醤油の貸し借りはまぎれもないコラボ消費
ところで、みなさんは日本でも終戦以前は9割が借家住まいであり、それが戦後に逆転して住宅の自己所有率が9割を超えたというのをご存知でしょうか?
僕も以前に吉田桂二さんの『間取り百年―生活の知恵に学ぶ』
でも、家でもなんでも、ひとりひとりにモノが行き渡るようモノを増やすのではなく、余剰がないよう〈所有〉よりも〈利用〉に重点が置かれていたのが、終戦以前までのあり方だったのでしょう。
ほんのすこし前までは、隣の近所で醤油の貸し借りのようなコラボ消費が成り立っていたはずです。
それとおなじようなことが、いま道路を挟んで一方は停電し、もう一方は停電してないなんてことが起こっている現状で、できないかと思ったりもします。もちろん、電気の貸し借りではなく、片方が消えてる間にもう片方の家で一緒に過ごさせてあげるようなことです。
空き家はもっていなくて、それを被災者に提供することはできないまでも、すぐ近くで停電で困っている人にほんのすこし自分の家の空間を共有してあげるくらいのことはできるようにならないかなと思ったりします。
こういうことを考えられるようになったこと自体、今回の震災が「これまでの普通の生活のうそ」の部分を暴いてくれたのかなと感じたりしています。
過去には当たり前にあった人びとのつながりをネットワークが再現する
シェアのビジネスではそのこと自体を目的としたものではない場合でも、過去においては当たり前にあった人と人との濃いつながりや信頼が、インターネットの力を通じて復活してくる傾向をもっています。モノを個人個人が独占的に所有するのではなく、利用という観点でモノへのアクセスを効率的に分配できるようにする視点が人と人とのつながりや、そのために必要な信頼というものの価値を挙げているのでしょう。
単にネットワーク上で余剰品を共有できるようにするのではなく、そうしたモノの共有を通じて人と人とがつながりあい、過去にあったような他者との信頼が生じるのがコラボ消費社会のネットワークなのだと思います。
それは先にも名前を出した、空き部屋を貸したいと人と旅行などで短期に部屋を借りたい人を結ぶP2Pの物件レンタル仲介サービスエアビーアンドビードットコムにしても同様です。
レイチェル・ボッツマンとルー・ロジャースによる『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』
チェスキーが祖父にエアビーアンドビーのコンセプトを話すと、「祖父にとってはきわめてふつうのこと、という感じだった。両親の反応は違った。最初はそれがなぜかわからなかったんだ」と言う。のちにチェスキーは、両親はホテル世代だが、祖父やその友人にとっては旅行といえば農場や小屋を泊まり歩くことだったと気付く。エアビーアンドビーは祖父の経験とそう違わない。
レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』
エアビーアンドビーの創設者のひとりであるチェスキーの祖父たちの旅は、民俗学者の宮本常一さんが『忘れられた日本人』
「忘れられた日本人/宮本常一」というエントリーで書いたように、昔の人はよく旅をしたといいます。
村の人は旅人が立ち寄ると無料で宿を貸したそうです。食べ物もふるまったといいます。そんなつながりが、住宅の自己所有率が9割を超えるような世界のほんのすこし前の世界にはあったのです。
コラボ的サービスの4つのデザイン要素
『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』<共有>からビジネスを生みだす新戦略
そして、マンジーニは、そうした新しい形のコミュニケーションの創造と再生のためのコラボ的サービスシステムの重要なデザイン要素として、次の4つを挙げています。
- 利用のスムーズさ
- サービスの複製可能性
- アクセス・利用の多様性
- コミュニケーションの強化
マンジーニは、だれもが何も考えずにすぐ利用できるようなコラボレーションのシステムをどうつくるのか?を模索するためのデザインプロセスを考えているのです。
デザイン的思考とコラボ消費には多くの接点がある。まず、デザインは、モノをつくるよりもファシリテーションにより力を注ぐようになるので、消費することから参加することへの移行が起こる。数々のイノベーションを生み出している先端デザイン企業IDEOのCEO、ティム・ブラウンが言うように、「消費者は、おとなしい受け手から、積極的な参加者になりつつある」。デザインをこのように捉えると、デザイナーの役割は、モノそものよりも人間の経験を第一に考えることだと言える。
レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』
まず、この引用からなぜ僕が最近、シェアのビジネスモデルやコラボ消費について関心をもっているかということの一端もお分かりいただけるのではないかと思います。
デザイン思考をつきつめていくと、ここに行き着くのはある意味ではとうぜんでもあるんですね。モノと人間がさまざまな文脈のなかで交わったり、すれ違ったりする様をシステムとして捉えると、いかに消費させるかではなく参加させるかが問題であることに気付きます。モノのデザインということに囚われていては決して気付かないことが、システム的視点から見ると、モノへのアクセス、そして、そのアクセスによるユーザー経験こそが、システムを動かす原動力であることがぼんやりとでもわかってきます(もちろん、自分でデザイン思考とはなんだろうということを考え続けないとなかなか気付かないかもしれませんが)。
そのような見方でみた場合、先のマンジーニが挙げる4つのデザイン要素はどれもコラボ的サービスシステムをデザインする上では欠かせないものだろうと思えるのです。このシステムがうまくデザインできなければ、いくら人が他人とのつながりを恋しく思っても、信頼を大事に感じても、過去のそうしたコミュニティを現在の情報ネットワークの上で取り戻すことはできないからです。アクセスが不便で、また選択肢の幅がなければ、それが環境には悪いと思っても、他の人の買う分がなくなるとわかっていても、人はすこしよけいにそれを所有して安心を得ようとするでしょうから。
いまはまだこんな時期だから、人はやさしさを持っています。
ただ、冒頭にあげた「仮り住まいの輪」のようなサービスが、隣近所での醤油の貸し借りのように一般的なものになるためには、僕らはもっとデザイン的思考をもったシステムのデザインについて考えてはいけないのでしょう。
さて、あなたはそういうデザイン的思考を身につけていますか? 身につけようとしているでしょうか?
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