何をやるにも人あってこそだと思う。大きなことでも小さなことでも新しい可能性を切り開くには人の力なしではどうにもならない。機械やシステムではルーティン的な仕事を効率的にまわすことはできても、未知の領域を切り開いていくことはできない。
未知の領域に踏み込み、手探りしながら新しい方向性を見い出す力は人間にしかないだろう。
組織において大事なのは、この新しい道を切り開く力をもち、それを実際に発揮できる人を育てることと、その人たちが臆せず新しいチャレンジができる環境を整えることだと思う。
それはただ単にそういうことを口にして、がんばれというのではなく、具体的にそれが可能な組織の仕組みを作って、それをまわし、また、ことあるごとに働く人びとの育成につながる指示を部下をもった上司や経営層が的確に出すことである。むろん、その前に会社としての進むべき方向性や行動規範となるものを経営者は市場の動向を的確に捉えつつ提示しておかなくてはならない。むずかしいことだが、それが経営の仕事だろう。
育てるのではなく育つことができる環境をつくる
ところで、人を育てるといっても、教育プログラムを与えようという話だけでは、先に書いたような新しい道を切り開く人材は育たない。いや、そもそも人が人を育てられると考えるところに間違いがあると思っている。育てるのではなく、人が自分で自分自身を高める環境や機会を与えてあげるのが先人の役割だと思う。
どこへ向かえという具体的なゴールが示された適切な指示と、人が自分で学び、ゴールに向かって高めていくのに必要な時間やお金などの資源を与え、かつゴールまでの期間とマイルストーンを与えるのだ。
組織のなかでどんな育成が必要か?
もちろん、それにはそれを提供する側が育てようとする側が育ったときのヴィジョンが明確になっていなくてはいけない。人材が育ったときに組織内で何が生まれ、何が可能になるのかを描けていないといけない。ようするに、それは組織の未来を描いたヴィジョンが先にあって、それを実現する上でいまないと思われる力を、先のような形での育成によって補うということだ。
とうぜん、それをするには経営者は二歩先を見、リーダー的な役職の人間も一歩先が当たり前のように見えている組織になる必要がある。そういう状態になければ、組織内で新しい道を切り開くような人材を育てることなどできない。
具体的にどんな力が必要かを明らかにする
最後に念のため書いておくが、抽象的に「新しい道を切り開く力」と書いているが、実際にはそんな抽象的な力を育てるという話ではない。もっと具体的な能力として、例えば、今日発表された新しいiPhoneOSの特徴であるマルチタスクの良さを十分に活かせるくらい、iPhoneOSに関しては誰よりも熟知しているとか、ルームシェアリングという生活スタイルをしている人たちのことをよく理解していて誰よりもそうした人たち向けの家財提案が適切にできるとか、そういう具体的な能力をもった人材の育成の場がつくれるかという話だ。具体的にどんな力が必要かを明らかにした上で、君がその力の獲得を目指せと特定の人間に指示を与えなくてはいけない。誰かがではだめだし、何かでもだめだ。具体的にこれと決めて、特定の誰かを指し示すことだ。
だからこそ、そうした育つ場を与える側は一歩も二歩も市場の先が見えていないといけないのだ。
ただ、がんばれでは誰も育たないし、前に進もうとはしないだろう。
本来、こういう企業が目指すべき方向性としてのヴィジョンと組織内での育成の仕組みやそのプロセスマネジメントをうまくつなぎあわせて組み立てるところにこそ、デザイン思考が必要とされるのだと思う。
とにかく、こうした人事にこそ頭を悩ませ尽力することが大事なのではないだろうか。ほかのいっさいのことは実はここさえ押さえておけばどうにでもなるはずだ。
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