当事者意識

ヴィレム・フルッサーは、『サブジェクトからプロジェクトへ』のなかで、現代に生きる僕らはすでに法則の従属者(サブジェクト)ではなく、法則の投企者(プロジェクター)であると説いています。

神に従属し、自然法則に従属した僕らの祖先の時代から、僕らはすでに抜け出しており、何かに従うものから自らで自分たちの経済生活を、政治生活を、思想生活を投企する者に完全に変化しているのだといいます。そのとき、僕らは自分たちが決めたこと、デザインした物事に従うものであると同時に、自分たちが従っている物事自体を生み出す者でもあるわけです。

僕はこのことを意識できているかがとても重要なことに思います。
自分たちはもはや純粋な受け手であることができず、常にすでに物事の当事者であるわけです。ほとんどすべてが人工の物事に囲まれた現代の環境で僕らは自分たちを取り囲むすべての物事に関与する当事者、責任者となってしまったことを自覚しなくてはいけないのではないかと思っています。

加害者意識

しかし、実際には、こうした人工の環境だからこそ、人々の当事者意識は低くなっているようにも思います。すべてが人間のせいであるがゆえに起こっているのは、他人のせいにすることです。

自然の中に暮らしているときに不幸な出来事が起こりますと「それは仕方がない」となるということです。一方、都会の中で不幸な出来事が起こりますと「誰のせいだ」ということになります。
養老孟司「手入れ文化と日本」『手入れ文化と日本』

僕はどういうわけか不思議な物事の捉え方をすることが20代の頃からあって、世の中で何か事件が起こると「自分も加害者のひとり」だと感じるのです。なのでワイドショーなんかでコメンテーターが世の中が悪いだの、誰々がどう悪いだのという話になると、とても不快な印象を受けます。なんで自分も加害者だという当事者意識がないの?と感じるのです。

社会が悪いんだとしたら、それは確実に自分自身も社会の一員である自分のせいでもあると思うのです。また、何か商品を買って、それがだめだと思ったら、それは作った側だけがだめなのではなく、自分を含めた消費者もだめだからだと思うのです。

人工の都会という環境で生きる僕らは、ヴィレム・フルッサーがいうように何かの影響の純粋な受け手であるサブジェクトではなく、自らが同時に投企者であるような存在です。すべてが人を生み出したもので埋め尽くそうとしているのなら、それくらいの自覚はないといけない。ただし、その際、「誰のせいだ」とクレームを発しても仕方がない。人間同士ならクレームをいきなり発する前に、話し合い、交渉し、討論すればいい。それもせずに文句を言うだけなのは見苦しい。それがいやなら自然に帰れ!と思います。

仕方なくない

人工の都会という環境で生きるということはそういうことだと思う。「仕方がない」というのは人間が何かの従属者である限りにおいていえることです。人間が自らを人工の世界に置こうとしたときから、すべては「仕方がない」ことではなくなり、すべて自分たちのせいになったのです。そのことに対する自覚の低さはいったいなんだろうと感じます。

それは同時に「あるがまま」ということがなくなった、ということです。自分らしさも単に「あるがまま」にしていれば、自然と生まれてくるものでは、とうの昔になくなっています。自分らしさも自分が人工的に作り出す対象となっている。

また、先にも書いたように、市場に出回る商品がだめなのは、消費者の立場である自分たちがだめだからです。そこに欠陥があったとしたらそれは消費者である自分たちの欠陥でもあると自覚したほうがいい。欠陥があると使えない自分たちにも問題があるのです。欠陥とそうでないものの区別を生み出した自分たちが欠陥商品を生み出していることに気づいたほうがいい。

時代は変わるという。なぜ、それを変えているのが人間だということに気づかないんだろう?
なぜ変化というイベントに自分たち自身が参加してることに気づかないんだろう?
参加しながら無関心で、思考も行動もしないというアクションを選択してるからこそ、ほかのアクションをしてる人たちの考える方向に動くのだという基本的な関係性に気づかずにいられるのか。残念ながら何もしないというアクションを選んだことで起きた変化にあとで文句をいってもはじまらない。知らなかったでは済まないのだ。人工の環境で生きることを決めたときから、すべては知られている=人間が解釈済み=人工化済みであることが前提に世界は動いているのだから。
それが現代の社会の根本的な思想であり信仰である。

そういう当事者意識がないのであれば、そもそもこの人工社会のあり方こそを問い直さなければいけないのではないかと思う。

 

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