質問力って大事だな、と。
そして、その質問力が意外と身に付いていない人が少なくないことに思い当たりました。
普段はどちらかというと話す立場になることが多かったりします。セミナーの講師であれ、コンサルティング業務でのプレゼんであれ。そういう場において、質疑応答で質問がないのは致し方ないことかなと思ってたんですが、違いますね。
ひさしぶりに逆の立場になって気がついたんですが、他人の話に質問できるかどうかってクリエイティブ性が問われているんです。
質問をクリエイトする
相手の話を理解しようとして、そのまま相手の文脈で聞いてると、実は疑問って湧いてこないものです。何故かというと、うまい話者ほど相手に自分の話の筋道が理解でき、かつ意味内容がわかるように組み立てるわけなので、そこで疑問が生じる余地はほとんどないんです。つまり、相手の話を相手の文脈で聞いているというのは、要領よく相手に説得されている状態といっていいわけで、それでは自然と疑問が湧いてくるはずはありません。
多くの人が質疑応答で沈黙してしまうのはそういうケースが少なくあないと思います。
むろん、それは話者が話の組み立てがヘタクソな場合でも事情はそう変わらず、結局、相手の話の文脈のなかで聞いていて、結果、その中身がよくわからなくても質問は出てきません。
なぜかといえば、理由はおなじ。結局、いずれの場合も相手の文脈で話を聞いているだけで、自分の文脈に相手の話を落とし込むという操作をしていないからです。
なので、どうすれば質問できるかというと、相手のことばの文脈とは異なる文脈を自分のなかで創造することが必要なんです。異なる文脈からみることではじめて、話者の情報の構造から抜け落ちた面などが見えてきて、質問をクリエイトすることが可能なんです。
"Power of ten"のように視点を自在に移動する
この話をFacebook上で書いていた際に、ほかの人にいわれて気付きましたが、それは読書なんかでもおなじなんですね。本に書かれた文脈の通り、意味内容をおっていくだけだと意外と気付きはすくない。そうではなく、著者の文脈に完全にのってしまわずに、時には自分の文脈から書かれた内容を考えてみる。そうすると見えなかった別の意味が浮き上がってきたりします。僕が自分の専門外の本をよく読むようにしているのは、そういう発見がおもしろいからです。もちろん、文脈を変えて読むというのは、揚げ足をとるとか、内容を疑問視するというのとは違います。それは文脈を変えているのではなく、書かれた内容そのものを誤読しているだけです。そうではなく、あくまで書かれた内容はそのままで、そこに直接書かれていない意味を別の確度から見ることで浮かび上がらせるのです。「行間を読む」というのもそれに近いのかもしれません。
これはいわゆるイームズ夫妻の"Power of ten"のように視点を自在に移動するということをやっているわけです。
その意味でデザイン思考的な発想力そのものです。
まさにそれはエスノグラフィなどで創造的な発見を行なう際の思考の仕方とおなじです。
エスノグラフィで現場を重視するといっても、それは別に現場で起こっている事柄そのものが重要だからではありません。現場で実際に生活している人がその生活の文脈のなかでは気づきもしないようなことを、いろんな別の文脈から見ることで創造的に発見するのがエスノグラフィの本来の意味です。単に現場に行って、そこで暮らす人びとと同化してしまったのでは、その人たち以上のことは語りえないのです。
自分のことばで語れるか、他人のことばに流されるかというのも、結局はそうした視点移動をある程度自在に行なえるかということにかかっているのだと思います。
インターフェイス
実はそれがインターフェイスです。インターフェイスというと、WebのUIやデジタル機器の画面のなかの世界を思い浮かべる人が多いと思いますが、インターフェイスとはそういうものではありません。
それは文字通り「界面」です。
2つ以上の異なる文脈にある意味と意味のあいだを調整するのがインターフェイスです。

それゆえ、インターフェイスを設計するデザイナーには、ここまで書いてきたような文脈間を自在に飛び越えられる創造的な解釈力、質問力が必要だといえます。
日常生活のなかで、いろんなものを見る。
日常生活とはかけ離れた内容の本を読む。
その2つの文脈が異なる情報を並べて、自ら双方を結びつける補助線を見つけること。それがデザイン思考的創造の方法の1つだと思います。
つながり、シェアのインターフェイス
いま、このインターフェイス創造力のようなものがとても大事になってきているように思います。というのは、昨日書いた「コラボ消費について、ちゃんと考えよう」のような、ソーシャルネットワーク社会におけるつながりやシェアの創出にも、この2つ以上の異なる文脈にある意味と意味のあいだを調整するインターフェイスの役割が欠かせないからです。
『メッシュ - すべてのビジネスは〈シェア〉になる』
実際のところ、ジップカーはシェアするものがたまたま車であっただけで、業種は運輸業ではなく、基本的に情報産業に属する。誰が、いつ、どのように、どこで車を利用しているか、という情報を収集するのが主要業務だからだ。収集したデータを分析し、最大限の価値を生み出すようにするように業務を遂行する。リサ・ ガンスキー 『メッシュ - すべてのビジネスは〈シェア〉になる』
これはある意味、ITを使って車の利用に関するエスノグラフィを行なっているようなものです。もちろん、先にエスノグラフィに関して書いたのと同じで、Zipcarの場合も単純に車の利用そのものを知るだけでなく、それを適切な形で自分たちのサービスへと創造的に変換を行っています。
多種多様な分野に渡るメッシュ・ビジネスだが、特徴として以下の4つが共通している。①シェアする。②ウェブとモバイル情報ネットワークを駆使する。③有形のモノや具体的なサービスを扱う。④顧客との接点がソーシャルネットワーク上である。リサ・ ガンスキー 『メッシュ - すべてのビジネスは〈シェア〉になる』
リサ・ ガンスキーがあげる、この4つの特徴において、別々の文脈のなかで生きる人びとの貸したい欲求と借りたい欲求のあいだを調整する-つまり①を可能にする-のが、②の上で動くインターフェイスとしての④だといえるでしょう。そのことにより③のシェアははじめて可能になります。
この場合のインターフェイスである④は必ずしも既製のソーシャルネットワークとしてのTwitterやFacebookを指しているわけではなく、Zipcarにしても、昨日のエントリーで紹介した部屋のレンタル仲介サービスであるAirbnb.comにしても、自分たちのビジネスとそのサービスを使うユーザーたちのために適切なソーシャルネットワークを築くことで、シェアが発生するインターフェイスを実現しています。
If I ran the world, I would…
さらには、サイトのトップページに、"If I ran the world, I would…"(もし私が世界を治めたら、…するでしょう。)とが書かれた入力フォームが置かれたifwerantheworld.comなんてサービスもあります。誰かがこの「…」の部分に何か叶えたい事柄を入力するとしたら、それを叶えるために他の人たちが自分ができることですこしずつ力を出し合い、それを実現するというのが、ifwerantheworld.comの主旨です。

例えば、上記のように、リーバイスは、ifwerantheworld.com上で、ブラドックカーネギー図書館の保存のための活動に協力してくれる人を求めていたりします。
microaction(小さな働き)の集まりで大きなことを実現しようというコラボレーションの新しい形です。
このようなシェアのインターフェイスを実現すること。それが本来のインターフェイスのデザインなのではないかと思います。
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