割れた窓理論(壊れ窓理論)

犯罪学分野で人間心理を扱った「割れた窓理論」というものがある。

割れたまま修理されていない窓のそばを通りかかった人は、誰も気にしないし、誰も責任をとっていないと思い、まもなく他の窓も割られることになり、その無法状態の雰囲気がたちまち辺りに伝染していき、犯罪の呼び水となるというものだ。
発案者は、犯罪学者のジェームズ・Q・ウィルソンとジョージ・ケリングで、ウィルソンとケリングは、犯罪は無秩序の不可視的な帰結だと主張している。

■TRUSTe「割れた窓理論」
http://www.truste.001.jp/keyword/16.html
■Wikipedia「割れ窓理論」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B2%E3%82%8C%E7%AA%93%E7%90%86%E8%AB%96

人は、なんと周囲の環境に左右されやすく設計された生き物なのだろう。
それは進化の過程の淘汰圧の中に、そうした設計のほうが有利な状況が存在したのだろう。

マルコム・グラッドウェルは『なぜあの商品は急に売れ出したのか 口コミ感染の法則』で、人間は、ある判断を下した時、それが自分の性格のせいにする傾向があり、代わりに状況や背景を軽視する必要があるという。
犯罪を犯した人であれば、いかにも犯罪を犯しそうだったとか、あんなことをする人とは思わなかったと、犯罪の要因を性格やそれが育まれた生い立ちなどに求めがちだ。
しかし、実際には「割れた窓理論」のような外部の環境や状況によって、善人が簡単に悪人になったりする。

性格は、わたしたちが考えているもの、あるいはむしろ、そうであってほしいと願っているものとは違う。それは確固としたものでも、互いに密接に関連しあうわかりやすい一組の特徴でもなく、そのように見えるのはただ、人間の脳の組織的欠陥のなせるわざだということになる。
マルコム・グラッドウェル『なぜあの商品は急に売れ出したのか 口コミ感染の法則』
僕らの脳は進化の過程でそのように設計されてきた。
それはヒト以前の生物からの累積淘汰の上で成り立っている。

例えば、僕らは左右対象のパターンに対して特別な感受性を持っているらしい。

私たちの遠い祖先の自然界では、この世で左右対象を示すものと言えばほぼ自分以外の動物しかなく、しかもそれが自分に面と向かっているときと決まっていたからではないか。
ダニエル・C・デネット『解明される意識』


おそらく人間が建物の正面を左右対称に設計するのもこうした影響を受けているのだろう。
そして、それは意識されることもない瞬時の判断によって、そう選択される。

こうしたメカニズムの重要な点は、識別の大まかさにある。彼らは報告行為における〈真実性と正確性〉とでも言うべきものを犠牲にしてでも〈スピードと経済〉を獲ろうと取り引きするのである。
ダニエル・C・デネット『解明される意識』


直感的に一気に結論に達する力を、心理学では「適応性無意識」と呼んでいる。
先のマルコム・グラッドウェルの新作である『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』は、この「適応性無意識」について紹介した本だ。

例えば、僕らは人の顔を瞬時に覚えることができる。
コンビニに買い物に行った際、そこではじめて会ったレジにいた人の顔だって覚えることができる。
仮に店を出たあと呼び止められて、「この中からさっきレジにいた人は誰ですか?」と言われて、目の前に並んだ3人の中から選ばなくてはいけなくても、たいていの場合、間違いなく正しい人を見分けられるだろう。
しかし、同じように店を出たあと呼び止められて。「さっきレジにいた人がどんな人だったか説明してください」と言われたらどうだろう? 途端に顔が思い出せなくなるのではないか?

人の顔については誰もが直感的な記憶に頼る。しかしその記憶を言葉で説明するよう求めたとたんに、記憶は直感から切り離されてしまう。
マルコム・グラッドウェル『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』


ヒトが環境や状況を軽視してしまうように、ここでも僕らが意識しないところでの判断が、意識によって封印されている。
誰でも自分は自由に判断を下していると考えているだろう。
しかし、実は単なる言葉という二次的なものによって、直感では知りえていたはずの情報を歪めたあとでの判断を、自分のものと認識しているにすぎない。
意識していない割れた窓や左右対称性やコンビニの店員が自分の判断に影響を与えているかも知れないにもかかわらず、意識はそれを認識できない。

では、僕らは自由な判断ができないのか?

マルコム・グラッドウェルは、訓練により「適応性無意識」を活かすことができると言っている。実際にある分野のプロフェッショナルは「適応性無意識」と意識的な言葉と自在に同居させることができるようだ。

このことが重要だと思うのは、SNSやブログでつながった現在のコミュニケーションはともすれば、この「適応性無意識」を欠いたものになりがちな環境だと思うからだ。

例えば、そこではコミュニケーションが行われる場のあらゆる環境要因がコミュニケーションや人の判断に影響を及ぼすだろう。「RSSリーダーにもファッションセンスが必要」のエントリーで触れた、女性が自分の使うWebサイト(や商品)のデザインにさえ敏感なのは、むしろ「適応性無意識」が働いているからなのかもしれない(女性にその理由を聞いても要領を得ない回答しか返ってこないのは、むしろ、言葉にすると直感が壊れてしまうのを感じているからなのかもしれない)。

ひとたび、「適応性無意識」が欠けたコミュニケーションが蔓延すれば、それは「割れた窓理論」により一気に拡がっていく。いや、すでにそれは拡がった状況なのだろうか?

  

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