ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方/横須賀美術館

先日の土曜日(3日)に、横須賀美術館で開催されている、「ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方」に行ってきました。

ブルーノ・ムナーリ(1907-1998)は、イタリアでの「未来派」の運動にも関わりのあったアーティストであり、独創的な絵本作家であり、プロダクトデザインやグラフィックデザインに関わったデザイナーであり、子どものための造形教育に携わった教育者でもあるなど、多彩な活躍をした人です。

僕自身、ムナーリの展覧会を観るのは、2007年の暮れから2008年の年初にかけて、生誕100年を記念して行われた2つの展覧会を見て以来です。
久しぶりにブルーノ・ムナーリの作品に触れてみたわけですが、前回見たときより興味深く作品を見ることができました。

例えば「negativo positivo(陰と陽)」。
このリトグラフを使った平面作品は単純な色と形によって構成されたものですが、見方によって図と地が入れ替わることを狙った作品だと、ムナーリ自身が説明しています。確かに見ていると、色の濃度の違い、彩度の違いと、平面における面積比によって、同じ一枚の絵の中で、図と地が入れ替わるような感覚を思えます。
ムナーリの生きた時代というのは、グラフィックアートやグラフィックデザインの分野で、具体的な方法論の模索が積極的に行われた時代だと思いますが、「negativo positivo(陰と陽)」もまさにそうした時代にふさわしい認知的実験がアート/デザイン的な手法をもって行われた重要な作品だと感じました。

多彩な分野で活動した人ですが、今回その作品を見て、あらためて感じたのは、ムナーリという人は、生涯「わかること」「発見すること」「想像する/創造すること」とはどういうことかを追いかけ続けた人だったんだなということでした。

カリグラフィーに強い興味をもっていたムナーリが漢字からインスピレーションを得て制作したであろう作品「知られざる人々の読めない文字」や、譜面の破片から想像的に元の形を再構成した「空想のオブジェの理論的再構成」のような作品も含め、単に結果=モノとしての作品を作ることよりも、形やイメージが生成される=創造/想像される過程そのものに焦点を当て続けた人ではないかと感じたのです。

その意味で、ムナーリという人は、色即是空の人、諸行無常の人という印象が僕には強くあります。

保存されるべきものは、モノではない。むしろそのやり方であり、企画を立てる方法であり、出くわす問題に応じて再びやり直すことを可能にさせる柔軟な経験値である。
ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』

できあがったモノそのものではなく、それを生み出す方法であったり、その方法を駆動させる経験値が養われることそのものに着目し続け、生涯その活動に精力を傾け続けたムナーリのような人こそ、いま再び注目すべきではないでしょうか。


展覧会の感想

今回の展示会では、複数のパートに分けて、後期未来派の影響もみられる「役に立たない機械」や、折りたたみ可能な「旅のための彫刻」、コピー機を使って複製でない唯一無二のイメージを制作した「ゼログラフィア」のようなアート作品、ダネーゼ社の灰皿や伸縮性のありニット素材を使った照明、子ども用の居住ユニット「ABITACOLO(アビタコロ)」などのデザイン作品、「nella notte buia(暗い夜に)」 「i prelibri(本に出会う前の本)」などの書籍作品などが展示されていました。

その中でも、なんといっても今回の見所は、ムナーリが創作した遊具に直接触れられる体験コーナーが設けられた点でしょう。

イタリアのダネーゼ社から販売された、いろんなパーツを組み合わせてアルファベットをつくる「ABC CON FANTASIA」というパズルや、同じくダネーゼ社から発売された、いろんな絵の素材(人、木、動物、乗り物など)が印刷された透明のシートを重ねて、好きな絵を作る遊び「プラス・マイナス(つけたり・とったり)」などの遊具で自由に遊べるコーナーです。

子供の遊具として作られたものは、やはり実際に触って遊んでみないと価値はわかりません。通常の展覧会ではガラスケースに収まったものを見るだけですが、それをちゃんと触れて遊べるようにしてくれたところはよい展示だと感じました。実際、僕自身も思わず時間も忘れて没頭してしまいました。

直接、モノに触れることで、遊具を使う子供をはじめ、使う人自身がさまざまな発見をしていくというのは、ムナーリが重視していることの1つです。

ムナーリ自身、『モノからモノが生まれる』のなかで、次のように書いています。

今日なお多くのデザイナーが、見た目ばかりを気にして設計し、美しいものだけを作ろうと腐心している。彼らは、完成品の感触が悪かったり、重すぎたり、軽すぎたりしても気にしない。触った感触が冷たくないか、解剖学的に優れたフォルムだろうか、ということには関心がないのである。
ブルーノ・ムナーリ『モノからモノが生まれる』

体験コーナに展示されている作品の1つに「目の見えない 少女のための触覚のメッセージ」があります。これもまさに触覚による体験を作品の特徴としたものです。
天井からぶら下がった紐に、スポンジや毛皮、たわしやビニールなど、触感の異なるさまざまな素材をぶら下げることで、テクスチュアに触れた人が素材から感じるメッセージを感じるように作られた作品です。

「i prelibri(本に出会う前の本)」という、まだ文字の読めない子供たち向けに作られた本なども、フェルトで作られていたり、本に穴が空いていて紐が通されていたりと、目だけでなく触覚でも楽しめる形につくられています。

どうしても視覚に偏りがちな美術/デザインの世界で、触覚も重視したムナーリの作品から学ぶことは非常に多いと思いました。

講演&ワークショップ「ブルーノ・ムナーリ・メソッド®:一生の仕事」

展覧会をみたあとは、生前のムナーリとともに造形教育に携わったベバ・レステッリさんによる、ムナーリやラボラトリオでの造形教育に関する講演と、ムナーリメソッド®がわかるワークショップにも参加してきました。

ムナーリの創作方法として、視点を変えることで新しい発見をすることや、「何かを複雑にするのは簡単だが、シンプルにするのは難しい」という言葉に代表されるシンプルを目指す方法などが紹介されました。

ベバさんがムナーリとともに行った子供向けのワークショップの紹介も、その光景を撮影した写真とものに紹介され、ムナーリがワークショップのなかで子供たちに見えていないモノを発見する方法を子供たちとのコミュニケーションのなかで伝えていたことなどを紹介してもらいました。

そんな子供たちとのワークショップの1つとして行われた手法の1つである「ダイレクト・プロジェクション」を、講演のあと、僕らも体験してもらいました。

「ダイレクト・プロジェクション」というワークショップは、鳥の羽根、葉っぱの葉脈、カラーセロハンなどの素材を、オーバーヘッドプロジェクター(OHP)を通じて映し出すことで、意外な発見をするという体験を学ぶワークショップです。

言葉で説明するより、実際のワークショップの写真を見ていただいた方がどういうものかイメージしやすいでしょう。

 


こんな風に、さまざまな素材がOHPを通して拡大された形で映し出されるとどのような表情をつくるか、どんな映像を生み出すかを、いろんな素材の特徴(透ける、影をつくる)を探りながら、意外な発見をしていくわけです。

ムナーリが最初行った当時は、OHPではなくスライド式のプロジェクターを使っていたそうですが、いまはスライド・プロジェクターが手に入らなくなったために、OHPを使っているといいます。

『ファンタジア』のなかには、このような記述があります。

もし子供を創造力にあふれ、息の詰まったファンタジア(多くの大人たちのような)ではなく、のびのびとしたファンタジアに恵まれた人間に育てたいなら、可能なかぎり多くのデータを子供に記憶させるべきだ。記憶したデータが多ければその分より多くの関係を築くことができ、問題につきあたってもそのデータをもとに毎回解決を導きだすことができる。
ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』

ここでいう「記憶したデータ」というのは、言葉による知識の蓄積とは異なるものでしょう。
そのデータの記憶は、むしろ、こうした自身の行動によって得られた発見の体験の記憶なのでしょう。

つまり、ムナーリが重視したのは、与えられたデータを機械的に記憶していく体験ではなく、自分の身体を使った発見的なデータを記憶していくという体験なのです。
こうした子供のファンタジアを育てるためのワークショップを、ムナーリはその生涯で数多く行ったそうです。

おなじ教育でも、外から与えられた知識を詰め込むだけの教育とはなんと大きな違いがあるでしょうか。
必ずしも子供の教育ということだけに限らず、大人の学習についても同じでしょう。
創造力を欠いた、息の詰まったファンタジアしかもたない大人たちは、こうした発見の体験の記憶データの蓄積があまりに少なすぎるのでしょうね。

ムナーリ展は、8月29日まで横須賀美術館で開催中です。
興味のある方はぜひ足を運んでみては、いかがでしょう。

ブルーノ・ムナーリ展 アートの楽しい見つけ方
横須賀美術館
2010年6月26日(土)~8月29日(日)
http://www.yokosuka-moa.jp/exhibit/kikaku/812.html



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