前回の「主観と客観の裂け目の発見」では、その主観と客観の裂け目に対する自覚とその裂け目を埋めるために、はじめて各々が芸術的規則の創造者であろうとする人間の精神的態度がマニエリスム期に芽生えたことを指摘しました。
僕はここに「デザインの誕生」の瞬間を見ます。
客観的な世界と自分との裂け目を超えて、自らの内的構図によって外的世界を変えようとする意思とその具体的な実践。そこに僕自身が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』
サブジェクトからプロジェクトへ
中世においては芸術は神学的イメージを表現する従属的な役割を担う存在でした。それがルネサンスを経たマニエリスムにおいては自らが生み出した規則によって内的構図を外の世界に投影する自律的な地位を確立する。「われわれは法則の従属者(サブジェクト)ではなく、法則の投企者(プロジェクター)ではないのか」と解く『サブジェクトからプロジェクトへ』
かれは、もはや神の前で拝跪するのではなく、物の上に屈む。それは「1+1が2であることを、神がわれわれより良く知っているわけではないから」というよりは、神の法が言葉によってコード化されているのに対して自然法則が算法(アルゴリズム)によってコード化されているためである。思考のコードを文字のコードから数のコードへと切り替えることは、1つの大転換であった。ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』
思考のコードを文字から数へと変換することは、神の法から自然法則へと視点を移すことでもある。それはルネサンスにおいては、芸術が描き出すものが中世の神学的イメージから、観照した自然を数学的技法である遠近法を用いて描き出すことに変わったことに見事に対応します。それは罪によって破られる神の法から、決して破られることがなく、かつ技術の助けを借りて活用できる自然法則への意識の焦点の移動でもありました。
この転換は、まず気分の変化として現れる。罪を犯すものが恐れおののいて生きるのに対して、技術に携わる者は進歩を期待する。ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』
進歩。未来は現在より明るいものにできるはずだ。デザインによって。近代デザインの根底にあった「進歩」への眼差しがまさにここにはじめて表出しているのではないでしょうか。
自ら投企する者と3種の都市空間
フルッサーは、クザーヌスの時代のルネサンスが視点を、神の法から自然法則へ、さらにその法を記述するコードが文字から数へ変わったのを確認したうえで、「われわれは法則の従属者(サブジェクト)ではなく、法則の投企者(プロジェクター)ではないのか」という疑問を投げかけます。そのうえで「われわれは神を拝跪する必要もなければ物の上に屈む必要もないのではないか」といいます。ここで改めて、現代の人間がもはや物の世界の法則の従属者(サブジェクト)ですらなく、もはやマニエリスムの芸術家が進んでそうしたのと同じように、自らが規則を生み出し自らの内的構図を外部に向けて投影(プロジェクト)する者であることがわかります。ある意味では、現代においては芸術家だけに限らず、すべての人が法=規則の創造者たる必要が生まれている。それこそ僕が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』
こうしたマニエリスムの芸術家たちの末裔である僕たち現代人が生きる都市をどうデザインするか(それはもはや何の従属者でもなく自ら規則を投企する者となった人間には避けられない仕事だ)を考えるにあたって、フルッサーは、ルネサンス~マニエリスムに人々同様にプラトンを参照します(そう。またしてもプラトン!)。
かれ(プラトン)は、上述の3種の都市空間の考察を出発点として、都市文明の批判を試みた。それによれば、家空間(オイケー)は経済生活に、広場(アゴラ)は政治生活に、そして丘(テメノス)は観照生活に充てられており、3つの空間は上下の序列を成している。経済は政治を支えるものとして、また、政治は理論的考察を支えるものとして「正当化」されるのである。都市の目標は、理論のために空間を開くこと、測量学に限られない永遠の形式についての考察を許すことにある。都市における万事が、経済も、政治も、形式すなわち真理の発見、従ってまた賢明で有徳で美的な生活に奉仕する。従って、哲学者(後に司教)が、都市の王たるべきである。ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』
こうしたテメノスの知恵、理論、そして神に反旗を翻したのが、マニエリストたちであり、近代の政治でしょう。
しかし、政治が思想や宗教より優位に立つことで、次には政治に対して経済が優位に立つことになる。
経済生活(消費のための生産と、生産のための消費の、永遠の循環)は、その不条理で無意味な完結性によって、あらゆる理念と無縁であり、「白痴的」なのだから。ヴィレム・フルッサー『サブジェクトからプロジェクトへ』
この「白痴的」な文明、生産と消費による自動的で完結的ながら規則を欠いた文化の場となっている現代の都市をいかにデザインするかに関するフルッサーの考えをここで説明する余裕はないので、詳しくはフルッサーの本を読んで意いただくとして、ここではフルッサーがプラトンを参照して抽出した3つの都市空間(家空間、広場、丘)が、僕が『ひらめきを計画的に生み出す デザイン思考の仕事術』
マニエリスムは解体する
冒頭にも書いたとおり、ルネサンスは歴史上はじめて主観と客観の関係を表象する方法を発見しました。それはまぎれもなく1つの固定した視点とそれに対応した1つの消失点を定めることで、外的対象の規則正しい構図を画家に描かせる遠近法にほかなりません。いまでは自明なものになってしまっている遠近法ですが、実際には人間の視覚的経験と必ずしも一致するものではありません。人間の目は遠近法で描いた絵に描かれているように世界を見ていません。しかし、遠近法を使って描くことで人間ははじめて主観と客観の関係を示すことができるようになり、同時に主観と客観それ自体を発見しました。遠近法が1つの消失点を決める際にはまずそれに対応した視点を固定しなくてはなりません。その固定された視点こそが主観のポジションであることに気づくのは、ごく自然なことだったのではないでしょうか。
ルネサンスの絵画や彫刻、そして、建築は、画家が見たのとおなじように、ある固定された点から見ることを促し、その作品はどれも正面性をもつことになります。それはある意味ではプラトンの3種の都市において観照の場を占める丘(テメノス)でもあったのでしょう。
ところが、ルネサンスが固定した視点をマニエリスムは見事に破壊します。
マニエリスムの炎型の彫像は、遠近法とオーヴァーラピングと螺旋型に嵌め込まれているので、1つの角度からでは満足のゆく観賞は出来ない。この蛇状曲線形を取り巻く空間は流動的であり、われわれは1つの印象に満足感を得ることが出来ず、角度に応じて変化する輪郭をぐるぐる回り、動的な均衡を持ったこの不安定な像の、違う角度からの印象を重ね合わせに想像することによって、最初の印象を補わなければならない。ワイリー・サイファー『ルネサンス様式の四段階―1400年~1700年における文学・美術の変貌』
観照の場であるテメノスは否定され、芸術作品を見るものは視点を固定することができずにそのまわりをぐるぐると回らせられることになる。それは決してどこから見ても自由だという意味ではなく、どこから見ても視点が安定する場がないことを意味します。つまり、経済の場である家空間(オイケー)や政治の場である広場(アゴラ)がその安定に不可欠な思想や秩序を欠いた世界がまさにそこに開かれるのです。
サイファーはルネサンスの空間を閉じたものとして見ますが、マニエリスムの空間は開かれているといいます。また、グスタフ・ルネ・ホッケは『迷宮としての世界―マニエリスム美術』
まさにマニエリスムの芸術家の末裔であり、デザインという行動によって自らの内なる規則を世界に投影しなければ、世界が秩序をもたず、さらに投影したとしても、その秩序自体が先行するほかの秩序を解体する方向で働くことしかない現代の状況は、このマニエリスムの過剰さを受け継ぐものではないでしょうか。
僕はヘンリー・ペトロスキーが『フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論』
次回はすこし視点を変えてルネサンス~マニエリスムと同時代(安土桃山から江戸初期にかけて)の日本に目を向けることで、この「デザインの誕生」が西洋や明治以降の日本に与えた影響を考えるうえでのきっかけを見つけてみようと思います。
シリーズ「デザインの誕生」
- ディゼーニョ・インテルノ
- ルネサンスの背景
- 主観と客観の裂け目の発見
- サブジェクトからプロジェクトへ
- コトをモノにした時代
関連エントリー
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- 円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」/M.H. ニコルソン
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- フォークの歯はなぜ四本になったか 実用品の進化論/ヘンリー・ペトロスキー
- 未来のための江戸学/田中優子
- 身体感覚で「論語」を読みなおす。/安田登
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