現在20名を越える方に参加していただき、活発にコミュニケーションさせてもらっています。
参加いただいた方から、さまざまなお話を聞かせてもらえて、ただ感謝するばかり。
僕も参加者のその気持ちに応えようと、こまめに返事を書かせてもらってます。正直大変ですが、まあ大変じゃないわけがないと腰を据えて臨んでいるので苦にはなっていません。
ただ自分でもびっくりしているのは、そうやって自分の生活や暮らしのなかのいろんな話を聞かせてもらい、それに返事をしようとすると僕のほうも自分の生活やこれまでの人生を見つめ返すことになり、すっかり忘れていた子供のときの記憶が思い出されたりする。
このブログでは書いたことがないような僕自身がそこにいて、とても新鮮。
この経験を通じて、いま学んでいることは、自分自身を見つめ直さないとできない話があるんだなということ。
他人の大切なものや残したいと感じていりものについて話を聞くとき、一般論や理屈で理解しようとしても仕方がない。そうではなく自分の生きてきた人生や日々の暮らしの感情をともなう記憶を見つめ直しながら話を聞かないと、相手が大事にしている感覚を感じとれないんですね。
これは普段たがいに知った者同士なら意識しなくても自然にできていたりするケースもある。それが自然にできるのは現に生活や仕事をともに体験しているからだったりする。
それをたがいに生活基盤や生きてきた人生も、過ごした時間も空間も異なる20人を越える人を相手にやろうと思ったら、普段使わない想像力をフル回転して当たらないといけない。
とにかく一般論や理屈をいくら言ってもダメで、とにかく自分自身の生活や人生に密着した具体的な物やエピソードをベースに話すことをしないと、足が地についた話にならず、生活や人生のなかの大切なものを他人と知らせあうなんてことはできないんですね。
これはかなり想像力を必要とするし、自分自身に対する目を意識しないといけなくて、かなり大変です。
まあ、それが感じられたのも普段から他人の生活を理解するという人間中心設計のアプローチで仕事をしているというバックボーンがあるおかげかなとは感じます。
ただ、そういう仕事でさえ、そこまでは使っていない想像力や自分自身の生活、人生、生き方を見つめ直さないと話もままならないという、あの準備室の場のディープさは貴重だな、と。
まだ、僕自身の対応がまずいためにギクシャクした雰囲気になってしまうところもありますが、それでもはじめてよかったと感じているし、協力してくれている参加者の方にはいくら感謝してもしたりないなと思っています。
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