最近よい本との出会いが多いが、またしても、心に響く一冊である。
「生きる」ということはどういうことか、生きることと食あるいは農はどのような関係にあるのかを教えてくれ、美しく生きようという意欲を持たせてくれる。
ひとつ前に読んだ尾久彰三さんの『観じる民藝』

まったく読んでいて、自分の生活が恥ずかしくなる本である。
例えば、“私はこれまで「座す」ということに関してまるで夢を見ているような経験を二度しています”と述べたあとに紹介されるこんなエピソード。
1つは、私の英語の先生であるイギリス人とその友人、6名で座敷に通っていただいたときのこと。淡々と1つ残さずすべての料理を綺麗に召し上がっていただいた後で、私が食後の挨拶に顔を出すと、その六畳間はまるで由緒ある寺の本堂に導かれたかのような雰囲気でした。大柄な仏たちがきちっと座って、柔和な顔をしている。よく見ると彫りの深い青い目をした外国人なのですが、時空を越えて荘厳な異空間に入り込んだ気がしたのです。棚橋俊夫『野菜の力 精進の時代』
食の姿勢が仏のように美しく観られるような生活を僕らはしているだろうか? それが精進料理屋という日常のケの空間とは異なる場所、体験であったとしても、僕らはそんな姿勢をとることができるだろうか?
「恥」という言葉が読みながら何度も思い浮かんだ一冊だった。
美しく生きなければという想いが幾度となく込み上げてきた本だった。
では、読んだ感想も交えつつ、すこし内容も紹介しよう。
「月心居」の建築
本書の著者は、27歳からの3年間、滋賀県大津市にある美味しい精進料理を食べさせてくれることで有名な月心寺の村瀬明道尼のもとで修行をしたあと、92年、東京・原宿に精進料理の店「月心居」を開いている。15年に及んだ「月心居」は残念ながら2007年12月にたたまれたが、その後、是食(ぜくう)キュリナリーインスティテューを主宰して、「21世紀は野菜の時代」という信念のもと、野菜の素晴らしさや心身ともに豊かな生活を提案する活動を国内外で意欲的に続けている。
その月心居を原宿に建てた木造建築を得意とする建築家の吉田桂ニとの対談に、こんな場面がある。
吉田さんが家を建てる際には、施主の立場で作るのは当然として、施主自身も気づいていないことを察して設計するという話をした流れで出てきた会話である。
棚橋 そういう意味では、「その人間にふさわしい家しかできない」ということもいえるのでしょうか。
吉田 そうですね。誰でも住んでいいわけではない。
棚橋 人間がそこそこなのに、いい家を作りすぎてもだめということですね。
吉田 そうなんです。大切なのは「その人の家を作る」ことですから。棚橋俊夫『野菜の力 精進の時代』
そんな吉田さんが設計したのが、棚橋さん(もちろん、僕じゃないw)のために設計したのが月心居である。
棚橋さんは「料理をしている最中に、詰まったり引っ掛かったり、動きが止まってしまうような動線だと不自由なんですが、本当にうまくできています」と評価している。
その吉田さんの次のような言葉はさりげなく凄い。
吉田 今はもう僕は設計するときに紙もいらない、宙で作るんです。それで作りながら、その中を歩いてみる。歩いて、見て、どんな感じになるかなって。自由に映像が動くんですよ。部屋も、どう曲がればどういう空間が見えるかわかる。棚橋俊夫『野菜の力 精進の時代』
単にモノを作るのではなく、「その人の家を作る」という意味での人の動きが見えるのだろう。
しかも、その動く人は、単なる人一般ではなく、「その人」なのだ。
食生活の美しさ
以前、「食とコミュニケーション」というエントリーで、柳田國男さんの『年中行事覚書』もちろん、その尊さは宗教的な意味での尊いというのではなく、野や山の自然から自分たちを含む人々の労働によっていただくことのできる食をありがたくいただき、生きていけるということ自体の尊さである。
と同時に、その尊さが僕らが普段生きる姿勢そのものから消えてしまったことを恥ずかしく感じたのだ。
明治生まれのご夫妻に「月心居」で、食事を召し上がっていただく機会がありました。その老夫婦の背筋を伸ばし毅然とした姿は、日本人の原型(ルーツ)を垣間見た思いでした。
お二人が座られた部屋にはそれだけで気品が漂い、穏やかに食事を楽しまれるその姿は、神々しいほどでした。私も心が洗われる思いがしたものです。
食を楽しむには、作り手と食する人、お給仕する人のそれぞれが互いの持ち分をしっかりと把握して、美しく振る舞いながら気持ちをまっすぐ料理に向けなければいけません。言い換えれば、どんな立場でも手を抜かずにひたむきに料理に向き合うこと、それが基本です。棚橋俊夫『野菜の力 精進の時代』
著者はどんなに科学が発展した現在でも、茄子やトマトを人間がゼロから作り出すことはできないという事実を繰り返している。この当たり前の事実を僕らは普段忘れてしまっていて、自分たちがなんでも作れるかのように誤解して天狗になっている。
それゆえ、野菜をはじめとする食のありがたみを忘れて、感謝もなく、椅子の上で背中を丸め、テーブルに肘をついて、テレビなどを観ながら食事をする。そこには食への感謝もなければ、家族などとのコミュニケーションもない。
ところが上に引用した老夫婦には僕らが忘れた美しさがある。
作る人、食べる人が一体となって作り出した美しい食生活が、今はなき月心居では繰り広げられていた。
この差はいったいなんだろう?
そのことに気づいて僕は恥ずかしくなりました。
食文化はどこに?
この本を読み終えた今週末の土曜日に僕はさっそく鎌倉に出かけ、鎌倉中央食品市場で農家が直売する野菜を買った。居ても立ってもいられなくなったのだ。最初に紹介した野菜がその時買ったものである。
家に帰ってきて、その日の夕食は、買ってきた野菜を中心に調理をし、土鍋でご飯を炊き、一人膳に配膳して星座をして食べた。背筋を伸ばして食べたかったのである。
著者も書いているが、電気釜を使わず、鉄鍋や土鍋を使って炊くご飯はおいしい。そのおいしさは冷めたご飯を食べてみるとよくわかる。電気釜で炊いたご飯は冷めるとそのままでは食べられたものではないが、土鍋で炊くと冷めてもおいしいのだ。
同じことが椅子などに腰掛けて背中を丸めてする食事と正座して背筋を伸ばしてする食事の違いにも言える。
僕らは“便利さ”や“ラク”と引き換えに何をなくしてしまったのだろうか?
私はみかけは料理屋を装っていますが、いつも心の中で「料理屋の料理になってはいけない」と自分を戒めてきました。
料理屋になれば、当然、利益を求め経営していくことが最大目標となり、商売として成り立たせなけれはなりません。そうなると、家賃、人件費、材料費などを払って資金繰りをし、最後に「さて料理はどうしようか」と考えるはめに陥ります。食に対する思考の順番が逆転しかねないのです。棚橋俊夫『野菜の力 精進の時代』
著者は、「月心居」という料理店を15年間営みながら、上記のように考え、家庭で母親が作る料理とおなじものを、お客さんに提供しようと心がけ続けたという。
僕らはいまや自分たちが食べるものをスーパーなどで買って手に入れるしかない生活をしている。
本書でも、滋賀県は比叡山の麓にある「麦の家」の自給自足の暮らしが紹介され、そこを主宰する山崎夫妻のインタビューなども掲載されていますが、そこでの美しい生活に比べて僕らの日々の暮らしはあまりにも拝金主義的で皮相なものになってしまっている。
有名料理店に出かけ、地域ブランド食品に流され、賞味期限にごまかされ、スーパーでラッピングされた食材を買っている。コンビニやファミレスで食事をし、家庭料理でも○○の素、△△のタレなどという何でできているかもあやふやな調味料で味を付ける。食べログなどのレビューを気にして食事に出かけ、カロリー表示の数字を気にして食事をする。
そんな時代に「料理屋の料理になってはいけない」と自分を戒める料理屋があったのだ。一介の料理屋がそんなことを考えなくてはいけないくらい、この国の食文化は失われつつある。
しかも、それは食文化だけではない。衣食住とはいうが、それを支えているのが農であることも本書は指摘している。衣服の生地も、それを染める染料も、元は農によって作られていた。住まいで使われる布もそうだし、住まうということ自体、農的なコミュニティを中心だったはずである。
それらが失われたことまでは仕方ないとしても、それに代わるものが生み出されていないことは問題だろう。
僕らはもはやどう生きていけばよいかの指針となる文化を有していない。
そんな感想を抱きながら、まずは自分自身の生活からすこしずつでも美しいものに変えていかなければいけないと強く思うのだった。
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