進化論から見るGoogleの環境適応=戦略

最近、ダーウィン進化論的な本(デネット『自由は進化する』、ドーキンス『盲目の時計職人』そして、いま、ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』)を続けて読んでみて、戦略の選択と環境適応というビジネス的な課題に関する見方が以前とは違ってきた。
同じく最近読んだレッシグの『FREE CULTURE』も、昔読んだクリステンセン『イノベーションのジレンマ』などの本も、進化論的な環境適応という視点で見るとより視界が開けてくる。それらの本は、このブログでもたびたび言及している『ウェブ進化論』より進化論の本質的な部分を捉えている。
その本質とは、遺伝子の自己複製を基盤とした累積的な技術改善と変化する環境のふるいわけの仕組みである。

前に書いたGoogleは突然変異体という言葉もWebという枠組を拡大して、ITという視点で捉えれば、チューリングから連なる正当な系統に収まる気がする。むしろ、Webという最近の枠組がすこしITの文脈から見て異質だったことに改めて気付かされるし、だからこそメディアとの関係で語らるのだろう。

最近のGoogleのメディア化の方向性は環境適応という点で見るべきだが、そこには遺伝子と乗り物という異なるレベルの生き残りがあるはずだ。


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