人の直感的認識力のすごさ

にこのブログでも紹介したマルコム・グラッドウェルの『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』を読んで、あらためて人って本当はもっと動物的で、直感的に正しい認識ができる設計になっているんだろうなと思い直した。

ようは意識で認識するのとは別に、何年も会わなかった人の顔をみて、自分が知っている人と同一人物だと認識できるような無意識的認識が、思った以上に優秀であるってこと。

でも、いわゆる情報化社会って言葉による形式知的認識にどうしても加重がかかってしまう傾向があって、これには何らかの対処がないといけないんだろうなって思う。

そこで思うのはいわゆる「私は感覚的」っていう人ほど、実は直感をうまくつかえていないんだろうなってこと。結局、それは意識ではじめに思いついたことを大して吟味せずに採用しているだけのことであって、スポーツ選手が体で覚えて意識せず反射的に体を動かせるような直感とはまったく違うはずだと思う。

スポーツ選手のそれは訓練によって普段の生活に使っている設計の上にさらに別の認識~行動ができる設計を組み込んでいるのであって、普段、あまり考えずに暮らしている人の「私は感覚的」とはまったく別物だ。
スポーツ選手のそれと類似するのは、ワインの味を区別でき、かつ、直感を失わずに言語化可能なソムリエなどであり、スポーツ選手同様、プロフェッショナルな設計が追加インストールされているはずだ。

これが重要だと思うのは、犯罪学の分野の「割れた窓理論」に象徴されるように、人は無意識のうちに環境から大きな影響を受けているからで、それを自分でコントロールできるような設計を追加インストールしなければ、本来的に自由な行動は不可能で、いつ犯罪者になってもおかしくないからだ。
まぁ、犯罪者になることはないにしても、ネット上で誹謗中傷をしてしまうくらいのことはあるかもしれない。

このあたりは今後ちゃんと考えていかなきゃいけないんだろうね。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 速聴で脳を活性化させよう!
  • Excerpt: 情報化社会に打ち勝つ為に。今、速聴が注目されています。
  • Weblog: 速聴で速読!速聴で能力開発!
  • Tracked: 2006-04-01 09:05