イノベーター理論とネットワーク分析

ネットワーク分析の技術を使うと、マーケティングの分野で用いられるイノベーター理論を論理的に説明することができるのではないかと思っている。

まず、イノベーター理論とは、1962年、スタンフォード大学のエベレット・M・ロジャース教授が著書“Diffusion of Innovations”で提唱した、イノベーションの普及に関する理論。
ロジャースは消費者の商品購入に対する態度を新しい商品に対する購入の早い順から、1.イノベーター=革新的採用者(2.5%)、2.アーリー・アドプター=初期少数採用者(13.5%)、3.アーリー・マジョリティ=初期多数採用者(34%)、4.レイト・マジョリティ=後期多数採用者(34%)、5.ラガード=伝統主義者(または採用遅滞者)(16%)の5つのタイプに分類した。

上に示した割合を頭に思い浮かべてもらうと、数字を図にする能力が高い方ならお気づきのように、ようするに、この5つのタイプの度数分布曲線は、典型的な正規分布のベルカーブを描く。
そして、累積度数分布曲線は、アーリー・アドプターまでの16%を超えた地点で急激に上昇し、ラガードの手前の84%にまで近づくと、また緩やかな上昇カーブとなる。
(言葉では、イメージしづらい方は、このページの「図表1 つり鐘型の度数分布曲線とS字型の累積度数分布曲線」を参照してください)

さて、ようするにマーケティング的に見れば、この16%という数値がある商品がヒットするかどうかの閾値になる。
目新しいものなら何でもOKなイノベーター層と、多少使い勝手の悪さや使いこなすのに技術が必要だとしても他にないメリットを得られるなら積極的に採用するアーリー・アドプター層を超えて、マジョリティ層にまで商品を浸透させるためには、より商品の完成度をあげて誰でも簡単に使えたり、サポートサービスや関連商品が充実したりの環境が必要となる。もちろん、商品の認知も同時に必要だ。
そんなこともあって多くの商品は、アーリー・アドプター層まではなんとかつかめても、その後のマジョリティ層をつかむことができず、コストと収益の兼ね合いでその後は静かにフェードアウトしていくことになるのだ。

さて、では、こうしたイノベーター理論的な市場の広がりはどうして起こり、また、いかなる場合に失敗するのか?
それを考える上で、ネットワーク科学の考え方が非常に役に立つ。

まず、ネットワーク科学の閾値グラフ同質結合傾向を使う。

閾値グラフとは、グラフ内のある2つの要素間にリンクが生まれる際にはある閾値を超えないとリンクは生まれないといった性質をもったグラフのことだ。
たとえば、あなたがあるニュースを元にブログ記事を書いたとしよう。その場合、あなたは数多くの人が集まるニュースサイトにトラックバックを行うか、それとも、そのニュースを別に論じた個人のブログにトラックバックを行うだろうか? 自分のブログ記事をできるだけ多くの人に読んでもらいたいと思ったらニュースサイトのほうにトラックバックをするのではないだろうか?
このようにニュースサイトがトラックバック先に選ばれ、個人のブログが選ばれないような現象を数値的にあらわしたとしよう。その際、トラックバックされる側もトラックバックを許可する基準をもっているとしよう。
たとえば、こんな風にその閾値を数値的にあらわすことができる。ある記事間にトラックバックが可能になるのは、2つのサイトの1日の訪問者を足したとき、1000訪問を超えた場合に限ると。その際、ニュースサイトの訪問が900訪問/日なら、トラックバックが可能になるのは100訪問/日を超えたブログでなくてはならない。閾値グラフではこのように閾値がリンクの可否を決める。

もう1つの同質結合傾向は似たもの同士がリンクするというものだ。人間のつきあいをみれば、それは想像しやすいだろう。単に気が合うとかだけでなく、会社で同じ部署にいる人間のほうが、小学校の頃にすごく気があった友達より現時点でのリンクは強いだろう。

さて、この閾値グラフと同質結合傾向を組み合わせると、ネットワークにVIPクラブ現象というものが見られるようになる。ある閾値を超える可能性があり、かつ似たもの同士となると先のニュースサイトに個人ブログはトラックバックできないかもしれない。ニュースサイトにトラックバックできるのは、傾向の似たメディアサイトか、個人ブログでも同じくらい人気のあるブログに限られることになるかもしれない。
つまり、VIPクラブ現象が起きたネットワークはVIPはそれなりの要素としか直接的なリンクをもっておらず、下々の要素は似たもの同士あるいはすこし上の要素としかつながれなくなる。そこには階層構造のようなものが生まれるのである。そして、VIPと下々の間を両者とともにつながったハブ的な要素がつなぐことになる。

さて、ここで閾値の値を新しいものに対する拒絶感がどれだけ少ないかということにしてみたらどうだろう? 先のイノベーター理論と似てくるのではないだろうか?
イノベーターはイノベーター同士か、アーリー・アドプターとしかつながらない。マジョリティ層ではイノベーター層の考えがまったくわからない。アーリー・アドプター層がある程度、翻訳してくれて、アーリ-・マジョリティ層にも理解できる可能性が広がる。そんなVIPクラブ現象の影をイノベーター理論の背後にみるのは不可能なことではない。

そう考えると、なぜ一部の商品がマジョリティ層まで浸透し、その他の商品が16%の壁を越えられないかがわかってくる。それはネットワークの問題なのだ。アーリー・アドプターとアーリ-・マジョリティをつなぐリンクがあるかないかで商品の行く末は決まる。リンクとは人のつながりである場合もあるし、情報の伝達を可能にするコミュニケーション要素かもしれない。リンクとなりうるものはさまざまあり、マルコム・グラッドウェルの『なぜあの商品は急に売れ出したのか』における感染の臨界点(ティッピング・ポイント)を超えるための3つの法則に従えば、次のような要素がリンクとして働くのだろう(ちなみに同著者の最新作『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』も人間の直感を扱ったものだが、とても興味深い内容で楽しめた。簡単な紹介はこちら)。

法則1:少数者の法則(多くのマジョリティ層との間でハブの役割を担う要素が存在するか)
法則2:粘りの要素(コミュニケーション要素が伝達に耐えられないほど脆く、失われやすかったりしないかどうか)
法則3:背景の力(アーリーアドプター層とマジョリティ層の伝達が可能なお膳立て=タイミングや場所などが整っているかどうか)

単にイノベーター理論を知っているだけでは成功も失敗も運任せの部分が拭い去れないが、上記のような3つのポイントを理解していれば、もっと綿密な計画をたてることも可能になる。
こうしたネットワーク科学的な視点からあらためて見直してみると、マーケティングの分野で古くから理由もわからず参照されていたイノベーター理論のような考え方が再び輝きを取り戻すこともあるのではないかと思う。

そして、これはイノベーター理論に限ったことではないし、こうしたマーケティングとネットワーク科学により注目すべきなのは、Web2.0的なより構造化、双方向性が確立されてきたインターネット環境やますます活発化しているグローバル化の流れを考えれば、むしろ、当然の流れであるように思う。
そんな中、マーケターがこうしたネットワークの特性を無視し、従来どおり個やマス的な集団にのみ焦点をあてた施策しか頭に浮かばず、実行できないのならビジネスの成功は望むべくもないのではないだろうか?

⇒ イノベーター理論とネットワーク分析 2.Web2.0の時代のネットワーク

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