火の賜物―ヒトは料理で進化した/リチャード・ランガム

ジョルジュ・バタイユは『エロティシズム』書評)のなかで、食べることと調理することは連続的な行為ではなく、その間には切断があることを指摘した上で「この切断が人間と動物を区別しているのです」といっている。「動物はすぐに媒介なしに食べ、その食べ方は貪欲」であるのに対し、人間は食べる前に「調理」という媒介的な行為を挟むことを対比する。この人間のみが行う調理というものが動物と人間を隔てる区別だという指摘だ。

この区別が単なる哲学的な思弁ではないことを、著者は本書で科学的に論述してみせる。

ヒトは確かに料理によって進化し、ほかの動物と区別される存在になったのだ、と。

180万年前、ヒトは料理で進化した

著者の論点はめいかいだ。

180万年前、それまでの類人猿型の体型をしたハビリスから、いまのヒトと変わらない体型をしたホモ・エレクトスへの進化は、これまで提唱されてきたの肉食の開始だけでは説明がつかず、加熱による調理の開始を考えたほうがほうが符牒があうというものだ。

生の食材をそのまま食べることから、調理した食材を食べることへの以降で、最も大きな影響は、より多くのエネルギーを短時間に効率よく摂取できることだと著者はいう。

おなじ食材でも、生で食べるより加熱調理したものを食べたほうが、消化器官によるエネルギーの摂取率はたかいのだそうだ。現代の生食主義者の人たちを使った実験結果がそのことを物語る。生食主義者の人たちは、満腹に食べても空腹感があり、長く生食を続けると痩せてくるのだそうだ。

それはヒトだけでなく、ほかの動物にもいえるという。類人猿やラットを使った実験でも、調理した食事を続けたグループは、普段どおり生食をしていたグループより大きくなり、肥満の傾向を示したという。おなじ食材をおなじ量、食べてもだ。

料理した食事は食物からのエネルギー摂取を効率化する。
効率的に摂取されたエネルギーは、大きな脳にまわされた。脳は大量のエネルギーを必要とする器官である。
ホモ・エレクトスに進化した際、身体に占める脳の容量は劇的にアップしている。この容量の増加は、肉食への移行だけでは説明できないと著者はいう。

食事の時間がかからなくなる

効率化されるのは、エネルギー摂取だけではない。

食事に必要とされる時間や消化に必要とされる時間が効率化されるのだ。

生の肉や野菜は体内で消化されるのに時間がかかる。そのため、多くの哺乳類の胃の身体に占める割合はヒトよりはるかに大きい。牛のようにいくつも胃袋をもつ種もいる。大きな胃が生の食物を時間をかけて、消化するのだ。とうぜん、消化にはエネルギー消費もともなう。エネルギーを摂取するためにエネルギーを消費するのだ。

生のかたい食物を食べるのに時間かかるのは、胃のなかでの消化のときだけではない。かたい食物を食べるには、口のなかで十分に細かくやわらかく噛み砕いてあげる時間が必要なのだ。生肉を食べることを想像してみてほしい。よく切れる包丁を使ってようやく切れるような生肉を歯だけで噛み切るのはむずかしい。野菜や葉っぱでもそれは変わらない。チンパンジーは、かたい葉っぱを食べるとき、6時間も口のなかで噛み続けるのだそうだ。イタリア人だってそんなには食事に時間をかけない。

生食では食事に時間がかかるし、そんなに時間をかけてなお、料理した食事よりも摂取できるエネルギー量はすくないのだ。

火の賜物

肉食を開始して、草食のみのときよりエネルギー摂取効率は高まったとしても、食事にそんなに時間がかかるのでは狩りをする時間がない。またホモ・エレクトスのようにいまのヒトと変わらない体型になっては樹上でゆっくり食事をすることもできず、そんなことをしていたら途端に捕食者の餌食となってしまう。

ホモ・エレクトスがいまのヒト型に進化するには、食事の時間を短くできる料理の発明が不可欠だったのだ。
しかも、料理に用いる火は捕食者から用いる身を守ってくれるし、狩りの際にも役立つ。

著者は、火の使用は男女による分業の要因にもなったはずだという。

いまでも世界中のどの民族でも料理はほとんどが女性の役割となっているそうだ。それは未開の社会でも変わらない。

著者は、その要因として、女性が料理した食事を守ってもらうために男性=夫を必要としたからだろうと推論する。守るものがいなければ、見ず知らずの男女にせっかく料理した食材を奪われるからだ。
奪われないためには、ほかの男性に対抗できるおなじ男女の力が必要だった。彼女は守ってもらう代償として、その男性にゆ独占的に料理を振舞う約束をとりかわす。いまでも未開の社会では、性的にはほかの男性とも性交をする妻が、食事だけは夫にしかふるまわないということがあるそうだ。結婚は、性的な意味での独占的関係ではなく、料理した食事の独占的関係に関する男女の契約だったのだ。

夫の側にも、自分が狩りに出かけているあいだ、植物性の食材を採取してくれ、料理をしてくれる存在は利点があった。狩りで獲物がなくても食いはぐれることがなかったので、狩りに専念できたからだ。もちろん、料理されていれば、食事の時間も短くて済む。チンパンジーのように、一回6時間も食事に時間がかかったら、日が高い時間に早々に狩りを止めなくてならない。料理された食事があれば、夕方までゆっくり狩りに打ち込めるのだ。

このように著者はヒトの進化に料理が果した約束を丁寧なデータによる検証も交えながら仮説だてている。
料理のもつ意味をあらためて考えさせられる一冊だ。



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この記事へのコメント

  • 犬神工房@ハングル板

    はじめまして。性的分業・家政学・衣食住について調べていてここにたどりつきました。
    ランガムは(霊長類学者の)西田利貞の本で間接的にしか知らないのですが、調理と性的分業と家族を連続させるというのは大変面白いところです。
    火は人類を進化させた要因の一つですが、そこでそういうシナリオが描けるのか、と感銘を受けました。

    一つ気になったのが、「なぜ女性が調理担当になったか?」ということです。男性でも別にいいような気がするのですが。
    女性が採集(この本ではプラス調理)してて、男性が狩猟するというのはなぜ? というクエスチョンが常にあります。
    「だって実際そうだから仕方ない」といわれればそこまでですが、この本ではその辺何かうまく説明できる仮説があるのでしょうか? あれば教えてくだされば幸いです。
    2010年09月18日 22:28
  • tanahashi

    疑問を感じるのであれば、ご自身で読んでみませんか?
    2010年09月18日 22:59

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