伊勢神宮:2 20年周期の式年遷宮にみる4次元デザイン

伊勢神宮:1 2000年の歴史をもつ神の居る場所」の続きです。
今回はいよいよ皇祖神・天照大御神の祭られた皇大神宮(内宮)の紹介です。

皇大神宮(内宮)

五十鈴川にかかる宇治橋をわたると、そこは内宮とも呼ばれる皇大神宮の御鎮座地です。
最初の鳥居をくぐると、すぐに杜にはいる形の外宮と違い、内宮では杜に入るまでに神苑と呼ばれる庭があります。
神苑の雰囲気は皇居などと似た印象で、この時点ではまだ神々しいイメージは皆無です。
神苑を突っ切ってまっすぐ伸びる道を歩いていくと、五十鈴川の天然の手洗場にたどりつきます。
昔はそこで手や口だけでなく、身体を清めてから参拝したそうです。

そこから外宮と同じように杜の中へと入っていきます。
すぐに神楽殿(写真左、中)が見えてくるのと同時に、外宮の杜で見たのと同じような大人5、6がかりでやっと周囲を取り囲むことができるくらいの太さの巨木が見られるようになってきます。
しかも、外宮以上の本数で、外宮にあった以上の太さのものもあります。

皇大神宮(内宮) 神楽殿

現在の伊勢の五十鈴川の川上に鎮座したのは、初代の神武天皇から数えて11代目の天皇にあたる垂仁天皇の26年(約2000年前)だといわれています。
2000年前ですからちょうどキリスト教とおなじくらいの歴史をもつわけです。

それらの巨木がその時代にすでにあったのか、それ以降のものかはわかりませんが、内宮の社殿を中心とした付近は神域とされ、鎮座以来まったく斧を入れることのなかった禁伐林となっているそうです。
そのため、樹齢も2000年、いや、それ以上のものもきっとあるのでしょう。
もののけ姫の巨大な猪や狼が神だったように、この木々たちもそれが巨大だというだけでとても神聖なものに見えてきます。

写真の右がその1本を写真に撮ったものですが、まったくこれではその圧倒的な迫力が伝わりません。
それは単に視覚的な問題である以上に、あの空間を覆っていた音や空気感なども含めて、写真では決して伝えられないものがあったのでしょう。
そのくらい、神秘的な空間があそこには存在しました。

皇大神宮(内宮)http://www.isejingu.or.jp/naigu/naigu.htm

式年遷宮

そして、いよいよ敷地の奥のほうにある階段(写真左)を上ると内宮の正宮があります。
ここも外宮と同様に、瑞垣・内玉垣・外玉垣・板垣の4重の垣がめぐらされていて、一般参拝客が入れるのは一番外側の板垣の中(写真中の鳥居の内側)までです。

皇大神宮(内宮) 正宮

正殿の建築様式は、出雲大社の大社造とともに、日本最古の建築様式である唯一神明造となっており、これは外宮でも同様です。高床式の穀倉の形式を宮殿形式に発展させたものといわれています。
屋根は萱葺きで、柱は石の基礎をもたない掘立式となっているそうです。

社殿の様式と配置http://www.isejingu.or.jp/naigu/naigu5.htm

2000年前にこの地に天照大御神が鎮座した際には、まだ現在のように大きな宮があったわけではなく、大きなお祭りに際してその都度、新たに祠(=社、やしろ)が建てられていたそうです。
祠のように臨時にたてられる建物が、神宮(神の宮殿)と呼ばれるほどの大きな規模になった、天武天皇から持統天皇の御代にかけてのことだと言われています。

伊勢神宮を特徴づける行事に式年遷宮があります。式年遷宮とは、神様に20年ごとに新しいお宮を造ってお遷りを願うことで、神宮では内宮・外宮ともそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに同じ形の社殿を交互に新しく造り替えます。
また、式年遷宮では、内宮や外宮、その他の別宮などの建物だけでなく、五十鈴川にかかる宇治橋も新しくつくり変えられ、御装束神宝と呼ばれる正殿の内外を奉飾する御料525種、1,085点も同時に新しいものに調製されるといいます。

この式年遷宮が最初に行われたのは、今から約1300年前の持統天皇の4年(西暦690年)だそうです。
これは先に書いた、祠のような臨時の建物が現在の神宮に変わった時期と同じ頃だということができます。
つまり、遷宮がはじまったのは神宮が建造されるようになった時期とほぼ同時であったということができ、その意味では定期的に神に新しいお宮にお遷りを願うこと自体、臨時の祠の時代からの延長上にあると考えたほうがよいのかもしれません。

この式年遷宮は、持統天皇の4年に皇大神宮の第1回目の御遷宮が行われて以来、戦国時代に一時の中断はあったものの20年ごとに繰り返されてきたという長い歴史をもつ行事だそうです。
平成5年に第61回目の遷宮が行われたのが一番最近のもので、平成25年(2013年)には第62回目の遷宮が行われることになっています。

伊勢神宮式年遷宮広報本部 公式ウェブサイトhttp://www.sengu.info/

式年遷宮にみる日本の4次元デザイン

式年遷宮が20年に一度行われるのは、建物の老朽化が理由ではないと言われています。
現存する世界最古の木造建築としては法隆寺がありますし、20年という年月ではさすがに老朽化は問題にはならないでしょう。
世界には永遠をめざした石造の古代神殿だって、いくつもあります。

それよりも神道の精神として汚れ(気枯れ)ることをよしとしない考え方が、20年ごとの式年遷宮につながっているようです。
式年遷宮により1300年ものあいだ、神宮を常に新しく、常に変らぬ姿のままとどめた日本古来の考え方は、石造の古代神殿の永遠の求め方とはまったく別の方法で永遠を求めたものだと言われています。

日本的「空」「間」、西洋的「空間」」でも、西洋人は物体そのものを見て、東洋人は物体のあいだの空間に注目する傾向があるということを紹介しましたが、石造の古代神殿がそのもの自体が永遠に残ることを想定してつくられるのに対して、式年遷宮をはじめから永遠のプロセスに組み込んだ神宮の考え方では、物自体ではなく物の時間の中での有り様そのものを永遠に残そうとしているようにも感じられます。
それこそ、住む人は時代とともに変わっても日本という心自体は永遠に続くことを想定しているように。
そして、それは神による呪術という古来のデザイン技術の様式に他ならない気がします。

京都のお寺などを訪ねたときにも感じることですが、日本のデザインには時間を考慮した配慮がすごくなされているなと感じます。

お寺の門をくぐる際のフレームから建物や庭が目に飛び込んでくる動きを想定した造り。そして季節の花々や木々の変化をデザインに埋め込んだ庭園デザインなど。
時間の経過を加味しない静的な建築デザインではなく、日本には、時間そのものの経過を建築デザインそのものに組み込んだ4次元的デザイン・コンセプトがあるように思えます。
そして、その極限的な形が1300年ものあいだ、繰り返されてきた式年遷宮の行事には感じられます。

また、式年遷宮のの背景には、生まれ変わりという東洋独特の思想が流れているようにも感じられます。
内宮と外宮の御正殿の柱持柱は20年間使われた後、削りなおして五十鈴川に架かる宇治橋の両端に建てられた鳥居として再利用されます。さらに鳥居はそのまた20年後に、かつての伊勢街道の入口である関の追分と桑名七里の渡口の烏居として再々利用され、その後も春日神社の御手洗の柱や屋根の修繕に用いられるなどといった形で、無駄なく活用されるそうです。
20年ごとに素材としての物自体はさまざまな物に生まれ変わっていく。
そうした生まれ変わりの過程そのものが最初の大きな意味でのデザインに組み込まれている。
1300年、61回の生まれ変わりを延々と繰り返すことが可能なようにデザインされている。
しかも、それは自然や人の成長する速度を超えることなく、無理のない時間で自然や人から恵みをもらって構築される。
そして、その構築物が人に安心や幸福を与える。
なんて壮大なデザイン思想なのでしょうか!
そんな優れたデザイン思想を強く感じた伊勢神宮参拝でした。

次の式年遷宮である2013年にはぜひまた新しくなった神宮を訪れてみたいと思いました。

⇒ 伊勢神宮:1 2000年の歴史をもつ神の居る場所

  

この記事へのコメント

  • 天照太御神

    世界は日本から変わり始めてます

    伊勢-白山 道
    2008年06月19日 17:25

この記事へのトラックバック