未来のための江戸学/田中優子

ひさしぶりに田中優子さんの本を紹介したい。
紹介するのは、最新刊である『未来のための江戸学』です。

田中優子さんの本は、これまでも何度か紹介しています。
江戸の恋―「粋」と「艶気」に生きる」では、恋という切り口から江戸の生活や経済が描かれました。江戸時代の結婚はいまのように恋愛の先にあるものではなく、現実的実際的に生きていくために行われる手段であり、家族はあくまで生産の単位であるため結婚はいまの就職と変わらなかったこと、そして、それゆえに心中につながるような恋との矛盾も生じたことが紹介されていました。
また「江戸の想像力 18世紀のメディアと表象/田中優子」や「江戸はネットワーク/田中優子」では、平賀源内や上田秋成、鈴木春重(司馬江漢)、山東京伝らが活躍した江戸の町が、金唐革紙-金唐革によって、イタリア・ルネサンスのボッティチェルリや、はたまたヴァイオリンのストラディヴァリウスにもつながっているというグローバルな世界、そして、江戸のなかでそうした文化が連と呼ばれたネットワークから生まれてきたことを明かしてくれます。いわゆる鎖国なんて閉じたイメージが幻想であることを見事に暴いてくれていて痛快。
さらに「江戸百夢―近世図像学の楽しみ/田中優子」では江戸期の日本の絵画・彫刻だけでなく、同時代の朝鮮やオランダ(フェルメール)、イタリア(ベルニーニ)などの絵画・彫刻をひとつひとつ眺めながら、江戸期とその時代の世界の動きを探訪し、「江戸を歩く/田中優子」では今度はいまの東京を歩きながら、江戸のおもかげを呼び覚ましてくれます。この本を読んで僕はあらためて自分が住んでいる東京がかつて江戸と呼ばれた場所であったことに気づかされたくらいです。
そんな地理的な江戸を飛び出して、歴史的な時間としての江戸の生活を、農民や非差別民たちの生活、経済の面から描いたのが「カムイ伝講義」でした。江戸期に生まれた技術や技術に対する姿勢が明治、昭和の時代において、ものづくり大国・日本をつくる原動力になったということはよく知られていることですが、まさにその原動力となった江戸期の開発力のすごさを教えてくれる一冊でした。

こんな風に、さまざまな角度から時代劇や従来の歴史書が描いた江戸とはまるで異なる江戸の姿を垣間見せてくれる田中優子さんの本ですが、今回紹介するのは、これまでのアプローチとは違って、ダイレクトに江戸を現代の日本と対置している。その対置から「未来のための」というテーマを掘り下げているのが、この1冊。

そんな1冊をこの1年の終わりにすこし紹介しておこうか、と。

昔からグローバルだった

田中優子さんは以前から江戸を描くのにグローバルな動きのなかで江戸を描いてきました。

先にも書いたとおり、平賀源内が発明した金唐革紙がボッティチェルリやストラディヴァリウスにもつながっていて、源内の後の時代には、それが江戸の代表的な輸出品の1つとなったこと。鈴木春信の贋作絵師であった鈴木春重が後のオランダ絵画の影響を受け、銅版画師の司馬江漢となったこと。そうしたグローバルな動きのなかで江戸の文化や生活を捉えるのが田中優子さんの基本的な姿勢だと思います。

鎖国という一般に流布した幻想とは逆に「昔からグローバルだった」という田中さんは、本書では江戸の誕生を、室町の後期から安土桃山と続いた戦乱(内乱)の世の集結、17世紀初頭にイギリスやオランダが相次いで東インド会社を設立したような世界情勢、そして、秀吉の朝鮮出兵という関係において論じています。

つまり、江戸の誕生自体が17世紀において変容しつつあった世界情勢に対する日本のきわめて意識的な選択の結果であり、それは平和と国内生産性の向上という大きな方針を中心としたものであったことを紹介してくれます。

17世紀の世界で作られた江戸というシステム

僕が最近、フランセス・A・イエイツの「記憶術」や「世界劇場」、そして、M.H. ニコルソンの「円環の破壊―17世紀英詩と「新科学」」などの16世紀後半から17世紀前半のヨーロッパの歴史を描いた本を興味をもって読んでいるのも、まさに田中優子さんが江戸に向けた目が捉えた動きを、ヨーロッパの目で捉えているのが、イエイツやニコルソンの2人の女性だったりするわけで、東と西の両面から17世紀の世界の変化をみるというのがとてもおもしろいからです。

そうしたグローバルに大きく変化する世界の動きのなかで、日本は江戸を作った。
具体的にいえばそれは平和や国内生産性の向上を目指した「循環」と「因果」の生活文化であり、それを支えた社会システムの構築でした。江戸とは「循環」と「因果」の価値観に根ざした社会システムだというのが、田中優子さんの本書における主張の要約だといっていいと思います(ちょっと乱暴な要約ですけど)。

江戸の循環システム

詳しくはぜひ読んでみてほしいのですが、ひとつだけ例をあげれば、江戸というシステムは徹底した循環システムで限られた資源を有効に活かした生産のしくみをつくりました。

例えば、江戸という都市は下水道が発達した都市でした。小林章夫さんの『コーヒー・ハウス―18世紀ロンドン、都市の生活史 』を読むと、同時期のロンドンとの差が際立ちます。ゴミや汚物の処理のしくみがなかったロンドンでは大雨が降れば通りがゴミや汚物の川となり、それがひとつの原因となってペストの大流行にもつながったそうですが、下水道やゴミの処理のしくみが整備された江戸ははるかに清潔な都市だったといいます。
ただし、それは単に町をきれいに保とうという意識からのみ生まれたのではありません。むしろ、汚物やゴミを循環させ、農作物を育てる肥料として無駄なく使おうとしたからでした。

着物なども何度も縫い直して布を無駄にしませんでしたし、痛みが激しくなって着物としては使えなくなると、小物をつくるためにまわされました。そうした用途でさえ使えなくなると、灰にして同じく田畑の肥料に使われました。

そうした循環の価値観が江戸期にはあった。自分たちが何かを作り出すという考えよりも、自然にあるものを借りて一時的に生活に利用し、使えなくなったら再び自然に返すというのが江戸の価値観でした。

こうした江戸の暮らしや価値観はいまでも参考になることが多い。
田中さんが本書のタイトルを「未来のための江戸学」としているのにもそうした意図がある。
興味のある方はぜひ読んでみてください。



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