2010年05月20日

弱くていい

弱くていい。頭なんて悪くていい。努力なんかほどほどで、途中でくじけてもいい。

人に認められようとはりきらなくていい。愚痴や泣き言を我慢することなんてない。人に頼って生きればいい。だらしなくてもいいし、言われたことなんてできなくてもいい。

弱くていいし、自分の弱さを受け止め、曝け出したほうがいいし、また、まわりの弱さにも目を向け耳を傾けなくてはいけないだろう。

いままで強いことがいいことだと信じ込みすぎていたのだ。学校でも家でもそう教わったし、会社でも社会でもそう強いられた。
でも、これからはそんなことはどんどんなくなっていくはずだ。

僕は最近ようやくそのことに気づいた。

もちろん、古い頭の人が過去を引きずって、相変わらず強さを崇拝し、それを強いることはあるだろう。
だが、間違いなく、そうした機会は減っていく。強いことはむしろ恥ずかしいことになっていく。強い人、強さに憧れる傾向は徐々にではあるが、減っていくはずだ。むしろ、その社会の変化のベクトルを僕らは積極的に認めていくべきだろう。

世界の辺境で愚痴をつぶやく

弱くてもいいのは、弱くても生きていけるからだ。逆に、強いことがメリットになることが減っている。

ある程度までは弱くても生きていける世の中になりつつある。
まだ改善すべき点はさまざまにあるにしても、料理なんか出来なくても食事に困らなくなってきているし、掃除や洗濯も機械がやってくれる。都心部では駅のホームに向かうエレベーターは当たり前のように設置され、ユニバーサルな環境が整う方向に向かっている。インターネットはこれまで情報へのアクセスが難しかった人にもその門戸を開いてくれた。

そして、Twitterをはじめとするソーシャルネットワークである。
誰もがやろうと思えば簡単に、自分の身体から毒素を抜くためにtweetすることができる。毒、愚痴、不満、誰にぶつけてよいかわからない悩み、自分をみてというアピールを、tweetする。それでいいと思う。そういう弱い部分がもっとみえるようになってもいいと思う。生物にとってすべてのアウトプットは毒素の吐き出す行為だという話もある。Twitterで毒づくことを問題視したり、愚痴を言うのをたしなめる必要などないのだ。

これまでの社会はそういう弱い部分を声として出すことが許されない傾向があった。
それは声を出すことにも多大なコストがかかったという要因が大きかったからだろう。コストを使える強いものだけが声を出すことができた。声は強いものに独占された。

しかし、もはやそうではない。誰もがコストなどかけずに気楽にtweetできる。
気心知れた友人だけに打ち明けていたことや、そんな友人にも言えなかった小さなささやきをtweetできる。悩み、不満、愚痴、怒り、弱音などなど。弱ければ弱いほど、tweetすることには困らないほどだ。

弱さへと加速する社会

ソーシャルネットワーク化された社会は、そうした弱い声が今後どんどん表面化していく社会だろう。大きな企業への不満・クレームや、他人が何かをしてくれないことへの非難という形をとるかもしれない。むしろ、強いもののほうがそうした非難に曝されやすくなる分、強くあることのデメリットが増大する。一方でほとんどの強い者たちがこれまで強くあったことで得ていたメリットを減少させる。

面倒なことはやりたくない。苦労はしたくない。危ない橋は渡らないし、危険な場所には近づかない。できないものはできないのに、なんでそれを私に強いるのか。

そうした声はいま生まれたのではなく、前から心のなかに存在していたものだ。それをいまこの状況でなおも心のなかに留め置け、というのは違うだろう。むしろ、変わるべきは、そうした声を受け取る側のスタンスだろう。決して、心地良いばかりではない、その手の声をいかに受け入れるか。強い者にはそれが求められる。果たして、その面倒を引き受けてまで強さを維持したり、求めたりする理由があるだろうか。

そして、何より強くなることで実現できるとかつては信じられていたような夢がどんどん失われている。強さという夢から多くの人が覚めはじめているのだ。

また、弱い側は、愚痴や悩みや不満などを声として発していいだけではなく、かつては面倒でもやらなければいけなかったことがやらなくてよくなってきている。それは先に書いたような道具や環境の整備もあるが、ゆとり教育に代表されるような精神面での価値観の変化でもある。わからないことはわからなくていいし、そもそも、わからないということに気づかないのだ。それはこれまでなら問題だっただろうが、もはや何ら問題ではないし、無理してわかろうと思わずに済む分、本人にとってもよいことなのだ。

社会はこうして弱さへの加速をはじめている。それは問題なのではなく、むしろ、よい変化なのだ。これまでの強さに価値をおく、評価のものさし自体が変わってきたのである。

すべての表現は弱音である

むろん、いまはまだ移行期だから混乱はある。弱いと責められることだって、当分続く。だが、いまの流れは弱さを許容する方向に向かっている。

こう考え直してはどうだろうか。
コミュニケーションだとか、創作だとか、ものづくりだとか、そういうすべての表現は結局のところ、弱さの表現であると。愚痴や不満の表現であり、強がりや自己顕示欲であると。

クリエイティブであるということは、自身の弱さに生物としてどうにか抗うための体外への毒素の排出行為であると。そうやって毒を体外に出すことで、生命は自らの身を一時的に弱さから守ることができるし、またその弱さの表出が別の弱い生物とのつながりを生む。
もともとがそうした毒素の排出によるつながりで、個体というよりゆるくほかのものとつながった状態が生物の本来の姿ではないだろうか。そうだとしたら、個性だとか、個体の強さだとか、自立だとかを云々いうのは、なんという勘違いだろうか。

松岡正剛さんも『フラジャイル 弱さからの出発』で、こんなことを書いていた。

われわれが教わってきたことは、民主的であれということ、泣きごとを言わないこと、戦いは正々堂々とすること、付和雷同しないこと、個性を磨くこと、男は黙ってサッポロビールを飲むこと、ただそれだけである。そのうちに、われわれはひどく感じにくい人間になってしまったのだ。

些細なことさえ過敏に感じてしまう弱さ。そういう弱さが許されるようにシフトしはじめているのではないか。

「弱くていい」

時代はそう言っているように聞こえる。



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posted by HIROKI tanahashi at 19:16| Comment(7) | TrackBack(1) | ライフハックス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これから社会に出ようとする上でそれは良く思う。

自分の弱さは積極的に認めたい、他人の弱さも積極的に認めてあげたい。そうすればどんなに気が楽になるか。

ただし

他人の弱さを責める人がいる。人に責任を押し付ける人がいる。自信の弱さを認めたがらない人がいる。これらもある種の弱さだとは思う。そんな人の弱さをこちらだけが認めてあげたいとは思わない。

「自他の弱さを認めない人の弱さは、認めたくない。」

ここが難しい。それも自分の弱さか?
Posted by buena at 2010年05月20日 22:26
気持ちとしてはよくわかります。
認められないものは認めなくていいんじゃないでしょうか。
Posted by Tanahashi at 2010年05月20日 22:39

便利な道具、環境、それらを構築、維持するの
に弱い、楽を求める人達ばかりで成り立つ?
もちろん、ストレスの解消は必要だし過度の
蓄積は生命の危機にもつながるのでもちろん
必要。
生活や心に余裕を持てる環境作りは賛成だけど
「弱くていい」とは違うのではないのかな。
まぁ、ここでの「強さ」「弱さ」の定義が
あいまいすぎるから解釈の違いがでるけど。
Posted by まい at 2010年05月20日 23:09
でも、自分の強さを信じないと生きていけない、そんな弱さを持った人間も居るよ。
Posted by えいお at 2010年05月21日 00:11
弱くて「も」いい。
そこに留まることも、そこから変わろうと強くなろうとするのもいい。
自分や他人の弱さを認め、それを糾弾しない人間でありたい。
Posted by チューハイ at 2010年05月21日 03:32
日本の中では弱くてもいいのかもしれませんが、日本人がどんどん弱くなると強い国に淘汰されてしまうんではないでしょうか。弱くても生きていける日本の豊かさは、私たちの上の世代が強く生きてくれたからあるのであって、今後もそれがずっと続くようには思えません。

この春日本の大学院を卒業して中国で働いていますが、そんなことを感じます。
Posted by たか at 2010年05月24日 16:43
はじめてコメントさせていただきます。

「弱くていい」=優しくあれ、という印象を受けました。

Posted by yuki at 2010年06月05日 17:12
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