この文言とアートデザインとは関係ないかと思われますが…
なんとなく不満が言いたかっただけですか?
文言表記、ブランディング、デザイン、リテラシー、2.0とか、諸々がごっちゃになってないですか?
Web2.0って言いたいために揚げ足とるのもどうかと…
ごっちゃな書き方をしてしまったせいで、よけいな苛立ちをもたせてしまったようで、申し訳ない。
なので、あらためて「この文言とアートデザインとは関係ない」わけではないことを、整理して書き直してみたい。
まず、対象範囲を絞ろう。
先のエントリーでの攻撃対象(といっても攻撃するというつもりもないが)は、ラルフ・ローレンそのもののデザインではなく、ラルフ・ローレンのWebサイトのデザインに関わるものだ。
例の文書が自動翻訳であることはすでにコメントにも書いた。
Webに詳しい方なら言われなくともピンと来た人がいるだろう。
ようするに、あれを書いた時点で思ったのは、「ビジュアルデザインばかりをチェックするんじゃなくて、文言もちゃんとチェックしろよ」という単純なことだった。
しかし、実は、事はそう単純ではない。
あのサイトの問題点は、全面的にFLASHを用いてつくられているために情報単位での参照ができないことにもある。
例えば、USのPOLOブランドのサイトであれば、以下のような参照が可能だ。
このパンツがほしい。東京に帰ったら買いにいこう。
さらにこのパンツを探したければ、"Bleecker Distressed Chino"と名称でGoogle検索すれば、すぐに見つけ出すことができる。
一方で、例の日本語サイトではそうなっていない。
個別の商品単位での参照ができないし、当然、個別の商品を検索エンジンから探し出すことは不可能だ。
僕はSEOスパムが大嫌いだが、最低限、検索エンジンにインデックス化される配慮もしていないサイト・デザインも嫌いだ。
これは想像するに、自動翻訳同様、グローバルに展開するサイトを1つのシステムでコントロールしようとした際の設計思想によるものではないかと思う。
ユーザビリティ、特に情報がWeb上に大量に存在する現状でのファインダビリティを考えればありえないことではないかと思う。
Webデザインに関わる人ならわかると思うが、Webサイトを作る際にビジュアルデザインとファインダビリティやユーザビリティの向上に関わる情報デザインとは、完全に切り離せるものではない。
Web Standard的な設計法では、それをCSSと(X)HTMLにファイルを分割して記述することはできるが、設計の過程でそれらを完全に別々に進めることはできない。
文言(情報)と見栄えの設計、そして、振る舞いの設計は、設計プロセスにおいては、相互に絡み合って進行する。
その意味で、例の文言とRalph Lauren Japanのアートデザインとは無関係ではありえないと思っているし、Web制作、開発に関わる人で、そうしたデザインを意識していない、理解していないのだとしたら、危険ではないかと思う。
しかし、前回のエントリーではもうすこし対象をひろくとって「感覚的なものだけでアートだとかデザインだとかを捉えてる人」と言及したことも確かだ。
これに関しても、その意図を弁明しておこう。
すでにコメントにも書いたが、アートとかデザインという言葉を思い浮かべる際、僕はその翻訳語が「技術」であり「設計」であることを想定している。
具体的な人物像を描くとすれば、レオナルド・ダ・ヴィンチだ。
ダ・ヴィンチの時代のアートと現代のアートに関してはだいぶイメージが違う。
イメージというか、その範囲が違う。
いや、本当に活躍しているアーティストのレベルではたぶん、そんなに違わないのだろうが、一般的な人のアーティストに抱くイメージとしては、ビジュアル的な側面や「芸術」という言葉でイメージされるような、「技術」や「科学」とは無縁の世界であるかのように感じられているだろう。
しかし、ダ・ヴィンチがそうであったように、そして、ゲーテが「色彩論」を著したように、アートと科学技術は昔は今想定される以上に深く関係していた。
それが以前、「美術市場における複製の歴史的意味」で紹介した『美術カタログ論 記録・記憶・言説』で描かれるような美術作品のコマーシャリズム化を経て、その「科学技術」的側面をそぎ落とされて単純化されたことで、現在のようなアート像ができたではないかと考えられる。
しかし、脳科学者の茂木健一郎氏が『クオリア降臨』の中でも書いているように、科学と芸術は本来、不確実なものに関する人間の異なる2方向から探求であることを考えれば、ダ・ヴィンチのように1人の人間が同時に2つの方法で自らの研究を行ったとしても何ら不思議ではない。
より現代に近い時代でも、モールス信号を発明したモールスは、著名な画家としての経歴をもっていたことが知られている。
そして、私見では「情報」という対象をめぐって、科学・技術とアート・芸術がたがいに切磋琢磨しながら、道を切り開いていくことが求められている時代になったのではないかと感じている。
だからこそ、先のエントリーでは、「感覚的なものだけでアートだとかデザインだとかを捉えてる人は、下記の理由で、2020年には死滅する運命にあるね」という厳しい言葉で表現させてもらった次第である。
すべてをうまく整理して、説明できてはいない気もするが、すこしでも問題意識を共有できたなら、幸いだ。
いずれにしても、こうした時代の変化を肌でとらえて、他人ではなく自らを変えていくことを心がければ、科学技術にしろ、アートデザインにしろ、前向きな進化をとげる一助になれるのではないだろうかと思う。
DESIGN IT! with LOVE.
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