2011年03月15日

心の足場を作る

震災以降、TwitterやFacebookページへの投稿が増えています。
刻々と変化する環境の変化に、僕自身のことばのトーンも日に日に変化しているのが自分でもはっきりわかります。

土曜日にはさすがに自分のことばが素直に出せず、大きく戸惑っていたことがわかります。それに気づいて、外の空気に触れ、感じたままを書こうと思ったのが日曜日。ただ、それはまだ僕自身のなかに宙に浮いたような違和感を残したままでした。

そして、週も明け、仕事に向かった昨日。まずは朝から自分の動揺と不安を残した心と、世の中の見た目には普段とさほど変わらない光景のギャップにショックを受けました。
交通機関の運行状況の乱れが原因で駅は異様なほど大混雑はしていましたが、スーツにヒールにと普段と変わらないビジネス仕様の人ばかり。
こんなことが起きても何も変わらないのだろうか、心に残る不安や恐怖や戸惑いを形に表すことはできないのだろうかと、万が一に備えてタフな格好にタフなブーツを履いて出社に挑んだ僕は逆浦島太郎の気分にもなりました。

そんな気分を抱えたまま、会社のそばで小さな春を見つけたり。

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小さなことも震災以前とはまったく違って感じられる僕がいることに、僕は気づいている。
ただ、その新しい僕がまだ古い僕の心との間にギャップを抱えたままだから、心の足下が固まらず、ゆらゆらと揺れているのがわかるのです。

僕はいま自分が普段以上にTwitterやFacebookに自分のことばを投稿しているのは、この状況にひどく不安で戸惑っているからだと自覚しています。でも、その不安や戸惑いの正体が自分でもよくわからず違和感があるから、その正体をすこしでも突き止めたいと思って、自分の思考や感じたことをことばにしたいと思っています。

ときには自分の心の奥底を思いっきり覗きこんでみることも大事だと思います。そうすることで心に抱えた違和感を有耶無耶にしたまま、バランスを失っていくのを防げると思うから。

ただ、心に奥底を自分で覗きこむのというのは容易ではありません。
だから、奥底を引っ張り出すように、声を吐き出すしかないように僕は思います。

昨日、僕はTwitterにつぶやきました。

「自分の物語は自分にしか語れない。だから、僕は語るよ」と。

いま、社会全体がこの大きなショックを経験して、ことばを失っているように僕は感じています。
ことばを吐く人も、TwitterでReTweetするかのように他人のことばを自分のことばとして代用したり、震災前の古いことばでそのまま語っています。

それでは大きくゆらいだ社会の心の足場が固まらないまま、バランスを欠いて非情に不安定です。もちろん、僕個人がそうであるように、このバランスを欠いた状態はすぐには治らないと思います。
ただ、治癒に向かって、バランスの喪失そのものに向き合わない限り、時が立ったとき、バランスを失ったままの状態で固まってしまうのではないかと恐れています。

そうならないためにも、それぞれが自分のいまに向き合い、ことばを紡ぐことが大事なのではないでしょうか。うつろう自分の心をことばにして見えるようにすること。ことばにすることで自分の心がおった傷、自分自身の不安や戸惑いに気づくことが大事。その道程そのものはゆらゆらと曲がりくねったものでいい。いままで敷かれていたレールは木っ端微塵になったばかりなのだから。
その蛇行する線の集積自体が次の時代の輪郭になっていくのではないかと思うのです。

そう。次の時代の形態形成プロセスを起動させなくてはならないのだと思うのです。

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posted by HIROKI tanahashi at 08:43| 生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする