思考過程は作業過程 - アトムとビットの重なる場所

read/write web.」の続編。

誰が見ても同じ情報はもはやこの世には存在せず、あらゆる情報が測定する側=読む側の創造性によって規定されることになる。
逆にいうなら、その世界では書くこと=測定することによってしか、読むことができないのだ。

なんて書いたが、「書くこと=測定する」という点は量子力学の「重ね合わせ」を前提にしている。
つまり、「測定前は、可能性を示した情報が存在する。そして測定後には、以前には存在しなかった明確で特定の1ビットの情報が作り出される」(ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー『量子が変える情報の宇宙』)わけで、アウトプットが出されるのは測定の時点であり、それは言うまでもなく、読んだ時点ではなく、読んだものを理解した時点である。

もちろん、厳密には、書かなくても理解できるのだが、それでも理解する際には、読んだものを一度、自分の中で反復する行為が脳の中で行われているはずだ。それを声のない発話といってもいいし、文字を記さない記述だといってもいいかもしれない。
声や文字という外界からでもわかるアウトプットがないまでも、少なくとも脳の中の信号という物理レベルでは読み書き=測定=理解が行われているとみていい。
そして、それはまぎれもなく自己責任が付随した創造的行為だといっていいはずだ。

そうなってくると、ここで再び、「[memo]科学としてのコンピューティング、物としての情報」で引用した、次の世界の話につながってくる。

宇宙は、文字通り、そして比喩的にも、コンピュータにほかならない。原子も、分子も、バクテリアも、ビリヤードの球も、すべて情報を保存し、変換することができる。(中略)世界がコンピュータであるなら、コンピューティングの科学は、真の意味での科学の科学である。
ニール・ガーシェンフェルド『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』

あるいは、ダニエル・C・デネットの『自由は進化する』中のこんな言葉もリンクしてくる。
脳の中の信号という物理レベルでは読み書き=測定=理解
人間は責任を持つ存在で、自分の運命の主導者なのだけれど、それはわれわれの本質が実は魂だからだ、という人気のある考え方がある。(中略)でも自然科学の進歩のおかげで、物理法則に縛られない非物質的な魂という発想は、もう説得力がなくなってしまった。多くの人は、これが実に恐ろしい意味合いを持つと考えている。これだと人は実は「自由意志」なんか持ってないことになるから、何がどうなってもお構いなしということになる、と。本書の狙いは、なぜそういう考え方がまちがっているかを示すことだ。
ダニエル・C・デネット『自由は進化する』

つまり、こうだ。

  • 宇宙に存在するアトムはすべてビットを保存できる
  • 人間が責任をもつ存在なのは魂だからじゃなく、自由意志をもつ物質だからである
  • 当然、物質(アトム)である人間は情報(ビット)を保存できるし、変換できる
  • 人間は現在存在し、かつ想像されているコンピュータ以上に、コンピュータである可能性がある
  • それは、ともかくとしても、脳は実際、物理レベルで読み書き=測定=理解という情報変換という創造行為を行っており、そこには自己責任と自由意志を同時にもっている

現在の物理学や『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』で描かれているMITのファブラボでのプロジェクトなどをみると(「変化するリテラシー(Web2.0とパーソナル・ファブリケーション)」参照)、アトムとビットの境目は実際かなりあいまいになりつつある。
このあたりを「読み書き=測定=理解」という部分と重ね合わせてみると、よく言われる「思考過程は作業過程」という言い回しが妙に説得力をもちはじめる。

出る杭が打たれる企業文化」で、アウトプットを極力出さない大企業病を嘆いてみたり、「Web関係者の中でのWeb2.0デバイド」での「ブログを書くのも仕事ですよ!」から、ついさっきの逆説的エントリー「忙しいし、お疲れなので、今日は更新はお休み!」にいたる僕自身のアウトプット至上主義的発想も、裏にはやっぱり「思考過程は作業過程」という発想が強くある。

ということもあって、「現代は情報社会である」というときの「情報」って、一般に普通の人が思っている意味での「情報」ではきっとないんだろうな、と最近、強く思い始めた。
その場合の「情報」はすでに、アトムとビットの境が消えたあとでの情報であるのだろうと思うし、そこではハードウェアとソフトウェアの境(言い換えれば、HCIとHIIの境かもしれない)もかなりの部分で解消された状況になっているのではないかなんて夢想している。

なんてことを考えていたら、ジェフ・ホーキンスの『考える脳 考えるコンピューター』を読みたくなったので、さっき購入してきた、という本日の日記。

 


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック