そして、UGCといった瞬間、リテラシーの問題が顔をもたげる。
User Generated Content として LEGO を楽しめる人は、LEGO Literacy のある人だけであり、現状でそのような人は LEGO Geek しかいない。一般人が LEGO Literacy を育てられるパスが存在しない。昔から一般人は押し着せのセットを買ってきて楽しむしか無く、今ではそれがゲーム機にさらわれている。というのが TechUser.Net の Latif の指摘である。
奇しくもこれと同じ問題を、Publishing 2.0 の Scott Karp は Web 2.0 に対して一貫して叫び続けている。User Generated Content としての Web 2.0 を楽しめるのは Geek だけであり、一般人を育てるパスが不足している、と言うことらしい。
なるほど、LEGO Literacyはゲーム機のリテラシーにとって代わられ、LEGOのビジネスは危うくなったというわけか。
とはいえ、この問題をそのまま、リテラシー全般のこととして認識するのは、あまりに短絡的すぎる。
伊集院光が、ラジオでまた面白いことを言っていた。氏はFF12が好きではなく、MOTHER3には激しくはまった。
その違いとして語るところを要約すると、こんな感じになる。FF12は全てを緻密な絵、フルボイスで提示してしまい、自分で想像する余地が全くない。対してMOTHER3はそれほど緻密でないドット絵を見て、スクロールするメッセージを読みながら、自分の中で想像力を駆使し、脳内で自分にとって最高の映像として膨らませることができる、と。
これが短絡的な認識の一例だ(とはいえ、伊集院光の発言なのでむしろ短絡的すぎるほうがいい)。
なぜ、短絡的かというと、別にドット絵を頭の中で最高の映像に膨らませる想像力だけが想像力ではないからだ。
それこそ、ガチガチに階層構造化された大企業の中で縦横(上下のつながり、関連部署)に緻密にネゴや調整をかけながら、1つのプロジェクトを推し進めるリテラシーだって想像力がなければできない仕事だ。
ただ、それは数十人程度の組織で意味のあるリテラシーではないし、ましてやMOTHER3やレゴで遊ぶ際のリテラシーや想像力とはまったく違うというだけだ。
リテラシーや想像力の醸成
さて、LEGOやゲーム機の話に戻すと、僕自身は子供の頃、いずれにもはまった記憶がないし、今でもゲームはまったくやらないので、LEGOやゲームのリテラシーがどういうものか、正確には理解できていない。
かといって、自分に想像力がないかといえば、たぶん、そんなことはなく、何か別の方法で想像力を養ってきたのだろう。
自分で分析すれば、とにかく子供の頃はロボット・アニメと実写のヒーローもの、そして、動物図鑑が好きで、それらをマッシュアップにして、自分なりに「それぞれ動物の個性を有した合体型変形ロボット」の絵を描き、それをはさみで切り抜いた上で、敵/味方に分けて遊んでいた記憶がある。せっかく時間をかけて描いたものも「戦闘」において、最後はバラバラに切り刻まれ、ゴミとなるのだが、1つがゴミになれば、また新しいロボットを描くことになるので、いま思うとそれが楽しかったんだろう。
リテラシーとマーケティング
と、そんなことを考えると、元々リテラシーも想像力もその時代の技術的トレンドによって変化するのだと考えたほうが自然だ。
LEGO Literacyもあの時代の技術が生み出す大量生産技術がそういう方向性を示していたからであろうし、MOTHER(3)からFF12だって技術レベルの移行としてみればごくごく当たり前のことだ。
そして以前の技術の肌触りをなつかしむ人がそれを称えて、ちょっぴりおしゃれなフレーバーやGEEK好みの高度なリテラシーによって、「エスキモーに氷を売る」ように技術的には時代遅れの製品にそれとは異なる魅力をもたせるのだろう。
とはいえ、それも過去の製品に愛着をもっている人がある程度の数存在している間しか機能しないのかもしれない。
という意味で、LEGOの業績不振につながる、というのは、ある意味、自然なことかもしれない。
密結合から疎結合へ
で、"LEGO"という素材を活用しながら、業績をテコいれしようとするなら、確かにこんな風な事業の変換は方法としてあたっているのかもって思う。
レゴランドの売却は成功だったと考える。LEGO直営時代は本体の赤字もあって施設の改良もままならなかったらしいのだが、Blackstone はかなりの投資をレゴランドに注いでいる。実はこの Blackstone は、オーランドにある Universal Studio Escape の筆頭株主であり、Sea Life 水族館や Earth Explorer 博物館のチェーンを所有してもいる。
ようするにBlackstoneは、レゴランドを、LEGOというオモチャのブロックの文脈から解放(密結合状態から疎結合状態へ移行)した上で、あたかもWeb2.0的インターネットユーザーがBloglinesやfeedpathやLivedoor Readerを使いまわしているように、「Universal Studio Escape」「Sea Life 水族館」「Earth Explorer 博物館」などを利用できるように変換したのだろう。
レゴランドがLEGOと密結合状態であるときには、MS Officeというブランドですべてをまかなえるようにしようという発想に近いが、疎結合的技術をもちいれば(例えばOPMLなんかを使えば)、同一のリテラシーを必要とするサービス間を自由に行き来可能になる。
これは縦の統合から、水平方向へのゆるやかな連携に移っているってことなんだろうね。
と、最後はあんまりまとまらない形だが、なんとなくそういう方向に時代はシフトしてるんだろうなって思った。
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