特殊と一般:マーケティングにおけるプランと実行

確かに「中の人の習性」をわかっているかどうかは、マーケティング・プランを有効な実行に移す際のキモだ。

連合もここまでブロガーを使ったキャンペーンを考えたのは偉いと思うけど、そういうところが実は画竜点睛を欠いてる気がするんだなあ。(中略)このキャンペーンをアドバイスしたマーケティング・プランナーの方、ネットマーケティングの要諦はそういう細かいインターフェース・デザインの部分なんですよ。

昨夜の「村上隆時代の終わり、日本アート空白の時代の再来」のエントリーに対するはてブ・コメントで「「アート」という特別な文脈で語ろうとするからおかしくなるのでは?」というコメントをいただいたが、実はこの世に特殊な文脈以外はありえない。
特殊な文脈のでっかいヤツが一般的な文脈であり、その視点にたてば特殊だの一般だのいってみてもはじまらないのがわかる。
その文脈について語ろうとすれば、その文脈について知るしかなく、そして、いまや未開の地はほとんどないくらいあらゆる文脈が手垢まみれの状態でほとんど文脈を語るのに必要な知識はこれとこれとあれとそれという具合に決まっている。
まずは必要な知識を踏まえた上でなければ有効な語りはできない状態だったりする。

同じことがブログマーケティングでターゲットにする場合にもいえる。
ブロガーの文脈(あるいはコンテクスト、あるいは生態)を特殊だの一般だのいってみてもはじまらなくて、実行するならそれなりにブロガーの生態について知っておかなくては、プランレベルでのアイデアでは問題なくても、まさに実行レベルではイマイチだめってことになるのは当然だ。

Web関係者の中でのWeb2.0デバイド」のエントリーで「Web2.0とかブログって体験してみないとわからない部分が多い」と書いたが、それも結局、そういうところにつながってくる。
というのも、このブログ生態圏というのは現代においてはめずらしく、未開の地とまではいかないまでも入植がはじまったばかり、まだ明確な文脈や、これとこれとあれとそれを知ってればこの文脈を片ってよし的な知のパッケージができていなくて、あれこれ勝手なことを言いたい人にはよい環境。つまり、体験してみないとわからないというのは暗黙知がまだ形式知かされていないからで、そこでは初期入植者(アルファブロガー)たちが自身の経験によって得た知識を、わりと身近な人たちと経験を共有することで知の伝達を行っていくということが、ある意味では唯一の有効な手段なのかもしれない。というわけもあって、アルファブロガーはいろんなところから引っ張りだこなのであるが、それも先の前提にたてば、そこに参加する人が「わりと身近な人たち(=すでにブログをかじりはじめた人)」でなければ、知の伝達はうまくいかないという結果になる。

一方でそうした語るものにとってはまだユートピア的で牧歌的な雰囲気を漂わせているブログ語県内で語り慣れてしまった人が、アートなんかの長い歴史の中である程度語るための文脈が出来上がっちゃってる特殊かつ一般的な分野で語ろうとすると批判の対象がすでに内包している文脈で語っているだけの無意味なものになってしまい、つまり、それは批判対象の手のひらで踊らされているだけの無様な姿をさらしてしまうことになる。

なんだかまとまらない話になってるが、ある程度、全方位的にやろうとするなら、文脈のストックはある程度、必要になるわけですよ。

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