それは脚気ではない

打てども響かないというか、知的な意味での脚気なんじゅないかと思うくらい、リアクションのできない人がたまにいます。
いろいろ理由があるのですが、その場合、ひとつ困ったなと思うのは、本人が興味があると思っていることと実際に興味があることの間にギャップがあるのに本人が気づかないことが理由になっているケースがあるということです。

膝を叩いても反応しないのは脚気ですが、膝をくすぐって反応しないのは脚気とはいいません。単にくすぐりに対して感度がにぶいだけでしょう。
それと同じように、反応できないのは、そもそも対象となる刺激に対するセンサーを持っていないというケースが思っている以上にあると思うのです。つまり、そもそも興味がないから反応できないんだけど、本人はなぜか自分は興味があるのだと疑わず反応できないのは自分に反応するスキルが足りないから、反応はむずかしいからと思ってしまったりする。

こういうのって、スキルアップや勉強とかへの過度な意識のせいなのかなと思ってしまいます。単に興味がないからわからなかったり、自然に体や意識が反応しないだけなのに、それを自分はまだまだ勉強が足りないからとか、知識が少ない、スキル不足だとか考えてしまう傾向がいまってすごくあるんじゃないかなって思う。そういうことが情報リテラシーとか、知だとか思われてるフシがある。

でも、それって違うんだよね。自然に反射的に反応できない、自分の体がなにかしらのリアクションとしてのアウトプットを出さない対象って、単に興味の対象ではないんだって気づくことも大事だと思うんですよね。
反射的な反応というのは何か答えじみたものでなくてもよくて、これなんだ?っていう疑問が浮かんで、それに興味をもつっていうのもリアクション。それが自分の外に出るかは別として疑問がわくのもアウトプット。
そういう自然な反応が起きない対象って基本的に興味の対象じゃないって認識したほうがいいと思う。
その上でいまはどうやら自分は興味がないらしいが、これから興味がわくよう、それを体で体験してみようとか判断して実際の自分の生活に組み込めばいいんです。

きっと、この「自分の生活に組み込む」っていうのがないんだろうなと思う。実際に生活に組み込んだ状態と情報を知識としてだけ得ているだけの状態との区別がない。前者は身体的な反応が起きやすく、後者は知的な処理・理解を介さないと反応が起きないという違いが実感としてわからなくなってるし、わかる場面を自分で減らしてしまっているんだろうなと思う。

そうなってしまうと、はじみに書いたような本当は興味がないのに興味があると思いこんでしまい、外からの刺激に反応できなかったり、反応できないことを知識やスキルのせいだと誤解してしまうという、へんなことになってしまう。

世の中あまりにビジネスライクにできる人、できない人をわけすぎてしまっていて、かつ、できる人になるにはスキルアップや勉強が必要だなんて間違った考えが浸透しすぎちゃってるんじゃないでしょうか。
僕なんてむしろ逆だと思うんだけどな。本当にできる人になりたかったら無駄なスキルアップに無理して時間をかけるより、自分が本当に興味のあるところに好きなように時間をかけないとだめでしょって。


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック