村上さん、必要以上に"既得権益"をもちだすなら逝ってよしですよ

アートだと言い張る限り、"オリジナリティ"という主張はまだセーフなんだろう。

そんでものすごく大雑把にまとめると、「ゲージツ家が商業デザインをパクったりおちょくったりしてがっぽりお金儲けするのは、それは逆にすげえゲージツ的なことであり、単なるパクりを超えてオリジナルアートと化すわけだから許されるべきことだけど、企業がゲージツ的オリジナルアートをパクったりおちょくったりしてお金儲けすることは絶対許さないお! それは激しく著作権法違反だお! 損害賠償を請求するお!」ということかと。


しかし、1つ前のエントリーでも引用したように、村上氏自身が「キャラクターであると共にアート作品」と言った瞬間、つまりは「アート作品であるとともにキャラクター」であることを認めた瞬間、それは同じ商業デザインの文脈におさまることを認め、それが属するもののルールが適用されるのではないだろうか?
ようは「デゼニランド」さんに訴えられても文句は言わないと言っているのに等しいのではないだろうか?

かつては村上氏を指示してもいた批評家の東浩紀氏は「ここで問題なのは論理の一貫性」だと書いている。「彼の美術家としてのオリジナリティは、本来は、DOB君のデザインではなく、むしろ商業主義や美術の文脈の転倒というトータルな戦略にあった」と言っている。
その上で、

ところが、その彼がいまやデザイナーとして権利を主張している。少なくともそう見える。おそらく村上氏としては、デザインの借用そのものというより、自分のコンセプトに敬意を払わないままにデザインだけ借用された、そのことへの怒りのほうが大きかったのでしょう。それは分かりますが、それでもこの裁判はデザインの問題として理解されるはずです。著作権侵害で争うというのは、そういうことです。だとすれば、今後は、DOB君のデザインが本当にオリジナルなのか、商品としてどれほどの魅力があるのか、ほかの無数の商業主義的なキャラクターと同じ厳しい基準で検討されざるをえない。今回の和解で、DOB 君の権利は救われたとしても、村上氏の特権的な位置は怪しくなったのかもしれません。

いつの間にか村上氏がアートを過大評価しすぎるようになってしまったのではないのだろうか。
それが先のエントリーで書いた違和感だ。
そして、もっと正確に言うなら「むかついている」。

著作権云々で訴訟を起こしたこと以上に、その破綻したロジックを用いた言い分にだ。
「キャラクターであると共にアート作品」だなんて都合のいいことを言ってくれるな、と。
いろいろあって大変かもしれないが、もう完全に感度が鈍っちゃってるんじゃないの?って思う。

村上氏はこのサイトがもつ意味をわかっているだろうか?
それがあなたを含めたアートにもどんな影響を及ぼすのかを、その感性でしっかり受け止められているのだろうか?

The Internet Archivehttp://www.archive.org/

そこではすべてがパブリックな財産としてアーカイブされる。
どんな知的財産であれ。
そして、それは何もこのサイトに限ったことではなく、情報社会の基本的な条件だということを。

しかし,こうした現状に甘んじるのではなく、オリジナルアートの価値を社会に認識してもらうことが重要です。私は、これからもそのために精力を注ぎ続けていきます。

その「現状」ってヤツは、ちゃんと以前と同じように感性あふれる鋭い視点で見た「現状」なんでしょうか?

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