溜まっていたムラムラを一気に放出できたって感じです。
かならずしも直感的ではなく、操作をおぼえる必要もあるが、使いものになるから受け入れられる。そんな新しい文字入力システムを考え出せるはずだ。1つ前のエントリー「Webディレクターに備わる危機察知のパターン認識」でもちょっと紹介したように、『考える脳 考えるコンピュータ』の著者ジェフ・ホーキンスは、PalmやTreoの生みの親として知られている人です。ジェフ・ホーキンス『考える脳 考えるコンピュータ』
Palmの「グラフィティ」
上記の引用は、Palmの手書き文字認識技術「グラフィティ」の発明により、それまで性能がきわめて悪かった文字認識ソフトウェアの性能を著しく改善するにいたったホーキンスの、キーボード入力との類推過程を端的にあらわしたものです。キーボード入力はすでにそれに慣れてしまった人にとってはほとんど苦もなく行える文字入力操作の作業ですが、それまで一度もキーボードに触れたことのない人にはとっては、キーボードによる文字入力作業はこれ以上はないといっていいほど、面倒で苦痛をおぼえる作業であるはずです。普段、紙に字を書く作業とはまったく異なり、普通に意識せずに使えるようになるには、それなりの訓練期間が必要です。
それでもキーボードによる文字入力は実際、こんなに普及している。
なぜか?
「なぜなら、使いものになっているからだ」というのがホーキンスの分析でした。
それならアルファベットにそっくりな記号を設計し、覚える手間はあるものの、確実にコンピュータが書かれた文字の認識を行ってくれる手書き文字認識技術をつくろうと考え、実現したのがPalmの「グラフィティ」だったわけです。
不確実性を軽減する
「Webディレクターに備わる危機察知のパターン認識」でも紹介したように、人間の知能の基盤には「予測」があるとホーキンスは述べています。逆に言えば、そのために「人間の脳は予測ができないことを嫌う」傾向があるということができます。
不確実性を嫌う脳は、それを極力軽減するために、繰り返しの学習や訓練によって、不確実なものを確実に予測できるよう努力します。
株式市場の投機家が取引のパターンを分析し不確実性を排除しようとするのも、数学者が数式や数列の中に規則性を見出そうとするのも、天文学者が星の動きを支配する法則性を見つけようとするのもすべて同様に、不確実性を確実性に変えようとする努力だということができます。
昨日書いたような優秀なWebディレクターが目の前のプロジェクトに危険が潜んでいないか察知するために、無意識的に過去に経験したプロジェクトからの類推を利用するのもおなじことなのだろうと思います。
ホーキンスはまさにこの「不確実性を嫌う脳」という傾向に着目することで、「当時のお題目では、コンピュータこそ人間にあわせるべきであり、その逆など、もってのほか」だという常識(common sense)を無視し、不確実な結果しかでない役立たずのシステムを作るくらいなら、多少、人間の側が努力(訓練、学習)をしてでも「使える(=確実性の高い)」しくみとして、Palmの「グラフィティ」を考案、実用化したのでした。
予測する脳は予測できない不確実性を嫌う
「Webディレクターに備わる危機察知のパターン認識」でも紹介したように、人間の知能の基盤には「予測」があるとホーキンスは述べています。逆に言えば、そのために「人間の脳は予測ができないことを嫌う」傾向があるということができます。
不確実性を嫌う脳は、それを極力軽減するために、繰り返しの学習や訓練によって、不確実なものを確実に予測できるよう努力します。
株式市場の投機家が取引のパターンを分析し不確実性を排除しようとするのも、数学者が数式や数列の中に規則性を見出そうとするのも、天文学者が星の動きを支配する法則性を見つけようとするのもすべて同様に、不確実性を確実性に変えようとする努力だということができます。
昨日書いたような優秀なWebディレクターが目の前のプロジェクトに危険が潜んでいないか察知するために、無意識的に過去に経験したプロジェクトからの類推を利用するのもおなじことなのだろうと思います。
ホーキンスはまさにこの「不確実性を嫌う脳」という傾向に着目することで、「当時のお題目では、コンピュータこそ人間にあわせるべきであり、その逆など、もってのほか」だという常識(common sense)を無視し、不確実な結果しかでない役立たずのシステムを作るくらいなら、多少、人間の側が努力(訓練、学習)をしてでも「使える(=確実性の高い)」しくみとして、Palmの「グラフィティ」を考案、実用化したのでした。
はじめて使うユーザーを優先しすぎない
さて、冒頭に表明したスッキリ感はまさに、ここまで書いてきたようなホーキンス的な、人間の側からもコンピュータの側に歩み寄ることで達成できる「不確実性の軽減」、「使いものになるシステムづくり」という考え方が、普段、仕事でWebサイトのUIを設計する際によく感じていたユーザビリティに関する違和感を払拭できる考えだと感じたからだ。Webサイトの設計などやっているとよく、画面構成書などをお客さんにみせて確認をとる際に、「これだとはじめて使う人がわからないので、もうすこしわかりすくしたい」ということで、過剰とも思える/としか思えない説明文や図版の追加を求められることが少なくありません。
それが何かしらの「マニュアル」的な説明ページや「ご利用ガイド」のようなものであれば、「わかりやすい説明にする」ことはごもっともなのですが、多くの場合、そうしたことを求められるのは、すでにそのサイトを使い慣れた人が頻繁に利用する機能的なページだったり、そこに書かれた情報そのものの閲覧が主目的であるページで、そうした要求をされることが多かったりします。
具体的には、ブログやサイトのRSSアイコンに、「RSSとは何か」を説明する文章だったり、「RSSを自分が使っているリーダーに登録する方法」を解説するものなどを追加してほしいといった要求だったりします。
RSSを使ったことのない人に対してであれば一見役立ちそうに思えますが、実際、当たり前のようにRSSを取得して情報収集をしているユーザーにとっては、すべてのページにそんな説明が書かれていたら、単なる迷惑でしかないでしょう。
ちょっと想像してみてください。
はてなブックマークの

はじめて使う分には有効かもしれませんが、使い方に慣れたユーザーにとっては迷惑以外の何物でもありません。
つまり、もしそんな画面設計が行われていたなら、そのサイトは使えば使うほど、使いにくくなるサイトだということになるのです。
「人間は学習する生き物である」ことを考慮する
はじめて画面構成書をみたお客さんが、はじめて使うユーザーの立場になりやすいのはわかります。また、普段あまりWebを使っていない人であれば、Webを普段から利用している人に向けたサイトの設計を行っているにも関わらず、自分自身の感覚で説明や解説の追加を求めるのもわかります。
また、実際にWebサイトの設計を行うWebディレクターやWebデザイナーの立場にあっても「Web関係者の中でのWeb2.0デバイド」でも書いたように、自身がWeb2.0的体験を普段していなかったら、画面設計やUIデザインが「はじめてWeb2.0的サイトを使う人」向けのものになってしまい、実際、それを使うすでにWeb2.0的ユーザーには使いにくい、あるいは、まったく使いものにならないサイトとして設計してしまうことも考えられなくはありません。
そのサイトが一見さんを重視する目的をもったサイトであるなら、それでもかまいません。
しかし、もしサイトの目的が、一見さんの利用以上に、何度も繰り返し使ってくれるリピーターをターゲットにしたものであれば、下記でホーキンスが述べているような人間の学習機能を軽視した設計を行うことは、むしろ、サイトのユーザビリティを損なうことにもつながりません。
コンピューターが人間の方法にあわせるべきだという主張は、現在でも耳にする。だが、それはかならずしも正しくはない。脳は一貫性のある予測可能なシステムを望んでいるし、人間は新しい技能を身につけるのが好きな生き物だ。つまり、学習する生き物である人間は、コンピュータやWebページが必要以上に自分の不勉強さに考慮してくれなくても、勉強さえすれば有益に使うことのできる機能を用意さえしてくれれば、自ら積極的に学ぶのであり、むしろ、学ぶことをしないでいることのほうが人間の脳にとっては不自然なことだということです。ジェフ・ホーキンス『考える脳 考えるコンピュータ』
もちろん、わかりやすさというユーザビリティはWebサイト設計において重要な要素です。
しかし、ユーザビリティを考える際には、人間が学習する生き物であり、人間が学習するのはその学習が自分にとって利益があると感じるからだということを忘れてはいけないでしょう。
ユーザビリティ:使いものになるということ
ユーザビリティとはその名の通り「使いものになる」ということであるはずです。いろんなWebサイトがいろんなユーザーにいろんな目的で使ってもらえることを想定して、立ち上げられているはずです。
そうしたサイトを設計する際、ユーザビリティを高めようと思えば、そのサイトを用いて自身の目的の達成を行おうとするユーザーが、最後まで目的の達成を行えるよう、単にWebサイトの一部の機能(例えば、検索エンジンから見つけられるというSEO、問い合わせをしやすくするための「問い合わせボタン」のわかりやすい場所への配置など)の単一のユーザビリティだけを考慮することなく、そのサイトを使ってユーザーが最終的な目的を達成するまでのプロセスすべてにおいて役立つ機能や情報の提供を行えるよう、配慮した設計が必要になるという、当たり前のことを「使いやすい」ではなく「使いものになる」という観点から考えてみることが大事なのでしょう。
もちろん、それをできるようになるためには、実際にWebサイトの設計を行う私たち自身が、Webサイトを利用するさまざまなユーザーの利用パターンを類推できるような、より多くのWebサイト体験から得られるパターン学習によって、自身の脳により多くの利用パターン、体験を植えつけておく必要があるのでしょう。
というわけで、もう一度、書いておくことにしよう。
Web2.0を実感していなくては。
関連エントリー
- Webディレクターに備わる危機察知のパターン認識
- Web関係者の中でのWeb2.0デバイド
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