タンジブル・ビッツ

『アンビエント・ファインダビリティ』の書評から端をはっしたs.h.さんとのやりとりは、さらに飛び火して、SW(渡辺聡)さんにも参戦いただいた。
SW's memo / 渡辺聡事務所: マシン-インターフェース-ヒューマン

個人的には「人間は、人間の脳みそは何を受け取れるのかというところ」っていうところにピンとくるものがあったのだが、そっちの話はとりあえず置いておくことにして、s.h.さんとのやりとりに関係の深いほうの
今あるコンピューティングのツールとその実装だけを見ていてはなかなかに出て来にくいポイント。”アンビエント”の議論でもありますね。
ユビキタスとアンビエントでは似たようなことを指していても、プラットフォーム側の役割としては、まったく違った思想が読み取れる訳で、表面上の類似性とは別に両者は全く異なるものと捉えてしまった方が早い。

の文脈で、今回は話を進めてみたい。

確かに、SWさんのいうとおりで、話をはやく進めるには別個の議論にしてしまったほうがいい。
で、今回は「ユビキタス」のほうは無視するとして「アンビエント」のほうに着目しておこう。
その際、参照するのは「タンジブル」というキーワードだ。

GUIとTUI

タンジブルといえば、やはり97年春に発表した論文「タンジブル・ビッツ」で、タンジブル・ユーザー・インターフェイス(TUI)という、GUIとはまったく異なる新しいヒューマンインターフェイスを提案したMITメディアラボの教授である石井裕さんのことを避けては通れない。
s.h.さんが「HIIにHCIのアプローチを取り入れる:『アンビエント・ファインダビリティ』を読んで思ったこと」で紹介してくれていたmoo-pongをはじめ、s.h.さんが学ぶSFC奥出研究室のプロジェクト紹介ページに掲載された数々のツールも具体的なTUIの例といってよいだろう(全部見てないので違うものもあったらごめんなさい)。

これらのツールを概観すれば、それらINPUT/OUTPUTが、普段使い慣れたGUIのスクリーン、キーボード、マウスといったINPUT/OUTPUTツールとは大きく異なるのはすぐにわかる。
Web2.0的なAjaxだったり、Flashアプリケーションがどんなにリッチ(RIA)だといわれても、それらは依然として、GUI的なインタラクションの可能性の中におさまっているわけで、その可能性の範囲内では、Googleがどんなにがんばって位置情報表示・検索アプリケーションを開発したところで、s.h.さんが「HIIにHCIのアプローチを取り入れる:『アンビエント・ファインダビリティ』を読んで思ったこと」で写真にとって見せてくれたような『アンビエント・ファインダビリティ』に掲載された地図のようなビューの域を出ることはない。

アトムそのものが表現する情報

物理世界をスクリーン上のピクセルを用いて「メタファ」あるいは「シンボル」として抽象化してシミュレートするGUIとは異なり、「タンジブル・ビット」というコンセプトに基づくTUIでは、物理世界そのものをインタフェースに変えることを究極の目的としている。
これは「ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け/ニール・ガーシェンフェルド」で紹介したように、同じMITの中でメディアラボからファブラボへ(ビットからアトムへ)とその流れが発展するという動きにもつながっています。

「タンジブル・ビッツ」のコンセプトの起源を、石井教授自身は次のようにインタビューで答えています。
私は宮沢賢治の「永訣の朝」という詩が学生時代から大好きだったんですが、その肉筆原稿を初めて見ました。私が読んでいた文庫の中で、「永訣の朝」は等間隔の9ポイントの活字で表現されていました。ところが肉筆原稿は、書いては直し、消しては書き、が繰り返されていた。それは、彼の苦悩を静かに物語っていました。

ちょっと昨日まで認識に誤解があったようですが、「人間のロボット化や情報洪水を防ぐには情報学的転回が重要」というインタビュー記事で、西垣通教授が言っていた「生命情報」「社会情報」「機械情報」という分類は、こうしたTUIの扱う物質的情報とGUIの扱うシンボリックな情報の間で捉えるべきなのでしょう。

アトムとビットの対立項の融解

先に紹介したインタビュー記事の最後の石井教授は次のような言葉が僕には印象的でした。
シグナルをコンピュータからモノに送って、色を変えたり、形や柔らかさを変えたりする技術は、今はない。しかし、何十年か後に、アトムハッカーたちが、そういう技術を生み出すかもしれない。それこそ、ナノ技術なんかを使ってね。

まさにこうした研究を進めているのがMITのファブラボだったりするわけで、こうなってくると対立項はビットVSアトムではなくなってくるのだろう。
というか、情報とモノを区別すること自体に意味がなくなってくる。モノはTUIとして情報を表現し、ヒトはモノそのものをTUIとして扱うことで情報をコントロールし、INPUT/OUTPUTを行う。
そうなると、ビジネス的に考えても、情報を扱うIT系企業VSアトムを扱うメーカー系企業なんて区別自体、意味をなさなくなるでしょう。

問題はそうした方向をきちんとGOALと見定めた上で、今やるべきことをはじめられるかどうかという点に関わってくるんじゃないでしょうか?
もちろん、石井教授自身がTUIはGUIに取って代わるものではなく、共存するものだと言っていますし、それが昨日の「2つの階層構造、2つの分類法(タクソノミーとオントロジー、あるいは、クラスとセット)」で論じた言語を中心としたシンボリックな情報をいかに扱うかが依然として重要な課題である点にもつながるのではないかというのが私見。

このあたり、まだ未整理な部分もあるので、もうすこし時間をかけて整理していきたいですね。

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この記事へのコメント

  • SW

    本エントリ、一票です。

    そういうことだと思ってます。
    2006年05月11日 23:49
  • gitanez

    一票ありがたくいただきます。

    まずは「情報」と「物質」についてもうすこし探求をしてみます。
    2006年05月12日 00:14

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