2010年04月28日

台所空間学/山口昌伴

計画のスパン」というエントリーでもすでに紹介しているが、やはり、この本はすごい。これまで台所というものをいかに誤解し、それゆえに台所や食に対する自らの考えを陳腐化していたかということが思い知らされる。
いや、それどころか、そもそも台所ということに限らず、ひとが生活のなかでモノをデザインし、作り、使用するということが本来どういうことなのかということをあらためて考えさせられた。
こんな本が10年以上も前に書かれていたことを知らなかったなんて、と思う。くだらないデザインメソッドの本を読んでいる余裕があったら、まずこちらを読むべきだ。目から鱗のはずである。

著者は、台所とは何なのか、それをデザインするためには何を考えればよいかの問いから、世界各地の台所をフィールドワークして回っている。

明治以前の台所のおもかげを残す日本各地の民家をはじめ、ネパール、エジプト、韓国、中国、フランス、アメリカのキッチン/台所、そして、冒頭に紹介されている広島県北部の中国山地にある帝釈峡と呼ばれる峡谷に残った縄文晩期の台所の原型まで。
そのフィールドワークを経て、著者自身の台所の固定観念が覆された結果生まれた新たな台所観、そしてさまざまな台所の問題や未来像を記録したのが本書、『台所空間学』である。

この本を読んでの収穫は、単に、台所に対する固定観念が覆されたということだけでなく、何より、いまの僕らの生活は「食べる」ということ以外においても、道具とそれを使う作法や背後にある思想との関係がもはや末期的なレベルで壊れた状態であることに気づけたことだ。

これではいくらモノを作ってもしかたがない。よく言われることだが、あらためてソフトの面の解決が必要だと強く思う。
長い間、僕らはあまりにハードオリエンテッドな思考に慣らされすぎてしまっており、作った物事で何を成すのか、どう成すのかというソフト面のオリエンテーションに頭や時間や労力を費やすことを怠けすぎてしまっているように思う。

では、そういう考えにいたるきっかけとなった本書について、以下ですこし紹介しておこう。

縮小した台所の役割

冒頭で、著者は縄文晩期の遺跡である帝釈峡で、次のような台所の原型を夢想する。

台所空間とは、何なのであろうか。それはまず、空間であるより先に場である、と遺跡は教えてくれた。岩陰の現在の床面、その足下に一万年の食べる歴史を踏みしめて立ち、手近に光る川面を見よ。そこに魚介がいる。その貝殻や骨屑がこの遺跡には積もっている。峡谷の水面から崖までは、寄倉部落に限ってやや開けているのであるが、そこで穫れた籾の跡が、縄文晩期の土器に残されている。見晴るかす山々には猪や鹿がいた。そしてこの岩陰にその骨がある。岩陰にたむろする代々のひとにとっては、山・川・野が食べる場の圏域をなしているのであった。そして、その圏域を描くコンパスの穴のごとき位置に、狭義の食べる空間、台所があった。

眼前の水面にゆらめく影は、もちろん刺身でも切り身でもなく、生の生きた魚だ。それはまだ加工されていない生きた素材である。

この台所には調理以前に、狩猟や栽培があり、生きた動物や植物を食材へと変換する作業としての加工段階がある。生きた素材を食材へと変換するには、その生をとめるという段階を経なければならない。魚ならまだしも、猪や鹿を相手に僕らにそれが可能だろうか。いや、猪や鹿までいかなくて鶏だとしてもだ。
それを経てはじめていまのキッチンでも行われているのとおなじ調理の作業に入ることができる。その意味ではいまのキッチンとはなんと役割が縮小した台所なのだろうか。

いまの台所にできないこと

著者は「いまの台所にできないこと」として、次のような7点をあげている。

  • 台所は野、山、海、土や自然とのつながりをなくした。
  • 台所は食糧備蓄基地としての役割をなくした。
  • 台所は大量処理の機能をなくした。
  • 台所は保存加工の場ではなくなった。
  • 手間ひまがかけられなくなった。
  • 失敗ができず、まずいものが食えない。
  • 台所は主婦の賢明さを失わせる。

最初の「野、山、海、土や自然とのつながりをなくした」というのは、帝釈峡の引用からも明らかだろう。もはや台所は食品メーカーや流通小売によって半加工された食材を調理するだけの場として、完全にもとの自然とは切り離されている。自然を持ち込み、それを食材として加工する機能をもはやいまの台所をもたない。

次につづく「食糧備蓄基地としての役割をなくした」や「大量処理の機能をなくした」、「保存加工の場ではなくなった」もそのことに関わっている。自然からもちこんだ素材をひとが食べられる食材に変換する機能を失った台所は、保存加工、大量処理、食料の備蓄という機能を必要としなくなったのである。

これは「計画のスパン」にも書いた通りで、食材に関する経営が1年というスパンから、都度の買い物の短いスパンに変化したことや、その台所で調理したものを食べる人数(スケール)の圧倒的な減少やキッチンそのもののスペースの矮小化にも関わっている。「手間ひまがかけられなくなった」という話にもつながるし、半加工食品を調理するだけの機能の縮減による「失敗ができず、まずいものが食えない」という自由度の喪失にもつながっている。

結果、こうした台所の変化が最後の「主婦の賢明さを失わせる」という問題を生じさせたのだろう。
自然素材の食材への変換という前加工の段階を家の外に拡散させ、核家族化やそれにともなう家やキッチンの縮小にともない、それまでは母から子へ代々引き継がれてきたノウハウの伝承ができなくなり、かつ、さまざまな調理過程がさまざまな調理機器によって自動化、半自動化され、そして、1年という長い単位で食の切り盛りを食材という面だけでなく、いかに下男/下女を適切に使って行うかという経営的資質が求められる機会が失われれば、そもそも主婦が賢明さを用いる必要などない。

その能力を用いる機会がないのなら能力自体が失われていくのは当然の話である。
そのとき、台所は主婦によって経営される場であることをやめたし、主婦も台所の経営者であることをやめたのだ。

作法抜きの道具

著者は、こうした台所の変化のキーポイントとして、食を中心とした家庭内の内政のしくみや実践の立ち振る舞いを鑑みずに、明治以降、「台所改善」「台所改良」の名のもとに、西洋の調理道具の模倣を行った点をあげている。
これは以前に「ユニバーサル・デザイン批判」というエントリーでも紹介したアメリカの家政学(ドメスティック・サイエンス)と呼ばれる、家事の時間や費用や労力の節約を設備のユーザビリティの向上によって実現しようとする考え方を元にした運動だろう。

当時のアメリカで家政学が必要とされた背景には、中産家庭でサーバントを雇わない、つまり家族ではない黒人を使役しないで、家庭内で家事を分担して行おうという人権運動とのつながりがある。
ところが、日本ではこれを下男/下女を使わない家事というところにゆがめた形で使われた。アメリカにおける黒人奴隷とは異なり、日本における下男/下女は必ずしも強制的な使役ではなかった。上流家庭の子女が将来の家庭内の内政の方法を身をもって覚えるために、異なる村町の上流家庭の家の下男/下女として働きに出ることも少なくなかった。つまり、それは台所を含めた家事経営のための作法や思想を学ぶ修練であり、先の代から後の代への能力の伝達の機会だったのである。

ところが、そうしたことを考慮せずに、「生活改善」「生活改良」の名の下に、西欧のさまざまな道具が導入された。

その中心となったのが台所への西欧由来の調理道具の導入である。ところが、道具が新たに導入されはするものの、それまでの伝統的な家事経営の方法に変わる新たな方法の提案はいっさいなく、単に道具のみがシステムを欠いたパーツとして導入されたのである。まさにソフトを欠いたハードオリエンテッドなアプローチだ。

西欧では、調理道具を飼いならすことが躾の重要なポイントであった。銀器・銅器・錫器などの金属器を磨きあげ使いこんで代々の家宝として伝えた。調理と道具の間に密接な関係がマニュアル化されており、永年のマニュアル運用から、何がどこにあるか、ということが身に備わっているのである。空間の秩序を守るためには、行動の作法が確立されねばならなかったのである。それは茶道の修養を想起すればわかろう。一服の茶を喫するにも、修練を積んだ作法がなけば道具は叛乱を起こす。

日本の台所だけでなく、西洋の家庭のキッチンのフィールドワークも行った著者は、おなじシステムキッチンを使っていても西洋と日本では、その整然さがまったく異なるのを知ったという。調理自体よりも片付けや整頓、清掃にばかり注意がむいてしまう日本の状況とは異なり、西洋ではそんなところに気を遣わなくても結果日本よりはるかに整理整頓されたキッチンだったというのだ。

その一因が上記の引用にある「マニュアル」の継承だ。まさに家政学的な「改良」の名の下に日本が破棄したマニュアルの継承を、西欧では自分たち自身がそのマニュアル化とともにデザインしつづけたシステムキッチンを使って実践的に代々伝えているのである。

日本の台所にも作法の体系はあった。景観は荘重な風情をもっていた。決して画然と整理されきっていたわけではないが、道具・設備と空間の間にはりつめた緊張があった。日本の台所がとりとめのない猥雑さをみせるようになったのは、西欧の秩序を、作法ぬきに取り入れたからである。

道具のみが新しくなっても、茶道の振る舞いと同様に家庭内で代々受け継がれてきた台所作法を放棄し、それに変わる新しい作法を導入しなかったばかりに、いまのキッチンは作法=ソフトなき、ばらばらのハードウェアの集積となってしまっているのである。

電化は文化。では、電子化は?

本書ではあくまで台所という空間をテーマに、食文化という観点から日本の生活の変容を研究した著作であるが、察しのいい方なら感じられるように、何も食文化、食生活に限った話ではないことは明らかだろう。
もっと新しい改良された道具を、新しい道具を買って生活文化を豊かにしよう!といった動きは、誰もが知っているように食まわりに限った話ではない。ただ、それによってどれだけかつての生活文化を変容したかはもはやほとんどの人がイメージできない。

ただ、その結果、生まれてくる状況は、まさにキッチンが新しい統一的な文化や作法をもたないまま、道具ばかりが次々と新しくなっていく不毛な改善が続いていく状況とおなじであることは薄々感じているはずだ。

著者は、戦後、次々に家庭に導入された家電製品が当時どのように受け入れられたかを、次のような文章で振り返っている。

昭和30年、電気釜の商品化を成功させた家庭電化プロモーター、山田正吾は「あのころ、電化はそのまま文化だった」と述懐している。卓上に電気トースターをひとつ置くこと、調理台上に電気ミキサーの小さな塔の立つこと、それで一家の生活文化、食文化はおおいに近代化された、と誰もが誇らしく思った。しかし、考えてみれば電化が文化と同義であるなどという、そんなベラボウなことがありえようか。自動で炊飯ができることが、なぜ「文化的」たりうるのか。

電化が文化であるという「ベラボウ」さは、いまの僕らであれば、確かに「ベラボウ」だと納得できる。

ただどうだろう。それに続く、「いまHA、ホームオートメーションのかけ声とともに家庭電化ならぬ家庭電子化の波が押し寄せようとしている。日本人にとって電子化もまた文化なのであろうか」という著者の疑問に対してもおなじように「ベラボウ」だと、すんなり考えることができるだろうか?
もちろん、「ホームオートメーション」というワード自体は10年以上前に書かれた本書ゆえの古くささはある。だが、「電子化は文化なのであろうか」という著者の問いかけに、「電化は文化だ」に対して首を傾げるのとおなじように、僕らはNOといえるのだろうか。

それにNOといえないのだとしたら、僕らはその代償に、どんな「賢明さ」を放棄しようとしているのだろうか。



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posted by HIROKI tanahashi at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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