必要以上のポジティブシンキングは他人の目には病的に映ることがある。
とりわけ自己や自己の周りのものに対する過剰なポジティブシンキングというのは情緒不安定に感じられる。
無理してポジティブに振舞おうとせず、ニュートラルでよいだろう。

へんにポジティブな意識をもたずとも、つまりニュートラルな状態でも、自分を支えられる状態が好ましい。
ポジティブな意識に支えてもらわなくてならない自己というのはむしろ危うい。

というより、自己などというものは自分で全部支えようとするから無理が生じて、いびつになる。そうではなく、自己などというものは、ある程度、他人やまわりの環境に支えてもらえばいいのだ。

この場合、自己を他人やまわりの環境に支えてもらうというのは、必ずしも甘えるということではない。怒られたり無視されたりすることまで含めて現実を認めることだ。たまに褒められたりことも含めて。

ひやひや、どきどきしながら生きていればいいのだ。へんにポジティブな言葉で、自分を鎧で包み込んでしまわずに。
鎧は痛みを与える刃物からも身を守るけど、暖かい抱擁からは身を遠ざけるのだから。
自分を外から閉ざす言葉の鎧を、自ら突きとおす刃を持たないのなら、言葉などはある程度、不自由くらいでいいのかもしれない。

私は弱い。だから「鎧」を身にまとう。
寒空の下、鎧を脱いで、自分の外に出よう。冷えた空気のもと、弱い自分を認めつつ。


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