境界線―領域

その線を一歩越えるはりつめた空気の緊密さが大きく変わる。はたまたある時間を過ぎると途端に場が和む。
居間と台所の境。冬から春への季節の変わり目。子どもが入ってはいけない領域、逆に子どもだけの世界。
ある趣味/志向をもった人びとのコミュニティ。国、地域、家、私とあなた。

そこには明確に定義されているか否かに関わらず、こちらとあちらを分ける境界線がひかれている。境界線が領域を隔て、彼岸と此岸の性格を異なるものにする。

ボーダレス

ボーダー。分けることで分かるようにする。
ボーダーは何かを知らせるために外から与えられることもあれば、何かを認識するために自分自身でつくることもある。

ところが、ボーダレスだという。

確かに固定しすぎたボーダーは何かと不便である。

固定した部屋の壁は室内のレイアウトや部屋の使い途を限定しがちだ。襖をはずすことで2室が大きな1室になるような柔軟さはない。
過去には、固定した身分制度や女性の参政権がないことが問題になった。権利の有無の境界線を固定することで既得権益の偏りを生む。
古代には、地域(ムラ)の境界線の固定が生物的な問題をもたらした。閉じた社会の婚姻により血が濃くなりすぎるのだ。それで各ムラは近くのムラから若い女性をさらってきた。嫁とは余処の女(め)の意味ではないだろうか。

そうした問題のいくつかは固定化されていた境界線を取り除いたり、可動式に変更することで、問題の解決がはかられた。

機能/情報へのアクセス

そうしたボーダレス化にさまざまな利点があったことはいまさら言うまでもないことだろう。

ユニバーサルデザインはいまも使える人/使えない人の境界線を取り除く努力がなされ、その一部は成功している(一方でデザインとは境界線を決める作業であるがゆえに、古い境界をなくすことがほぼ必然的に新しい境界を生み出すがそこには今回は触れない)。

また、情報へのアクセシビリティという作業も進められている。既存の情報になんらかの理由によってアクセスできない人たちに対して、その人たちがアクセスできる形に情報メディアのデザインを変えようとする作業である。これもまた境界線をなくすことでの問題解決である(Webアクセシビリティだけの話ではなくデバイス側の改善も含む)。

しかし、情報へのアクセスの境界線をなくすことは別の問題もよんでいる。

例えば、子どもが本来は触れることが好ましくない情報に簡単にアクセスできることもそのひとつだろう。
情報へのアクセスを用意にしたインターネットやそれに接続するデバイスのユニバーサルデザイン化が、かつては子どもには手の届かない場所にあった情報へのアクセスを可能にしている。インターネットやネット接続デバイスは、子どもにとっては情報へのアクセスを可能にする踏み台だ。
既存の18禁表示の境界線以上に、ハードルの高いさまざまなフィルターが新たな境界線として開発されている。

境目が認識できない

そうした問題は、境界線が必要だとわかっているところにどういう風にどんな境界を設ければよいかという課題である。

しかし、より大きな問題は、インターネットという情報へのアクセスが画期的に自由で容易な場に、いかにして、さまざまな領域の違いや度合いの違い、緊張感のある場とリラックスした場などの雰囲気の違い、文脈の違いを認識可能にする境界線をいかにデザインし、現実化するかではないだろうか。

リアルな場なら互いに交される言葉による情報以外に、相手の表情や声のトーンなどのメタ情報が付加される。
それ以前に会話が行われる物理的な環境要因が会話の可能領域に制約を与えるだろう。職場であまりにプライベイトすぎる話は遠慮するだろうし、人がたくさんまわりにいる場所で秘匿性の高い話はできない。
また相手の身分や、いつもと異なる服装、相手のほかに見知らぬ人がいっしょかどうかでも何を話せるか、どう話せるかは意識的にも無意識的にも変わってくるはずだ。

リアルな場には、以前として、そのような形で話せる内容、話し方に制約、方向性を与える、認識可能な境界線が存在したままだ。それは確かにある人にとっては自分が話したいことを話せないというストレスになる場合もあるだろうが、多くの場合、人はそうしたリアルな場に現存する認識可能な境界線のサポートを受け、相手との会話をスムーズに進めているはずである。

境目の欠如をいかに補うか、境目をどうデザインするか

残念ながら、いまのインターネット環境にはそうした境界線の実装が、リアルな場での実装状況に比べればあまりに心もとない状況だ。

現状のインターネット環境においてスムーズな会話を行うには、利用者各自が認識可能な境界線によるメタ情報が大きく欠けていることを自覚した上で、その不足を補うしかない。これは正直骨の折れる作業である。

その一方で、こうした境界線の不足を認識した上での情報へのアクセスをデザインすることが今後のインターネット環境には求められるのではないだろうか。
情報、コミュニケーション、言語、認知、理解といったあたりをより根本的なところからしっかりと捉えなおすことが求められている。


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