こんなに多くの人に賛同いただけるのは予想外のことで非常にありがたい。
ただ、僕の最初の投げ掛けがあいまいすぎたこともあって、僕のイメージしているものと、申請いただいた方が期待するもののイメージにギャップがある場合もあって、大変申し訳なく思いながら、すでに何人かの方には申請を却下させていただいています。
ですので、もうすこしギャップが生まれないよう、あらためてここで、僕がライフスタイル研究会(仮)を立ち上げたいと考える理由について整理しておこうと思います。
WebやITの外へ
今回の研究会では、WebやITの重要度を下げた生活や暮らしというのを模索したいと思っています。それは僕がWebやITに頼った生活はインプットの質や量を下げるものだと考えていることによります。僕はWebやITはアウトプットの機会を得るには便利なツールだと思っていますが、逆にインプットの面をみると残念ながらあまりいいものとは考えていません。
人はインプットがないと考えることができない生物だと思いますが、その点でWebやITは思考の妨げになっている。ここを見直さないと新しいライフスタイルも何もないなと思っています。
というわけでWebやITで新しい生活を、という方には今回はご遠慮いただいてます。
ものをつくらない、できるだけ
今回の研究会では、なるべくものをつくらない生活ということも模索したいと考えています。特に新しいものをつくるのをできるだけやめるためにはどうしたらいいかを考えたい。
その背景には上の話とも関連するのですが、生産より消費を重視したいという思いがある。言い換えればアウトプットよりインプット、ビジネスより生活です。
次々に新しいものをつくり出していく生活より、既存のものから次々に新しい発見をしていく生活というものが考えられないか。モノよりもワザ。脱イノベーション。脱「進歩の螺旋」です。
グローバルよりローカル
地域の差異をなくして平準化するグローバル化ではなく、地域の差異を価値として活かす道を探るというのもテーマのひとつ。人間には作り出すことができない自然の素材や、土地の歴史そのものの価値をいかに活かして、地域の特色をブランディングするか。
はたまた、そうした価値をいかにして生活文化や働き方へと変換し、その地域での暮らしや仕事を維持できるようにするか。
それには地域の歴史を知ることや素材やワザを見直すということも必要です。また、地域の祭や仕事そのものも考えていかないといけない。ハレとケ。
仕事と生活
仕事と生活が分離してしまっている状況というのも考え直したい。仕事は会社で、生活は家で、という働く場所と暮らす場所の分離、オフィシャルとプライベートの分離、さらに経済と文化の分離というものを、再び統合する方向性を模索したい。教育と仕事の分離もそのうちのひとつ。寺子屋みたいなものが実現できないか。
また、今回の試み自体、会社で働く以外の方向性の模索だったりします。
進歩よりも持続性
ここまで書いたことにも重なりますが、新しく何かを生み出すことをよしとする経済文化から、既存のものを大事に維持して工夫して用いる経済文化への転換についても考えられたらと思っています。完璧なものはなく、すべては欠陥品となる可能性をもっています。その新たな目でみた欠陥を改善し、新たなものを生み出すというのがこれまでの発想です。ただし違う見方をすれば欠陥は際限なく作り出せるのだから改善の試みに終わりはありません。
それではいくらでも新しいものが必要に思えます。そんな作り物のニーズを追い掛け続けるのもいい加減よいだろう、と。せめて、そうではなくものの欠陥ではなく、ものの良さをきちんと見つめる目を育てる別の方向性も同時に存在してよいだろう、と。
以上が、僕がライフスタイル研究会(仮)を立ち上げたいと考える理由です。
申請に関しては、ぜひ「続・ライフスタイル研究会(仮)」をご一読ください。
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