美術カタログ論 記録・記憶・言説/島本浣

それはそもそも財産目録からはじまっている。

最近、INAのArchives pour tousでの映像資料の公開や東京都現代美術館で開催されている「カルティエ現代美術財団コレクション展」開幕セレモニーでの石原都知事発言、さらにその前には村上隆とナルミヤ・インターナショナルの間の著作権侵害訴訟の話題など、アート系のエントリーが続いたので、この辺でいったん僕なりの見解を整理すると同時に、僕の見解に大きな影響を与えている、島本浣氏の『美術カタログ論 記録・記憶・言説』という本を紹介しておこう。

まず、島本氏の『美術カタログ論』という本は、17世紀の誕生期から20世紀初頭に到るフランス絵画界における美術カタログを調査しながら、そのカタログでの分類や記述の形式や作品に関する言説の変遷を見ることで、美術の記録法、表象法と同時期に起きた美術市場の形成、美術作品の一般への浸透をていねいに紹介してくれている本だ。

この本で著者の島本氏は、美術カタログの出自を貴族階級など裕福な人たちの間でいわゆる博物学が流行していた当時の財産目録に見出している。
目録は個人や集団の所有財を記録・記憶として表象するものだが、それだけでなく、財の集中する場-昔であれば王侯や貴族、近代では資本家や国家がすぐに想起されるが-の権力や趣味の一覧表ともなる。
島本浣『美術カタログ論 記録・記憶・言説』

そう記述した上で、島本氏は、
十七世紀になると、相続者が何らかの理由で個人の財産を売りにだす際に、財産目録は印刷されるようになってくる。このとき、目録はカタログとなる。
同上

という形でカタログ誕生の瞬間を描いている。

いわゆるコレクターの財産が売りに出される場。それがいまもアート作品の売買の場としてのオークションだ。
つまり、これまで権力や趣味の一覧表として身内内での相続に関わる記述であった財産目録が、その瞬間、オークションという商売の場で身内以外の他者である一般の美術愛好家に売るための商品カタログとなったのだ。
そして、それは同時に美術市場、美術作品の顧客である美術愛好家が生まれた瞬間でもある

こうした歴史の流れを無視して、あたかも売り物としての美術作品、それを買う顧客、そして、その両者を束ねる美術市場が存在していたと考えたり、なぜ、そうした美術市場が西洋では現在でも活況を呈しているのに、同じ歴史的プロセスを踏まなかった日本においては美術市場がほとんど存在しないも同然であるかを考えずに「現代美術はわからない」だとかいう理由で現代美術自体を批判してしまう(まぁ、一般の人のはいいんだけど)のはいかがなものかという気もする。

変化するリテラシー(Web2.0とパーソナル・ファブリケーション)」のエントリーでは、ニール・ガーシェンフェルドの『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』から、以下のような文章を引用した。

フェレンツェのメジチ家を代表とする商人、市長などの有力者、啓蒙思想が普及する前の君主を中心とする後援者のコミュニティが出現し、教会ではなく、個人のために、個人から芸術作品を買うようになった。ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチは、徒弟として制作活動を始めたが、結局評価されたのは、職業的な生産性ではなく、個人的な表現力だった。レオナルド・ダ・ビンチは、最終的に自分一人のために仕事をするようになった。
ニール・ガーシェンフェルド『ものづくり革命 パーソナル・ファブリケーションの夜明け』

こうした時代を経て、さらにより一般の人(とはいえ、対象はその頃、産業革命などとともに登場した裕福な商人たちだが)の層にも開かれた美術市場が誕生したのが、美術カタログの誕生した17世紀なのだ。

その後、美術市場は18世紀に本格的に確立する。
そこではパリのような大都市に現れた新興富裕層(ブルジョワジー)を美術作品の買い手として取り込むかということを目的に、競売会(オークションの開催)、競売カタログの発行、オークションの下見会を行うためのギャラリーの開設など、さまざまなマーケティング施策が実行されている。
こうした施策が成功し、18世紀後半にはパリでの競売会が急増。年間の開催数は50年代から80年代にかけて10年ごとに、58件、121件、274件、414件と増加し、「80年代には毎週1件の競売会が行われるまでになっていた」と島本氏は記している。
この増加の過程でブルジョワジーがいわゆるイノベーター理論でいうところのアーリーアドプター(オピニオンリーダー)の役割を果たし、その後、より一般的な層であるアーリーマジョリティ層にまで美術は広がっていく。

そして、もちろん、そこにはカタログ自体の記述・表象形式の移り変わり、美術館の役割の変更もあった。

今では想像しにくいことだが、17世紀、18世紀の美術カタログにはいまのような作品の図版は掲載されていなかった(ついでに言うなら美術作品には今のような「タイトル」さえなかった。それも歴史が進む中で売るための利便性からつけられたのだろう)。
初期には作品解説にその作品の持つ意味を啓蒙的に紹介する記述が含まれていたりした時期もあったり、作品の説明も描かれたイメージとモノとしての作品を示す作品サイズが混在する記述が見られたりもして、まだカタログとしての標準化もとうぜんながらなされていなかったそうだ。
その後、描かれたイメージ(テーマ)とモノとしての作品の記述(大きさや使われた画材など)を完全に分離する記述への変遷などが、市場の要請(オークションに参加する買い手の意見)なども踏まえながら、記述形式が標準化されていく過程が見られたという。

しかし、そうしたカタログに現在のような作品自体の複製図版が掲載されるようになったのは19世紀以降だったようだ(とはいえ、最初の複製図版は写真図版でなかったことも歴史観を理解してもらうため述べておこう)。
つまり、美術が本当の意味で一般化したのはこの時代なのだろう。
そして、それはまぎれもなく美術が近代化する時代、いまのような現代美術の源流が生まれた時代だ。
いまでもアートは金持ち向けの商品ですが、美術が一般化した際、それは別の形での購入(消費手段)として、美術館や美術展の観覧、アートフェスティバルへの参加、そして、美術カタログ(作家別の作品集ができたのもつい最近-20世紀になってからのこと)が一般向けに用意されたのだ。

カタログと市場が同時につくられたという歴史的事実は、企業のWebサイトが商品カタログであると揶揄される対象になるのに対して、Amazonのようなサイトがいかに魅力的で便利なカタログサイトであることが賞賛されることになるのかという、考えれば当たり前のことをあらためて考えさせてくれるような気がする。
カタログとは買うことを容易にする記述形式、情報デザイン形式であり、それはAmazonのようなコマースサイトには適した情報デザイン形式であっても、そこで購入を行わせることを目的にしていない企業サイトでは不向きなデザインだということであり、また、その記述形式は市場形成~維持とも大きく関係しているということです。

島本氏のこの本はそういった意味で、単なる美術カタログ論以上のもので、美術市場史でもあり、美術の社会化を綴った歴史書でもある。
そして、何より現在のネット社会において、アート作品やオリジナル性(この場合、物質として複製ではないオリジナルが存在するといった程度の意味)とは無縁の複製芸術作品(映画、テレビ、漫画、小説でもなんでもいい)が危機に瀕しているとしたら、まさにこのカタログといった記述形式そのものが現在の情報社会において危機的状況を迎えているのではないかと思ったりする。
ソフトが無料化するのではないかという未来への不安を考える際、実はもっと現在の情報の記述形式や流通形式、消費形態についても考察する必要があるのではないかと、この本を読むと思うのだ。

関連エントリー


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック