- いや~、でも、なんでなんでしょ。著作権がネットにおいて機能しなくなるって話になると、どうもすぐに広告モデルの話になっちゃうのは。他のブックマーカーたちもこめんとしてたけど(っていうか、コメントだけで済ませるんじゃなくて、エントリー立てなさい。君たち)、確かに僕自身、違和感感じて「う~ん」とうなりたくなるところ。
- ソフトが無料になるってことでは、やっぱりいわゆる狭義のオープンソースが先例となるわけで、それらが必ずしも広告モデルでやってるかっていうとそうでもないよなって話。
- 広告モデルというビジネスモデル時代はいいと思うんです。でも、すぐにそこだけにつなげちゃうのは短絡的な感じがして、ちょっと味気ないなっていうのがこのエントリーの主旨。なので、広告モデル批判なんかではまったくないので、それを期待してる人には先にゴメンナサイ。
- で、昨日の「INAのArchives pour tous 文化における見る価値と保存する価値」には、INAのアーカイブ公開について、こんなコメントを書いた。
- 「フランスという国が、自国の文化を明確な形で自国のブランド価値、無形資産として位置づけ、自国の利益創出のためにマネジメントしようとしていることがよくわかります」
- そうなんだよね。いきなりビジネスモデルの話まで跳んじゃう前に、それ(=情報。作品でも可)が無形資産であるということをバランスシート的に認識してみたらどうかと思うわけ。
- つまり、それが「データは次世代のインテルインサイド」って話。
- ちょっと前にはてブで人気エントリーになった404 Blog Not FoundのDanさんの「Googleは広告会社か?」ってまさにそういう内容だったわけで、すぐに広告モデルにいたる連想を開始するんじゃなくて、一旦「情報のネゲントロピーは、それ以上にうまい。そしてその油田を、どの産油国も成してないシェアでGoogleは押さえているのである--現在のところ」っていう部分に回り道してみたほうがいい。
- といった意味で、もう一回、自分自身のもっている無形価値は何?っていう質問まで立ち返ってみないと、なかなかビジネスモデルの転換をうまい具合に進めることはできないんじゃないかって思ったりする。
- とはいえ、いま、ここに答えを持ってるわけじゃなく、さっきも書いたように「著作権モデルの崩壊~広告モデルへ」みたいな短絡的回路はどうかなというところを書くのがこのエントリーの主旨。で、それに対して無形資産という場所を迂回する道を描いてみたってのがこのエントリーのいちおのオチでしょうか。
- オープンソースも決して無償ではない。無償の部分もあるけど、ビジネスモデルとして成り立っている部分もある。やっぱり、そういうところの成功を表面的なビジネスモデルを真似るのではなく、それが何を価値ある資産と捉えることで成り立っているかを考えるほうが、次のビジネスモデル構築への近道になるのかなと思ったりしたわけです。
- まぁ、結局は新しいビジネスモデルの構築より、古いビジネスモデルからの脱却のほうが苦労しそうだなって思ったりするけど。
- INAのArchives pour tous 文化における見る価値と保存する価値
- 変化するリテラシー(Web2.0とパーソナル・ファブリケーション)
- 村上隆時代の終わり、日本アート空白の時代の再来
- 美術市場における複製の歴史的意味
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この記事へのコメント
SW
エンタープライズを経験すれば肌感覚で分かるところですが、広告モデルや単純な意味でのオープンソースでミッションクリティカルはそう簡単にサポート出来ません。
少なくとも、独自の論理とエコノミクスで動く事業体が外部の広告モデルに依存するというのは、経済価値の流出を内包することになるので、原理的には矛盾した話です。
よって、もうちょっと別の落としどころが出てくると考えるのが素直なところです。
※もっと単純に、広告費とインフラコストの経済規模を比較してもいいのですが。
gitanez
以前は確かエンタープライズサーチ関連の時だったか、と。
おっしゃるとおりでエンタープライズ(特に大規模の)を対象に考えると、すくなくとも現段階での広告モデルやオープンソース的なもの(とりあえずこう言っておきます)では、サポートとしては力不足なのは、私も仕事をしていて感じることです。
上記のエントリーでイメージしてたのは、個人や規模がそれほど大きくないレベルのエンタープライズ(企業体)だったのですが、そのレベルでさえ、サポートしきるのはまず無理ですね。
と、ここで答えは出し切れないと思うので、また別エントリーをたてて「別の落としどころ」についても引き続き考えてみたいと思います。
SW
をを、それは失礼いたしました(^^
続きも楽しみにしています。